親鸞フォーラム第9回 | 浄土真宗|東本願寺真宗会館-公式サイト

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親鸞フォーラム第9回

生×死×仏教―私たちに力をあたえるとき―

2014年8月31日(日)

パネリスト

徳永 進 氏(医師)
天童 荒太 氏(作家)
安冨 信哉 氏(真宗大谷派教学研究所長)

コーディネーター

木越 康 氏(大谷大学教授)

親鸞フォーラム第9回

木越 本日のテーマは「生×死×仏教」となっておりますが、中でも特に「死」とどう向き合うかということが今回のフォーラムの焦点になろうかと思います。幸か不幸か、人間はあらゆる生物の中で唯一、自分が死ぬことを知りながら生きている存在だと言われています。私自身、日本仏教、特に親鸞を専門に学んでおりますから、死について語ったり考えたりする機会は、一般の方よりも少しは多いかと思います。しかし、例えば健康診断で「再検査」とマークが押されてしまった時などに、もの凄く動揺してしまう自分がいるのです。恐らくこれは私だけではなく、会場の皆さんの誰もが無関心ではいられない問題なのではないでしょうか。いつか必ずやってくる自らの死というものに、自分自身がどう向き合えばよいのか。そのことに対してのヒントとなることを少しでも得ることが出来ればと思いながら、今回のフォーラムを進めていきたいと思っております。

徳永 高校生の時に国語の時間で習った(365~427)の詩に「人生 無く としてののし 分散し風をってじ れに常の身に非ず」(『雑詩其一』「歳月人を待たず」)というものがありまして、もう医者を40年くらいやっていますが、あの詩の世界観がなんとなくずっと私の中にあります。人間は道の上のちりのようなものだと。風が吹いたら、ふうっとそちらに付いていって、いつも同じ自分であることはない。振り返ってみれば高校生の時から大事なことを教えられていたのだなと思います。 …

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