お盆・盂蘭盆会
亡き⼈から私へ─
お盆のご案内
亡き⼈から私へ─
お盆のご案内
亡き人を案ずる私が 亡き人から案じられている。
いのちと向き合う時間を。
浄土真宗の門徒は、亡き人を「諸仏」といただいてきました。
諸仏とは、私たちを人間としての真実の生き方へと導いてくださる仏さまのことです。
亡き人を、「真実に目覚め、真実に生きよ」と呼びかけてくださる「諸仏」といただき、
今を生きる私自身が、真実の教えを聞くことこそ、亡き人を本当に尊ぶことになるのです。
お盆の由来
「お盆」は、正式には「
浄土真宗のお盆の迎え方
この『盂蘭盆経』物語をおもうとき、浄土真宗ではお盆をお迎えするにあたっては、特別なお供え(野菜で作る馬や牛など)をすることではなく、改めて亡き人を偲びながら、“いのち”の事実とその“いのち”にかけられた深い願いに耳を傾けることを大事にしてきました。 お寺やご家庭のお内仏(お仏壇)、お墓へのお参りを通して、いま生きているこの私の“いのち”や人生を振り返る時間として過ごすのが、浄土真宗の「お盆」の迎え方です。
お盆の準備お内仏を清掃し、打敷をかけ、供物を供えます。
打敷をかけるスペースがなければ、ご用意いただかなくても結構です。
今年もお盆をむかえる。歳をかさねるごとにお別れをする⼈が多くなってきている。悲しさや寂しさや悔しさが⼊りまじった、ふくざつな気持ちを抱えながら⼀年がたってしまった。
お別れをしたつもりが、ふと、まだどこかにいるのではないかと思ってしまうことがある。「もういないのか…」という気持ちがかえってその⼈を
死んでいく⼈は、なにか滅びざるものを残していく。親が死んでいくときには滅びないものを⼦供の胸へ残していく。そういうことがある。そういうところに亡き⼈を拝むというこころがあるのでありまして、みな置いていったものは不滅なるものである。
(『
亡き⼈は私の胸に〈滅びざるもの〉を残していく。どうしても胸から消えないものを置いていくのだという。この〈滅びざるもの〉は無形の形⾒として、私の⽣涯のなかで
⾼校⼆年⽣の五⽉、認知症の祖⺟は亡くなった。祖⺟は認知症になってから⾃分でできることが⼀つずつ減っていき、亡くなる数年前は⾔葉すらも発することができなくなっていた。さいごはその⾝のすべてを⺟と叔⺟にゆだねて、声なく静かにその時をむかえた。
祖⺟のことで後悔していることがある。⽇常的に⺟と叔⺟がする介護の⼿伝いをしていたが、さいごのさいごにその場から逃げてしまったことである。亡くなる前に、下⾎した祖⺟に対してガーゼなどで応急処置をしなくてはいけなくなった。逃げたのは、そのときのことだ。「祖⽗のときは何もできなかったから、せめて祖⺟のときは…」と⼝にしていたが、それも逃げたことで嘘になってしまった。
記憶の引き出しが上⼿くいかなくなり、さいごは寝たきりになった祖⺟との⽣活や死をとおして、⼈が「死ぬ」とはどういうことなのか、また死ななければならない⾝を「⽣きる」とはどういうことなのか。そういう答えてみようのない問いを、祖⺟はこの胸に置いていった。⼗数年をへた今、それらの〈滅びざるもの〉は、たびたび私を⽴ち⽌まらせ問いかけてくる。
亡き⼈へ
2019年版『お盆』より転載 / 東本願寺出版
どちらでも構いません。お墓もお内仏もどちらも「南無阿弥陀仏」のご本尊に手を合わせることに違いはありません。
お盆の時期を過ぎてから、お参りいただいて結構です。または、ご自宅のお内仏(仏壇)にお参りをしてください。
ご縁のあるお寺のお盆法要にお参りください。真宗会館では、ご法名が記されたものをご持参の上、ご来館いただければご家族単位でお参りをいたします。
ご一緒に、同じ時間でお勤めしましょう。2024年度 盂蘭盆会法要のご案内
真宗会館では7月8月にお盆の法要を執り行っております。
なお、法要の様子は真宗会館YouTubeチャンネルでライブ中継を行います。
7月13日(土)
10:30~11:30
新盆合同法要
法話:芝原 悠理(東本願寺真宗会館職員)
ご参拝の対象は、昨年のお盆以降にお亡くなりになり、当月までに満中陰(四十九日)を終えられているご家族となります。
お問い合わせ・お申込み等は真宗会館(03-5393-0810)までお願します。
7月14日(日)
10:00~11:30
お盆法要
お勤めの後に引き続き法話があります。
8月11日(日)
10:00~11:30
お盆法要
お勤めの後に引き続き法話があります。
真宗会館では7月~8月の期間、ご家族ごとでの個別のお盆法要を承っております。
法要会場:真宗会館及びご自宅 等
新盆法要について
新盆(初盆)とは葬儀を終えて、残された私たちが今一度その方の命終に向き直り、その方を
お問い合わせは法要係まで
受付時間10:00~18:00(日、祝日を除く)