「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」といった表字にします。
一般的に墓石には、「○○家の墓」「先祖代々の墓」と刻まれる場合が多いようです。これは、文宇通り、○○家の代々の墓所(納骨所)という意味付けからであると思われます。昨今では、「絆」「夢」「永遠」など、独創的な言葉も増えてきました。
浄土真宗では従来、「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」などの仏語(仏さまの教えを表す言葉)を記し、お墓を仏縁の場といただいてきました。
日常生活を振り返ってみますと、私たちは、忙しさから仏さまに手を合わすこと(合掌礼拝)すら忘れて生活しています。
こういう私たちに、仏さまは、生まれた意義に気づき喜びのある人生を歩みなさいと呼びかけているのです。その呼びかけに応じた姿が、南無阿弥陀仏を申すということです。浄土真宗の教えに生きた先輩が、「おれは死んでも石(お墓)の下にはおらぬぞ」と語ったそうです。数年前にはオペラ歌手が歌った曲が流行しました。確かに、死の事実からいえば身そのものはなくなります。しかし、その人の生きた歩みは残ります。「遣骨を拝むのでなく仏さまを拝むのだ」ということを教え示そうとされたのではないでしようか。
亡き人を仏さまといただくには、残された者が仏さまの教えに出遇うことがなければなりません。その出遇いが手を合わす心を生むのです。
ですから、墓石正面に「南無阿弥陀仏」と記すことは、お墓を単なる納骨所に終わらせないということであります。そこには、私にまで流れてきた仏さまの教えに遇うという、積極的な意味があるのです。