なぜ念仏なのか(3)
法話「なぜ念仏なのか」
古田和弘氏(九州大谷短期大学名誉学長・大谷大学名誉教授)
み名を呼ぶ念仏へ
この道綽禅師のお弟子に善導(ぜんどう)という方が出られました。善導大師は、「念仏」についての決定的な指針をお示しになったのです。念仏とは、口に「南無阿弥陀仏」を称えることであると教えられたわけです。
もともと「念仏」というものは、口に「南無阿弥陀仏」を称えることではありませんでした。古い時代から「念仏」の教えは中国に伝えられていましたが、それは「観想念仏」というものだったのです。「観想」は、心を静かに一点に集中して、ひたすら、阿弥陀仏のお姿や浄土の有様を心の眼で観察し、それを心に念じ続ける修行なのです。その代表的な行法は「念仏三昧」という行であります。一切の雑念を払い捨てて、一心不乱に、心を静かな状態に保つのです。それによって、通常では起こり得ないひらめきのようなものが起こるのだそうです。つまり、本来の「念仏」は、仏を心に念ずる修行なのであります。
その「念仏三昧」には、色々な修行の方法がありますが、その代表的な行が「常行三昧」という行なのです。これは、九十日間、心を無念無想の状態に保って歩き続けるのです。そして、その静かな心の中で阿弥陀仏と阿弥陀仏の浄土を念じ続けるのです。それが「念仏」という「行」だったわけです。
この行は、先ほどの「六波羅蜜」の行に比べると易しい行だったようであります。つまり、「六波羅蜜」の行ができない場合は、このような「観想念仏」でもよいとされているのです。その「観想念仏」の代表的な修行が「常行三昧」なのですが、しかし、これも、誰にでもできることではありません。よほど体力があって、意志が固くて、時間に余裕がある人でなければできません。
善導大師は、お釈迦さまは、特定の人にしか当てはまらない教えをお説きになるはずがないと受け止められて、改めて、さまざまなお経を読み直されたのです。すると、善導大師は『観無量寿経』というお経に説かれている教えに決定的な出遇いを経験されたのです。『観無量寿経』は「仏説」ですから、お釈迦さまの教えですが、これには、人間の資質・能力を、「上の上」「上の中」「上の下」と次第して、最後は「下の下」に至るまで、九通りに区分してあるのです。そして、人間の資質に応じた九種類の浄土往生の方法が説き示してあるのです。
「下の下」の人は、いつも悪を犯していて、何一つ善を為し得ない人です。
この場合の「悪」は、法律や道徳に背くことだけではありません。むしろ「真実」に背き、迷い続け、迷っている事にも気付いていない罪なのです。このような人は、勿論、まともな修行などできるはずはないのです。その場合は、「阿弥陀さまの名前を呼びなさい」と教えてあるのです。
善導大師以外の多くの注釈家の人びとは、この九つの区分のうち、「上」の教えに着目されて、それを目標にするよう受け止められたのです。しかし、善導大師は異なりました。「下の下」の所に、「阿弥陀仏のお名前を呼びなさい」と説かれていることに深く注目されたのであります。善導大師は、ご自身は「下の下」の資質であると実感されて、ご自分には、口に「南無阿弥陀仏」を称える「称名念仏」しか残されていないと受け止められたのです。
「南無」は、もとはインドの「ナマス」という言葉で、「心から敬います」という気持ちを表わす言葉です。インドの人は現在でも「ナマステ」と挨拶しますが、それは「あなたを心から敬います」という敬意の表現です。親鸞聖人は、これを「敬う」という意味にも受け取っておられますが、しかし、どうやら、「お任せします」という意味に使っておられるように思われるのです。「私は阿弥陀さまにお任せします」という気持ちを「南無阿弥陀仏」に託しておられるわけです。それは、善導大師の教えから受け取られたことなのです。
念仏しかない
この善導大師の教えが、日本の法然上人に伝わりました。法然上人は、天台宗の比叡山で「智慧の法然房」と称されるほどの秀才であられたと伝えられています。比叡山で、戒律を守り、厳しい修行に励み、多くのお経の教えを深くを学ばれたのです。比叡山でのすべての行に成功されています。しかし、その法然上人が、修行を重ねられ、お経の教えを深く学ばれたところ、何がはっきりしてきたかというと、「自分ほど愚かな人間はいない」ということを実感されたのです。そこで、「自分のような愚かな人間には南無阿弥陀仏しかない」と、それまで学んでこられた業績を全て捨てて、善導大師の教えに従われたのです。
当時、比叡山のお坊さんたちは、善導大師については、全く無視するか、軽視するかという状態でしたので、善導大師の教えを拠り所にされる法然上人に対して「そんなことでいいのか」と批判していたようです。しかし、法然上人は、「偏依善導一師」だと宣言されたのです。つまり「ひとえに善導大師お一人に依ります」とおっしゃったのです。
漢字の「偏」という字は「ひとえに」と読みますが、それは「かたよる」とも読みまして、偏見とか、偏屈とか、偏執とか、偏重とか、あまりいい意味に使われる文字ではないのです。比叡山のお坊さんたちが、「それは、かたよった考え方だ」と批判されたのに対して、法然上人は、「そうなんです、私はかたよっているのです。あなたもかたよりなさい」と言っていおられるわけです。まさに居直りの達人とも言える言い方なのです。
その法然上人のお心をきちっと受け止められたのが親鸞聖人だったのです。親鸞聖人も、ご自分のことを「煩悩具足の凡夫」と言われて、「本当に浅ましい人間なのだ」と実感しておられるのです。「煩悩具足の凡夫」には「南無阿弥陀仏」しかないのだというのが、親鸞聖人の教えの基本中の基本なのであります。
つまり、「念仏でもいい」というのではなくて、「南無阿弥陀仏しかない」ということなのです。善導大師、法然上人、親鸞聖人を通して、「念仏しかない」という受け取り方が、実は、今日の私にまで伝えられているのです。親鸞聖人の教えからすれば、私が他の宗派の人びとから何と言われようと、また、私がどのように理屈をたてようと、「私には念仏しかないのだ」「念仏しか私には残っていない」という状態に、私は現に生きているのです。
なぜならば、私は「愚悪の凡夫」「煩悩具足の凡夫」という浅ましい人間だからです。だからこそ、お念仏を有り難く思い、大切にしなければならないのです。そのことを私は親鸞聖人から教えられ、また、親鸞聖人を「宗祖」として仰いできたご先祖から教えられているわけであります。
ただ、この現代において、「私には念仏しかないのだ」と言い切れるかどうか、それが、私たち門徒に問われている問題であります。自分がどれほど愚かな人間であるのか、どれほど弱いくせにあつかましい人間であるのか、そのことに、つくづくと気づかされれば、その時に初めて、自分には「念仏しかない」ということが、はっきりと受け止められるのではないかと思うのであります。
そんなことを日頃感じているところであります。
古田和弘(ふるた・かずひろ)
1935年京都府生まれ。大谷大学文学部仏教学科を卒業後、大谷大学教授を経て、九州大谷短期大学学長となる。現在は、大谷大学名誉教授、九州大谷短期大学名誉学長。専攻は仏教学(中国仏教)特に涅槃経を研究する。著書に『宗祖親鸞聖人に遇う』『涅槃経の教え』『正信偈の教え』(上・中・下)などがある。