お寺の掲示板Vol.7|サンガコラム 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2019年12月28日

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お寺の掲示板Vol.7

これからが
これまでを決める
(藤代聰麿)

もう1年以上前のことです。朝、新聞を読んでいて一つの記事にハッとしました。「これからがこれまでを決める」。読者欄に小見出しでこの言葉を見つけたからです。その記事には、大病を患った男性が入院生活を終えた後、病み上がりで不安におびえる毎日の生活の中でこれからの人生をどう生きればいいのか思い悩んでいる時にこの言葉に出会い、「前方に光明を見いだす思いがした」と述べています。病気を患った事実が消えるわけではありません。しかし、その事実を受けとめつつも、これからの生き方次第でこれまでの人生の意味が違ってくると考えるようになられたのでしょう。

この言葉は20年以上前に刊行された僧侶・藤代聰麿氏の『法語集』に収められたものです。それがどこかのお寺の掲示板を通して、男性にまで届き、男性の心を照らしたということであります。人から人へと伝わっていく言葉のもつ力とお寺の門前にある掲示板の役割の大きさを改めて思います。

この藤代先生とは私の恩師であります。私が子どものころ、私のお寺に何度もお越しいただきました。晩ごはんや世間話の合間に先生の口をついて出る「ナムアミダブツ」(お念仏)は何だろうというのが、子どもながらに疑問だったことを思い出します。先生はお念仏について、「年寄りは愚痴をこぼします。ひとりごとを言います。親鸞さまはいつも仏さまと話しておられます。仏さまと話すのが本当のひとりごとです」とおっしゃっておられました。

以前「サビは鉄より出でて鉄をくさらす。グチは人より出でて人をくさらす」という言葉を目にしました。日々のできごとを悔やむ愚痴は、その人の生活を暗くしていきます。もし、冒頭の言葉が「これまでがこれからを決める」だったら、その人生観では、辛いことやイヤなできごとが起こるたびに「どうせこんなもんや」と居直ったり、「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と不安を膨らませたりして行き詰まっていくのではないでしょうか。

藤代先生は「命終わる時に仏になる―これが今現在の言葉でなければなりません」とも言われました。この言葉を私なりに受け止めると、仏さまの教えを頼りにして今を生きることで、私たちのモノの見方が転じ、未来が開かれ過去が見直されてくる。先生は、それを冒頭の言葉で表現されたのだと思います。仏さまの教えは、愚痴ばかりの私たちの姿を照らし出す光として、様々な言葉や表現となって私たちにまで届けられているのです。

 

 

津垣 慶哉(つがきよしや)/福岡県・正應寺

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