なぜ念仏なのか(2) | 真宗会館コラム | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館
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なぜ念仏なのか(2)

なぜ念仏なのか(2)

法話「なぜ念仏なのか」

古田和弘氏(九州大谷派短期大学名誉学長・大谷大学名誉教授)

仏法の学び方

お釈迦さまは、さまざまな人に向かって、さまざまな教えをお説きになりました。その教えは、「病に応じて薬を与える」という説き方であったとされています。教えは一つなのだけれども、目の前の人の悩みや苦しみの状態、迷いの状態、また、それぞれの人の資質によって、教えの説き方を変えておられたのです。

例えば、お腹が痛い時に熱冷ましをあげても効き目がありません。熱がある時に下痢止めをあげても効果がないのです。お腹が痛い時は、お腹の薬をあげ、熱が出た時には熱冷ましをあげないといけないのです。そのように、その病状、つまり聞き手の状況にふさわしい教えを、お釈迦さまはお説きになったのです。これを「対機(たいき)説法(せっぽう)」と言いますが、「機に対して法を説く」ということです。「機」とは、一人一人の人間の機能・資質のことです。ですから、「苦」から解脱して、「寂静」の境地に至るためにはどうすればよいのか、その教えの説き方は沢山あり、幅広く語り残されているのであります。それらの説法が多くのお経として伝えられているのであります。

 

お釈迦さまは、お弟子たちに、先ずは、戒学・定学・慧学という三学を修めることを教えられました。「戒学」によって生活を正しく保ち、「定学」によって心を無念無想の安定した状態に保ち、「慧学」によって真実に近づく智慧を磨くのです。その厳しい修行によって、「煩悩」を滅して、「寂静」の境地を体得するよう勧められたのです。この修行を成し遂げて、「阿羅漢(あらかん)」という境地に達した仏弟子は何人もおられたのですが、お釈迦さまは、それらのお弟子たちに対して、「それだけでは、まだ不十分だ」と教えられたのです。自分自身が「苦」の原因である「煩悩」を克服して「寂静」の境地に達しても、それは、自分の利益の完成、つまり「自利」でしかないと教えられたのです。

そこで、更に「自利利他円満」を求める「菩薩(ぼさつ)」の修行を勧められたのです。「菩薩」は、自分の煩悩を滅することは勿論ですが、「自利」に陥る誤りを克服して、煩悩によって苦悩する人びとを救うために、お釈迦さまのような「仏」の覚りを得る準備をする段階です。お釈迦さまは、この「菩薩の行」として、「六波羅蜜」の実践を教えられたのです。「波羅蜜」というのは「完成」というほどの意味であります。

「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若(智慧)」の「完成」を求められたのです。

この「六波羅蜜」の行の実践に励んでおられる多くの「菩薩」のことが、さまざまなお経の中に詳しく説かれています。

 

我々が知らされている歴史上、「菩薩行」に励まれた菩薩のお一人に龍樹という方がおられました。龍樹(りゅうじゅ)菩薩は、格段に傑出した仏教者であられました。しばしば、お釈迦さまの再来であるとも信奉されるほど、優れた指導者であられたのです。

この龍樹菩薩も、当然「六波羅蜜」の行を実践されました。菩薩といわれる人は、六波羅蜜の行を実践して、一段一段と、仏の覚りに近づいて行かれるのです。例えば『華厳経』というお経によりますと、菩薩の覚りの段階には五十二の段階があるとされております。それぞれの段階で六波羅蜜の行を実践し、それが成功すると次の段階に進むのです。それぞれの段階によって、修めるべき六波羅蜜の質や深さが違うのです。第五十二番目の段階を「妙覚」と言いまして、それを越えると「仏」になるというのであります。龍樹菩薩も、最終段階を目指して六波羅蜜の行を実践なさったのであります。

 

しかし、龍樹菩薩は『十住毘婆沙論』という書物の中に、仏法の学び方に二つあると述べておられます。一つは「難行」、もう一つは「易行」です。「難行」というのは「陸路」を進むようなものです。自分の脚力を頼りにして、「仏」の覚りに向かって段階を登りつめて行くのです。

それに対して、「易行」は、船で渡る水路です。船が用意してあるので、乗せてもらって目的地に連れていってもらうという方法です。

龍樹菩薩は、この二つの方法を示しながら、ご自身は「自分は難行に挑戦したけれども、これからは易行に従います」とも宣言しておられるのです。

文献上では詳しくは確かめることまではできませんが、おそらく、天才である龍樹菩薩は、六波羅蜜の行を実践して、五十二の段階を一段一段と登って行かれましたが、途中で行き詰まってしまわれたのでしょう。つまり、挫折と絶望です。それまで、一生懸命に、ご自分の脚を頼りにして陸路を歩いて来られたけれども、それ以上は進めなくなって絶望されたのです。その時に、ふと気が付けば、そばに船が用意してあったのです。それで、船にお任せして連れて行っていただこうと心に決められたのです。その船が、実は、『大無量寿経』に説かれている、「阿弥陀仏の本願」であったわけです。阿弥陀という仏さまは、「自分で努力できる人は、そのまま努力を重ねればよいけれども、努力できなくなった人は、私に任せなさい」と呼び掛けておられるわけです。六波羅蜜の行に行き詰まられた龍樹菩薩は、それならば、船に乗せてもらうしかないと決心された、ということになります。

ただし、龍樹菩薩は、難行道と易行道のどちらが正しいのか、そのことはおっしゃっていません。むしろ人それぞれだとおっしゃっているのです。ここが、その後の仏教の歴史の重要な別れ道となったのです。

精一杯の努力を重ねて、誠実に覚りに向かって邁進しようというのが、禅宗であったり、天台宗であったり、真言宗であったり、そういう宗派の教義の伝統であります。一方で、自分には修行を全うする力はないと実感した時に、船が待ち構えていることに気づかされて、誰でも乗せてらえるのだから、それにお任せするという受け取り方をするのが浄土の教えの伝統なのです。陸路を進む決心を固めた人は大勢いらっしゃいます。一方で、自分には陸路は無理なので、船に乗せてもらおうと決心された方も大勢いらっしゃいます。これが、それぞれに、インド・中国を通じて伝わってきた仏教の歴史であります。

水路に向かう伝統

親鸞聖人は、『正信念仏偈』つまり『正信偈』という歌を作っておられます。その中で、親鸞聖人は、七人の高僧のお名前をあげられて、それぞれのお方の徳を称えて、「私はこの方々をこのように尊敬しているのです」と、体系的に述べておられるのです。その中で、龍樹菩薩を七高僧の筆頭にあげられて、龍樹菩薩のことを「証歓喜地生安楽」と述べておられます。龍樹菩薩は、「歓喜地を証して、安楽に生ず」とおっしゃっているのです。

「証」というのは「覚る」という意味です。「安楽」は阿弥陀仏の極楽浄土です。龍樹菩薩は、「歓喜地という菩薩の覚りを覚って、極楽浄土にお生まれになりました」と親鸞聖人はおっしゃっているのです。

そもそも「証歓喜地」と「生安楽」とは意味の方向性が違います。「歓喜地」というのは、菩薩の覚りの段階に五十二段階あるうちの四十一番目なのです。四十一番目の「歓喜地」まで覚ると、心から喜べるのだそうです。しかし、歓喜したのはよかったのですが、それから先は、ご自分の力ではどうしても、一歩も進めなかったというわけです。その絶望の中で、龍樹菩薩は、それまで気づくことのなかった阿弥陀仏の本願に出遇われて、本願にお任せして安楽浄土に生まれさせていただく「易行」に転向されたと、親鸞聖人は見ておられるのです。親鸞聖人は、さりげなく述べておられるように見えますが、この七文字の初めの四文字と後の三文字との間には、大きな転換の形跡が秘められているように思われるのです。

 

龍樹菩薩が体験された、易行の水路によって浄土に向かう教えは、その後、インドの天(てん)親(じん)菩薩に受け継がれました。七高僧の第二祖と仰がれているお方です。天親菩薩は、『大無量寿経』の注釈を残されました。『浄土論』という難しい書物です。それまで『大無量寿経』の読み取り方が、不十分であったところに、初めて筋が通った読み取り方を示され、「お釈迦さまのおっしゃりたいことはこれだ」という指針をお示しになられたのです。

その天親菩薩の『浄土論』は中国へ伝わって来ましたが、今度は、中国での『浄土論』の読み方が曖昧だったのです。これは、『浄土論』の基になっている『大無量寿経』の読み方にまで影響してしまうことになります。それを非常に悲しんだ人が曇鸞(どんらん)というお方です。

曇鸞大師は『浄土論註』というものをお書きになって、天親菩薩の『浄土論』の正確な読み方をお示しになりました。そのことで、『大無量寿経』の教え、「本願の教え」の読み取り方について、説得力のある説明をなさったわけです。その読み取り方の流れが、ずっと今日まで受け継がれているわけであります。

なお、曇鸞大師は、龍樹菩薩の教えを深く広く学ばれた後に、天親菩薩の『浄土論』に出遇われたのでした。

その後、中国に、道綽(どうしゃく)という方が出てこられて、曇鸞大師の遺徳に感銘を受けられて、浄土の教えに転向して傾倒されたのです。そして浄土の教えこそが龍樹菩薩のご本意に忠実なのだということを明確にされました。龍樹菩薩がおっしゃった「難行道」を、阿弥陀仏の本願を無視した自力の「聖道門」として退けられ、「易行道」である他力の「浄土門」こそが、龍樹菩薩のご本意に忠実であり、それこそが、修行の力の衰えた末の世の凡夫にふさわしい教えであることを明示されたのです。

>なぜ念仏なのか(3)

 

 

古田和弘(ふるた・かずひろ)

1935年京都府生まれ。大谷大学文学部仏教学科を卒業後、大谷大学教授を経て、九州大谷短期大学学長となる。現在は、大谷大学名誉教授、九州大谷短期大学名誉学長。専攻は仏教学(中国仏教)特に涅槃経を研究する。著書に『宗祖親鸞聖人に遇う』『涅槃経の教え』『正信偈の教え』(上・中・下)などがある。

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