法話「なぜ念仏なのか(2)」 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2019年10月24日

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なぜ念仏なのか(2)

法話「なぜ念仏なのか」

古田和弘氏(九州大谷派短期大学名誉学長・大谷大学名誉教授)

仏法の学び方

お釈迦さまは、さまざまな人に向かって、さまざまな教えをお説きになりました。その教えは、「病に応じて薬を与える」という説き方であったとされています。教えは一つなのだけれども、目の前の人の悩みや苦しみの状態、迷いの状態、また、それぞれの人の資質によって、教えの説き方を変えておられたのです。

例えば、お腹が痛い時に熱冷ましをあげても効き目がありません。熱がある時に下痢止めをあげても効果がないのです。お腹が痛い時は、お腹の薬をあげ、熱が出た時には熱冷ましをあげないといけないのです。そのように、その病状、つまり聞き手の状況にふさわしい教えを、お釈迦さまはお説きになったのです。これを「対機(たいき)説法(せっぽう)」と言いますが、「機に対して法を説く」ということです。「機」とは、一人一人の人間の機能・資質のことです。ですから、「苦」から解脱して、「寂静」の境地に至るためにはどうすればよいのか、その教えの説き方は沢山あり、幅広く語り残されているのであります。それらの説法が多くのお経として伝えられているのであります。

 

お釈迦さまは、お弟子たちに、先ずは、戒学・定学・慧学という三学を修めることを教えられました。「戒学」によって生活を正しく保ち、「定学」によって心を無念無想の安定した状態に保ち、「慧学」によって真実に近づく智慧を磨くのです。その厳しい修行によって、「煩悩」を滅して、「寂静」の境地を体得するよう勧められたのです。この修行を成し遂げて、「阿羅漢(あらかん)」という境地に達した仏弟子は何人もおられたのですが、お…

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