2024年06月18日
Category 終活
前編の最後は、私たちが「終活」を考えるということの根底には、お釈迦様が出家された際に悩み苦しんだ「生老病死(しょうろうびょうし)」という大切な課題があり、その意味ではお釈迦様と同じ課題を担う身になったということかも知れない、というお話でした。
まず、一国の王子であり何不自由なく暮らしていたお釈迦様が、出家することになった理由をもう少し考えたいと思います。そこで、次の二つの言葉を見てみましょう。
この二文の意趣を約(つづ)めてみると、「どんなに権力や財力があり富や享楽を極めた生活を送っていたとしても、人は誰でも必ず老い、病を得て、死んでいかなければならないのだ。あらゆるものが変化し、移ろいゆく世の中であることに気がつき、それまでの何不自由のない生活を棄てて、本当に生きる道を求めて出家をしたのです」となるのではないでしょうか。
つまり、「生老病死」する人生の迷い苦しみを超えたい。そして、空しい人生ではなく、いのちを全うする生き方を求めたいとの衝動が、お釈迦様を出家へと駆り立てたのでしょう。
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」。これは、豊臣秀吉公の辞世の句と言われているものです。天下人として言わずと知れた方ですが、その通り天下統一を果たし、豪華絢爛(ごうかけんらん)の大阪城や金の茶室も有名です。ですから、すべてを思うままにした数少ない最高の権力者なわけです。「思い通りになることが幸せだ」と思い込む私にとっては、あこがれの生活なわけです。けれども、この句からは天下人を思わせる優雅さや享楽を感じるどころか、空しい最期を思わされます。
ちなみに、大阪城の敷地にはもともと蓮如上人の時代に建立された石山本願寺がありました。蓮如上人の著作には有名な『白骨の御文』がありますが、真宗大谷派の葬儀ではよく拝読される文章です。
夫(そ)れ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中(しちゅう)終(じゅう)、まぼろしのごとくなる一期(いちご)なり。されば、いまだ万歳(まんざい)の人身(にんじん)をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりて、たれか百年の形体(ぎょうたい)をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。されば朝(あした)には紅顔(こうがん)ありて夕(ゆうべ)には白骨となれる身なり。
<中略>
人間のはかなき事は、老少不定(ろうしょうふじょう)のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事(ごしょうのいちだいじ)を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり(真宗聖典 第1版842頁・第2版1010頁、下線は引用者編集)
秀吉公の句と重なって聞こえてくるようです。「まぼろしのごとくなる一期」とは、長いと思っていた人生全体が、はかない夢幻のようであった。そして、「もとのしずく、すえの露」とは、いま自分のいのちが間もなく終わりを迎えようとしている。それは、葉先の朝露が落ちて消えてなくなるようであると。当(まさ)にそのいのちの叫びがうたわれています。しかし、蓮如上人はそこで終わらず、その我が身の事実に気づくと「後生の一大事」が問題になってくるのだと言うのです。それは、オギャーと生まれてから死んでいくまでの、一世一代の一大事。死すべきいのちをどう生きるのかという、誰にも代わってもらうことが出来ない大仕事です。
「生老病死」するいのちの営みにおいて私どもは迷うわけですが、そのことを示してくれる言葉があります。「終活することと あなたの成仏とは無関係です」(朝日新聞「折々のことば」1933)。「終活」と「成仏」は別のことだと。先に申したとおり、終活をご縁としてお釈迦様と同じ課題を担う身になったはずなのに、なぜ別のことなのかとの疑問が生じると思います。それは、「終活」には二つの側面があるからです。まずは、皆さんにもなじみがある「身辺整理」の部分です。エンディングノートに沿って進めていく、土地や財産を託すために必要な事務的な事柄がそれにあたります。これは、どれも私の身の周り、つまり〈自分の外〉の課題です。
もう一つは、「私自身がいのちを終える」ということです。生まれた以上、老い、病を得て、死んでいく。これは、誰にも託すことが出来ません。私自身のいのちと向き合う必要があります。これは、〈自分の内〉の課題です。ですから、「私自身がいのちを終える」という課題をどう受け止めるかということこそが「成仏」ということの課題なのでしょう。
それでは、他人事でなく私がその課題に気づくのは何時なのか。もし時系列で表現するなら、お釈迦様にとっては出家をした29才の時であり、秀吉公にとっては死の直前だったのかも知れません。
「成仏」といわれても、自分のこととしてはピンとこないかも知れません。別の表現をとるならば、あなたは一体どうなりたいのでしょうか。どうなることが本当に生きたことになるのでしょうか。どうなれば悔いなく生きて死んでゆけるのでしょうか。そう問われると、なかなか答えられないのではないでしょうか。
この点について思い出すエピソードがあります。あるお寺の子ども会で、将来自分がなりたいものを各自が発表した際に、「私、アミダさんになりたい!」と言った子どもがいたというのです。その子ども会がどのような場として開かれていたのかは分かりませんが、誰もが分け隔てなく共に過ごすことができる場であり、子どもたちを包み込むはたらきが感じられる場であったに違いありません。そこにはいつも阿弥陀さんが中心におられる。そういう子ども会が、この子にとっての居場所であったのでしょう。
「私、アミダさんになりたい!」とはどういうことなのか。私の固定観念を揺さぶってきます。そして同時に、「では、あなたは何になりたいのか」と強烈に問うてきます。
近田(ちかだ)昭夫(あきお)先生※からお聞きしたお話を思い出しましたので引用します。
ずいぶん前に朝日新聞の「天声人語」欄に、当時5才の男の子の詩が紹介されていました。どんな詩かというと、「大きくなったら何になりたい」という題なんです。「大きくなったら何になりたい 大きくなっても何にもならないよ 僕は僕になるんだ」って言うんですよ。これはショックでしたね。私はね、明治以来の日本の教育で汚染されていますから。例えば、今はあんまり歌わないけど、卒業式に歌う「仰げば尊し」の二番の歌詞でね、「身を立て 名をあげ やよ励めよ」って言うんだよ。世間へ出て、名を立てて、財産を築くように励む。そういう事に価値が有るという風に私は育ってきましたから。そういう教育を受けてきたから、「自分が自分であるという事」に満足するって事は無いんですよ。
このようなことを教えて頂きました。
私たちは、何かになったことを喜びとし、何かになることで幸せがついてくると、そう考える癖がついてはいないでしょうか。では、私は何になりたいのでしょうか。何かにならなければ、生まれた意味や満足がないのでしょうか。人生における大きな宿題です。
※真宗大谷派顯真寺前住職
人はだれでも自分の死を意識したときに「本当に大切なものは何か」が問われます。この問いによって初めて迷いを超えた真実の世界(浄土)に目を向けることができます。
どうあがいても思い通りにならないのが自分の死です。そうであるからこそ、空しく終わる人生ではなく、いのちを全うする生き方を求めたいとの衝動がこの私にも沸きあがってくるのでしょう。このままでは死んでゆけない。生まれてきて良かったといって死んでいきたい…。
南無阿弥陀仏とは、人間の生活と悩みを知り抜いた阿弥陀如来が、「思い通りになることが幸せだ」と思い込み迷(まよ)い惑(まど)う私に呼びかけ、思いを根底から破って、解放しようとする〈願い〉のメッセージなのです。この私にかけられた人生の本源的な〈願い〉に目覚まされて生きるのが、念仏申す生活なのです。
「念仏は、そろばんの“願いましては、ご破算”」(坂東性純(ばんどうしょうじゅん)※)という言葉があります。南無阿弥陀仏の呼びかけを聞くところに、私が握っている願望や計算が知らされ、その身勝手さに頭が下がることで思いを手放すことができるのです。
ただ、どこまでいっても自分の身辺整理は自分の計算通り、思い通りにしたいものですし、執着をなくすことは容易ではないでしょう。ご縁によっては、老いや病の影響で受け入れがたい厳しい境遇を生きざるをえない場合もあることでしょう。そうであったとしても、と言うよりは、そうであるからこそ「思い通りになることが幸せだ」との思い込みを破って、「たとえ思い通りにならない人生であっても、与えられたいのちを〈終わり〉まで〈活き活き〉と生きてほしい」との仏の〈願い〉を聞き、目覚めを頂くことの大切さが説かれているのです。
※真宗大谷派坂東報恩寺前住職
「終活は人生の棚卸。これまでの自分とこれからの自分を見つめ直すチャンス」という言葉を前編のはじめにご紹介しました。ただ、本当の意味で見つめ直すことが可能になるのは、私の思い(自我)を超えた南無阿弥陀仏(仏の眼)を通して迷いの身に気づき、その私にこそかけられた〈願い〉に目覚めることにおいてです。それは〈いま〉なのです。
換言すれば、〈これまで〉と〈これから〉を貫く〈いま〉との出遇いです。人生全体を貫く〈いま〉に目覚めることで、この身に与えられた目の前の事実を喜びと共に受け止めていける。そのように生き方の質がかわり、人生の再スタートを切ることが始まります。前編でも少し触れましたが、これが「二度生まれ」ということです。
お釈迦様と同じ課題を担うということは、この私の迷いの生き方を教え、その思いを破って目覚まさせる仏の呼びかけを聞く生活を実践することです。そこに、空しい人生を超えて本当に生きる道としての「終活」が始まるのではないでしょうか。
苦悩が絶えない毎日の生活の中であっても、掌を合わせ念仏申すところに、いつでも問いと目覚めを頂く機縁が与えられるのです。はたらきとして仏の呼びかけを聞く生活が、〈終わり〉まで〈活き活き〉と生きる「終活」ではないでしょうか。
【完】
藤谷 真之 (ふじたに・まさゆき)
1974年(昭和49年)生まれ
一般の大学を卒業後、同朋大学別科(仏教専修)にて真宗大谷派教師資格を取得。
1998年から9年間、真宗大谷派宗務所に勤務。
現在、山梨県笛吹市佛念寺住職。真宗会館教導、東京教区教化委員会 同朋の会推進部門幹事のほか、
社会福祉法人善隣会理事、民生委員児童委員、笛吹市市民後見人として活動している。