2024年05月12日
Category サンガコラム終活
話し好きな85歳の女性。診察室で隠し隔てなく話す。「スーパーのAが閉店になったでしょ、困ります。老人車押して牛乳や玉子、何でも自分で買えましたのに。週一回、息子夫婦に車に乗せてもらって遠くのデスカウントショップに行くです」ってな具合。「デスは死のこと、ディスです」とお教えすると「まあどっちでも似たようなこってす。私のボディもディスカウント」、と笑う。
彼女、年の暮れの夕方、咽頭痛と38・5度の発熱で受診した。検査するとコロナ抗原テスト陽性。家の人は誰もコロナに罹(かか)ってない。「コロナ風邪として普通の風邪薬処方します。息子さんたちとは別の部屋で過ごして下さい、5日ほど」と言ったものの食欲がない、と言っていて少し心配。2日後に電話すると「おかげさんで熱は下がり、食欲も戻って来ました」と明るい声、安心した。
年が明けて2週が過ぎての診察室。「おかげさんであの時は助かりました。孫もかからず、私だけ。どこで感染したのか、変なもんに好かれて」と笑う。一通り診察して「変わったことはありませんでしたか?」と尋ねると「ありました、先生!」と即答。
ひっそりと正月を過ごし、体調回復し、1月のある日の午後、一人で風呂の湯を溜め、いい湯だね、と入浴を楽しんだそうだ。湯舟の栓を抜き、さあ上がろうとしたが足が思うように動かない。最近昔と違って歩き辛かった。湯は抜けたが体が動かない。「まるで亀みたいでした」。一人じゃ無理と「誰かー誰かー」と叫べどお嫁さんも買い物なのか居ない。思い余って洗面器で風呂場のタイルをカンカン叩き、「ちょっと、ちょっと、ちょっとー」と叫べど誰も来ない。2時間後、仕事の途中で家に寄った息子に「何しとる!」と発見され救出された。息子は言った。「風呂の栓抜いたらいかん。水の浮力で人間、風呂から立ち上がれる。亀も同じ!」。一時、どうなることかと思ったそうだ。また風邪ひいたら息子に叱られる、と思った。「先にコロナになって免疫ついたんでしょうか。でも笑い話で済んだけど、気を付けないけませんな。どうもとしですね」と笑う。
徳永 進 (医師)
1948年鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、01年、鳥取市内にホスピスケアを行う「野の花診療所」を開設。82年『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞、92年、地域医療への貢献を認められ第1回若月賞を受賞。著書に、『老いるもよし』『死の文化を豊かに』『「いのち」の現場でとまどう』『看取るあなたへ』(共著)など多数。