親鸞フォーラム
親鸞フォーラム第8回
震災×経済×仏教
―私たちは今、何を問われているのか―
2013年6月9日(日)
パネリスト
高橋 源一郎 氏(小説家)
平川 克美 氏(事業家・文筆家)
鷲田 清一 氏(哲学者・大谷大学教授)
コーディネーター
木越 康 氏(大谷大学教授)
木越 東日本大震災から2年と3カ月が過ぎようとしています。物質的な復興は進んできていると言われますが、まだまだ被災者の精神的な復興は果たされていないのが現状です。また、原発問題につきましても、さまざまなかたちで被害が広がり、深刻さの度合いが増しているように思われるわけです。そのような状況があるにも関わらず、昨今の日本の眼は経済発展ばかりに向いてしまっていると言えます。2012年に開催された第6回親鸞フォーラムにおいて、姜尚中さんがウィリアム・ジェームスの「twice born(二度生まれ)」という言葉を紹介し、日本は震災を契機に生まれ変わらなくてはならないと強く訴えかけられました。その頃国内は脱原発の声が一気にしぼんで、代わりに原発技術の輸出や国内原発の再稼働に向けた動きが活発化している時期でもありました。それに対して高村薫さんが一言、「結局、人間は懲りていないんです」と、厳しくおっしゃっておられました。
本日はそれからさらに1年ほどが経過しております。震災後2年を経過した今、あらためて「経済と仏教」というテーマで震災を取り上げることになりました。
平川 私は震災後、年に1回か2回、現地の仮設の集会所で落語会をやっているのですが、そこで皆さんといろいろお話をしている中で、もう精神的にはかなり限界に近いのだと、こういう声をお聞きします。何が一番つらいですかと聞きますと、やはり忘れられるのが一番つらいと、こうおっしゃっていました。確かに忘れているのです。東京ではアベノミクスの影響か、株が急激に上がったり下がったり、円が高くなったり安くなったりで、みな一喜一憂している。要するにお金のことで一喜一憂しているわけです。私たちのすぐ近くには、実際に原発事故の被害から、まだまだ抜け出せない方たちが大勢いらっしゃる状況があるというのに、です。
だから私は最初、安倍首相がトルコとインドに原発を売りに行ったというニュースを聞いたとき、耳を疑ったのです。どうして総理大臣が、自分の庭先、自国の問題がまったく解決していないときに、商売で原発を売りに行くのか。倫理や常識といったものが蒸発してしまっているのではないかという感じを私は持ちました。
思い返しますと、2011年の原発事故の少し前に、2008年のリーマン・ショックがありました。あのときアメリカの証券会社が次々に倒れ、英国の銀行協会の会長が、こういうマネーゲームみたいなことはもうやめましょう、という話をしていた。しかしあれから6年あまりが経って、何か状況が変わったでしょうか。まったく同じことの繰り返しで、「経済だ、経済成長だ」と言っているのです。私は以前『移行期的混乱』(筑摩書房)という本で書いたのですが、2006年以降、日本は総人口が急激に、しかも長期的に減り始めるという事態になることが分かっています。多くの政治家や識者たちが、これは将来に対する不安、もしくは経済的な事情によって、女性が子どもを産まなくなったのだと断定し、いくつかの子育て支援の施策がなされました。しかし、私はそれらによって人口減少が止まることはないと思っています。なぜなら日本では歴史上1回も人口が減ったことがないからです。これまでの歴史の中で、将来に対する不安や経済的な困窮など、今よりも深刻な状況はいくらでもありました。しかし、それにもかかわらず人口はずっと増え続けてきたのです。それならば、まずは2006年を折り返して人口が減り始めたことの意味を、私たちはもっと真剣に考えるべきだろうと思ったわけです。
なぜ人口が減り始めたのか。これは私たちの文明史、民主主義の歴史、あるいは消費資本主義、こういう歴史がもはや頂点に来て、そこを折り返し、今までとは違う右肩上がりではないフェーズに入ったということであって、その最も象徴的な出来事が人口減少ではないかと私は思っているのです。この人口減少は当面、向こう50年は止まらないでしょう。そうしますと、その間、右肩上がりの経済成長は日本ではもはやあり得ません。例えば2050年までに25%ぐらいの人口が減るわけですから、常識的に考えてGNPがこの人口減少を補って増えていくことは考えられないのです。だったら経済成長しない中でどうやっていくのかと考える方が自然だと思うのですが、そういう方向転換をどうして誰も考えないのでしょうか。
経済成長モデルというのは、発展途上モデルなのです。日本は、すでに成熟した国になっているのに、発展途上モデルから抜け出すことができず、どうやったら経済成長するかということばかり言い続けている。「産めよ、増やせよ」の富国強兵のようなところから一歩も抜け出せていないのですね。しかも今回の震災のように、起こったいくつかの兆しというものも次から次へと忘れていってしまう。この状況がこのまま続いていくと、私たちはいったいどうなってしまうのだろうかと、非常に不安を持っています。
また日本がこれからたどる道は、いずれ全ての先進工業国がたどる道でもあるわけです。ですから今こそ日本が、ここで舵を切り直し、世界に道筋を示すべきだろうと思っています。
木越 ありがとうございます。以前、吉本隆明という方が、京都の大谷大学で講演をなさった時、私たちの直面する様々な問題には、「緊急の課題」と「永遠の課題」の両方があるとおっしゃっておられました。そして、出てきた問題に対して緊急的な課題としてだけ対処しては駄目で、その中にある永遠の課題というものに注目して議論しなければ、必ず物事を見誤るのだと言われました。緊急の課題ということで言えば、いま平川先生がおっしゃったような原発問題がそうですね。代替エネルギーの話になり、コストの問題が議論され、電力の値上げの問題に行き着いて、最後は再稼働や輸出へと話題が移っていく。どんどん論点がずれていくのは原発を緊急の課題でのみ議論しているからで、本当に考えなければならない永遠の課題、普遍的な問題がなおざりにされている、そのように感じざるを得ません。
高橋 ぼくは最初に平川さんの本を読んで、とても驚きました。人口減少というのは誰でも知っていることなのですが、しかしそれがどれだけ重要な問題であるかということは、誰も考えてこなかった。そもそも、そんな時代に巡り合わせた人がいなかったのです。我々は経験があれば「こういうものだ」と考えられますが、なだらかに人口が減っていくという経験を、まだ日本はしたことがない。これは大体の国がそうです。有史以来2千年、人口というものは常に増え続けてきた。だから、これは地球的な規模においても、まさに前人未到の領域です。だから想像するしかないわけです。
さらに日本を見れば、全体としてもゆっくり減っているのですが、地方へ行けば行くほど加速度的に減っています。ぼくは広島県尾道市の生まれですが、私が通っていた頃の小学校は4クラスあって、1クラス50人くらいでした。それが今は2クラスで25人。しかも三つの学校を合わせて、その数です。ですから「減っている」といっても、全体を見れば1%となっていますが、実は人口が1%減るのではなく、子どもが20%減っていっているということなんですね。地方に行くと子どもが3分の1になる。だから、再生産ができない。この国は外側から枯れていっているというのが、たぶん正しい言い方だろうと思います。
今回の震災があった岩手でも宮城でも、放っておけば急激な人口減少をしていた地域でした。ですから正直な話、今までどおりの考え方で再建しようと思っても無理だろうと思います。先ほど平川さんがおっしゃったように、この国における再建や復興は、人口増加時代、右肩上がりのときの発想です。つまりお金を入れて物を買わせれば、そこに活力が生まれると考えている。でも人口が3分の1に減ったら、たとえお金を3倍入れても、肝心の人間がいないわけです。
平川 人口が減ったら大変だ、だから人口減少を止めて経済を右肩上がりにしなくてはいけない。こういった議論は、人口が人為的に増やしたり減らしたりできるということを前提にしている。しかし、日本の長期的人口動態が示しているのは、人口は政治的に調整することができないということです。そもそも、なぜそこまで経済成長に固執するのでしょうか。例えば私も、私の妻も娘も友人も、普段からそれほど経済成長にこだわって生活しているわけではないですよね。日常の会話でも「どうも最近経済成長がね」という話題はまずでてこないでしょう。にもかかわらず、政治経済の世界では成長の必要性がさかんに叫ばれている。これはなぜかというと、日本の資本主義のあり方が法人資本主義だからです。法人、つまり株式会社というものは、その性質として右肩上がりでないと生きていけないようにできているのです。塩水の中で生きてきた魚が真水の中で死んでしまうように、経済が停滞すると株式会社は死んでしまう。株式会社は株を運用するシステムですから、株が5年後、10年後に確実に下がっていくようであれば、誰もその株に投資しないわけです。ですから、今日の日本経済の基盤となっている株式会社というシステム自体が、人口減少を迎えて、死活的な状況に陥っているということですね。したがって政治家は死に物狂いで、この今の右肩下がりを食い止める方針を出してくるし、グローバリズムを進めていくでしょうね。
鷲田 平川さんがおっしゃった原発輸出と経済成長について、この二つを震災後の政治家がためらいなしに口にできることに対して、私もこれは正気の沙汰ではないと思いました。
原発については、まず我々が自分でコントロールできないものを造ってしまったわけですが、そのコントロールできない中で起こった事故に関して、保険会社も全部引いてしまうほどの、天文学的な数字の賠償が発生しているわけです。また放射線被曝についても、最終的に影響をゼロにするために、2万数千年という時間がかかるものもあるのです。これはもはや人類が存在しているかどうかも分からない、そういう数字です。このような制御不能なものを、制御不能であると判ったにもかかわらず、それを他の国に売りに歩くということ。これはちょっと信じがたいことです。
それから経済成長ということについてですが、実は今の社会で20代より若い人は別にして、30代から90代ぐらいまでの全ての人は、右肩上がりしか知らない世代なのですね。だから体感として「明日の方が今日よりはよくなる」という感覚を持っている世代なのです。
特に我々のような戦後生まれの世代に関して言えば、これは経済だけではありません。自分が成長するということは、必ず親を抜くということでもありました。まず身長は圧倒的に抜いた。食べ物が変わって、親よりも体は大きくなります。学歴も親の世代は中学へ行く人も珍しかったのですが、次の世代では高校進学も当たり前になってきた。こういうことが他にもたくさんあって、要するに自分が年をとっていくということは、全てにおいて前の世代を乗り越えるという感覚だったのです。それが本当に染みついている。特に戦後生まれは少年期が高度成長と重なるので、その感覚が強いと思うのですが、今の40歳以上の世代は、そういうことを経験してきているわけです。
私はこういう右肩上がりしか知らない世代というのは、将来のことを案じない世代だと思っているのです。今を一生懸命頑張っておけば、いずれ技術の開発で何とかなる、あるいは次の世代が何とか果たしてくれるだろうという感覚ですね。だから国の借金が増えても放置したままでいられるわけです。
江戸時代などを見てみますと250年の間、ほとんど人口が変化していません。物価もほとんど変化していない。そういう時代の人が暮らしの中で一番に考えるのは子孫の繁栄、後の世代がちゃんと生き延びられるかということでした。全体が貧しい社会のときは、日々の暮らしを食べていくことが精一杯ですから、戦争や大災害が起これば、必ず子孫は飢えてしまう。だから後の世代のことを考えて、とにかく節約し、いろんな心得を伝えておくのです。以前、京都で江戸時代からずっと続いている、ある庄屋の商人の人に家訓を教えてもらったことがあるのですが、それは、代々ずっと商売を続けるためには、「もうけられるときに、もうけすぎたらあきまへん」というものでした。ビジネスチャンスがあっても、それに乗って、もうけすぎてはいけないということです。実際いま傾いている会社というのは、もうけられるときに本業以外にも色々と手を広げ、株価を上げるためにやったことが、かえっていま危うくなっているわけです。
そういう意味で、未来世代のことを憂えないというメンタリティーというものが根底にあって、景気回復のために未来の需要を先食いするといった今の政治の施策にそれがよく現れていると思います。
リーダーはいらない
鷲田 最近の世の中では力強い指導者を求める、いわゆる「リーダーシップ論」がしています。強いリーダーというのは、それこそ発展期の社会では確かに必要でしょうが、しかし今の状況は、人口が減り、明らかにこれから社会が縮小していくことが分かっているわけです。そういう社会の縮小にどう対応するのかということが、今は求められているわけです。これは戦争で言えば退却戦です。退却戦のときに一番大事なのは、リーダーではありません。大切なのは「しんがり」です。主君や仲間を先に逃がして、自分は敵に一番近いところにとどまって、味方が全員安全なところまで引き上げたとき、ようやく最後に引き上げていく。そういう人を「しんがり」と言います。これからの社会は、強いリーダーが必要なのではなく、いかに優れたしんがり役を務められる人を、自分たちの周りで育てることができるかということだと思います。
それにしても、いま本屋さんのビジネスコーナーに行けば、リーダー本ばかりです。私はリーダー論というのは、そもそも根本的におかしいものだと思っています。よくよく考えれば分かることですが、リーダーシップが流行る時代というのは一番駄目な時代です。みんながリーダーになりたがる社会というのは一番もろい社会でしょう。本当にしなやかでな社会というのは、リーダーもいるけれども、相談役がいたり、黒子がいたり、縁の下の力持ちがいたり、みんながいい意味で、別々のパートを担い合う。それぞれが、いつも全体を見ていて、自分は今何をしなければならないか、ぱっと考えられる。それが本当に強い集団であって、みんながリーダーになりたがる社会は、一番もろく壊れやすいのです。それに何よりも、リーダーシップの本を読んで「よし、俺はこの本のとおりリーダーを目指すぞ」と考えている人ほどリーダーにふさわしくない人はいない。リーダーになろうという人が、そんなマニュアルを読んで素直に従っているのでは、最初からリーダーの資格がないのです。だから私は最近のリーダー待望の風潮は、一番社会が弱く、もろくなっているときの論調だなと思っています。
平川 寺山修司がよく引用していたブレヒトの言葉に「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を待望する時代はもっと不幸だ」というものがありました。その意味で今は不幸の時代に入ってきているのでしょうね。この英雄待望論から我々がどう脱却できるかと言ったら、これはもう自分たちで一人ひとりが考えていくということしかない。ただ期待して待っているのではなく、みんなが実際に動いて、リアルな体験をしてきた人たち、例えば巣鴨の商店街にいるような、実際に戦争を経験して、様々な危機をくぐってきたお年寄りなどから色々な話を聞いたりして、そういうことを通して自分も考える。こういう機会を多く持つことだと思います。
高橋 4年半ぐらい前に、次男が急性脳炎で危篤になりました。そのときは医者から「このまま行くと、死ぬか重度の障害が残る」と言われ、大変ショックを受けました。ぼくは子どもが病気になるまでは、普通の、いわば右肩上がりの生活を想定していたわけです。しかし、いきなり重度の障害を抱えるかもしれないという、ある意味で「右肩下がり」を想定することになってしまった。想定したことがない生活に放り込まれ、例えばそういう子どもをどこで教育させればいいのかなど、自分は何も知らないことに気づきました。
この社会はある意味、強い人向けに設計されているのです。弱い人間は情報を自分で手に入れなければいけない。仕事をして競争して勝ち上がっていく人間には、社会的に情報が公開されているのですが、そこから落ちてしまった人間については、本当に情報がないのだと、そのときに初めて知りました。
幸い息子は奇跡的に回復しました。今でも若干障害が残っているのですが、そのときぼくは2カ月ぐらい、彼が入院していた病院に通っていました。そこは子ども専門の病院なので、重度の病気の子どもがたくさんいたのです。ぼくはいろいろなお母さんたちと話をしたのですが、そのお母さん方がものすごく明るくて元気なことに強い衝撃を受けました。普通なら落ち込んで暗くなりますよね。それなのに、みなさん普通のお母さんよりずっと元気なのです。ものすごく弱い子どものそばにいると、なぜか母は強くなってしまうという不思議な現象があることを知りました。私はそこに何か秘密があると思い、事あるごとにそういう場所を尋ねるようになったのです。今から、そのいくつかの体験についてお話します。
以前、友人と二人で山口県にある原発を造るのに反対している祝島という場所に行きました。いま祝島の人口は400人弱です。平均年齢は60歳ぐらいで、反対闘争が始まったときには1000人以上あった人口が、今では半分以下になってしまっています。さらに毎年20人ずつコンスタントに人口が減っていて、このままだと20年後にはゼロになる計算です。まさに日本の人口減少社会を体現しているわけですが、しかし島の人たちに接していると、すごく感じがいい。一体なぜだろうかと考えてみると、いくつか理由が分かりました。
まず、あの島では農業と漁業が中心なので、お年寄りがみんな働いています。ぼくは島の旅館に泊まったのですが、旅館のおかみさんに電話したとき、「明日泊まりに行っていいですか」と言ったら、「いいけど、私は病気だから世話できないよ」と言われました。そんな旅館、普通ないだろうと思って行ってみたら、本当に寝ているのです。「布団が上にあるから、自分で敷いて」と言われ、ぼくたちはせっせと布団を敷きました。そうしたら次に「病気だからご飯もつくれないよ」と言われてしまいました。島のお店も休みだし、どうしたものかと途方に暮れていると、夕方になって、なんだかすごくいい匂いがしてきた。見てみると、知らない人がご飯をつくっている。驚きました、「おかみさん、病気だから」と言って、隣の人が勝手にやって来て、旅館のお客さんのご飯をつくっている。これが普通に行われているのです。
思い返せば、祝島では原発反対闘争が起こったときに漁協に中国電力から勝手に10億円が振り込まれたことがありました。しかし島の人たちはそれを全て返してしまった。お金はいらない、使い道がないから、と。
振り返って、ぼくたちはどうしてお金が必要なのかと考えると、最大の理由は、おそらく老後の不安なのです。子どもは世話をしてくれないかもしれない。老人介護施設に入らなければいけない。病気になるかもしれない。ところがこの島の人たちからは、そういう不安があまり感じられない。お米はあるし、魚も獲れるし、自給自足で何とかなってしまう。さらには島全体が一つの小さな共同体になっているのです。多くの家が一人暮らしの、孤老ですが、そういう人たちが夜になると集まって、みんなでずっとテレビを見たりしている。年末はみんなで「紅白歌合戦」を見ながら、そのうちに、こたつでそのまま寝てしまったりする。そういう人たちが70代を過ぎてもずっと働いていて、都会に出ていった人の先祖の分までお墓参りをしたりしているわけです。ぼくは、ここには一つの大きな知恵があると感じました。おそらくこの島にいると、年を取るのも死ぬのも怖くなくなってしまうような、そんな空気が醸し出されているのだと思います。
高橋 この島には子どもがいなかったので、ずっと小学校は閉鎖されていました。しかしある時期からIターン現象で、子どもを連れて帰ってくる人が増えて、最近になって小学校が再開しました。個人的にすごくいいなと思ったのが、入学式の光景です。島の小学校の入学式には子どもの家族だけではなくて、知らないおじいさんおばあさんが30人ぐらい来たりしているのですね。それで、よその家の孫の入学式で泣いているわけです。人口減少と聞くと、すぐにそれは悪いことだと考えてしまいますけれども、小さくなっていくことでできる親密な空間もあるのだなと思いました。しかも驚くべき事に、そこではほとんどお金というものが掛からないわけです。
昨日、ぼくは福岡にある「宅老所 よりあい」という場所に行っておりました。ここは簡単に言うと認知症の老人を介護する施設で、20年前、日本で最初に宅老所という言葉を生み出した場所でもあります。こういう施設が今は日本で1千カ所以上あると言われています。
最近、厚生労働省が発表したのですが、現在、日本の認知症の患者は430万人、予備群が400万人だそうです。ある関係者の話では、近々に1千万人になるだろうとも言われます。これは日本の人口の10%近くです。ぼくたちが直面している問題には、人口減少社会の上に、もう一つ認知症社会というものがあるのですね。これに対し政府の対応は、施設をつくって収容する、もしくは民間に委託するということでした。いま病院で認知症と診断されると、いろんな薬を飲ませるのです。飲ませると、薬の副作用で異常な行動をしてしまう。それを抑えるためにまた鎮静剤を飲ませるという、そういう悪循環が起こっています。
そもそも認知症の発症率は、80代で40%です。よくよく考えてみれば、40%の人がなる病気というのはないですよ。だから、これは人間が必然的にたどる道なのだと、この宅老所では考えています。創始者の下村恵美子さんは「認知症は病気ではありません。人間の自然な生き方です。言ってみれば、人間が死に向かってソフトランディングするための重要なステップ。だから一緒に認知症を楽しもう」とおっしゃています。だから、治療もしません。例えばその宅老所に、すごくよく喋るおばあさんがいるのですが、この人は数カ月前に病院からやって来たときは、あと1週間くらいで死ぬだろうと言われていました。その方は認知症の診断を受けて、薬を17種類ぐらい飲まされていたのです。でも宅老所に来て薬を全部やめたら、体の方は3日で治ってしまった。ごく普通の、少しけたおばあさんになってしまったわけです。
また、認知症の老人は徘徊をするものですが、これも止めません。みんな後ろからついて行って見守っている。もし見失っても、近所の人もよく知っているから、「○○さんが脱走中ですよ」と電話が掛かってきたりする。都会では隣の人の顔さえ知らないことが多いですよね。
宅老所では、いつも10人ぐらいで集まってずっとお喋りしています。でも、よく聞くと実は全然会話になっていない。みんな勝手なことを言っている。でもとても楽しそうなのです。そこではゆっくり、まったりと時間が流れていく。そうやって暮らしていくと、みんな少しずつ枯れていって、少しずつ静かになっていって、そしてゆっくりと亡くなっていくのです。
大事なことは、ここは認知症の老人を中心にできているコミュニティであるということです。この人たちがいるからこそ成立している空間なのですね。そして、この人たちがいるおかげで、要するに弱い人たちをみんなで支えることによって、周りの人も得ているものがたくさんあるのです。
同じような例で、先月、ぼくはイギリスと日本で子どものホスピスに行ってきました。子どものホスピスと言えばものすごく暗いイメージがあったのですが、予想に反して、これがとにかく明るいのです。笑い声が絶えない。亡くなりそうな子どもたちの周りに集まっている人たちが、やはりすごく影響を受けているわけです。この子たちのために何とかしてあげようとしているうちに、みんなすごく優しくなっていくのです。真ん中に弱い人間がいる組織は、リーダーもいないし、掛け声を掛ける人たちもいない。でも、その人たちをケアすることでみんながすごく優しくなります。ぼくもそれは自分が病気の子どもを抱えたときに思いました。
すごく印象的だったのは富士宮にある障害者施設での話です。そのご夫婦は最初に生まれたお子さんが重度の身心障害を持っていたのですが、それでも、もう一人子どもが欲しいねと、二人目がお生まれになった。しかし偶然、もう一人のお子さんも同じように重度の障害を持っていたのです。もう相当大きくなられたのですけれど、これは想像を絶するほどに介護が大変です。精神的にも、肉体的にも本当に限界だと思うのです。でもそのご夫婦に様子を聞いてみると、こんな幸せな生涯はなかった、本当に生きていてよかったと、こういう言い方をされていたのです。そういう機縁を持ったからこそ、本当に人とつながることができた。今まで見えなかったものが見え、今まで会えなかった人に出会え、自分がやってきた仕事の意味も分かってくる。こんなに素晴らしいことはないと、そういう言い方をされていました。
こういうことはぼくたちが生きている強者を中心とした社会のシステムの中からは絶対に出てきません。弱い人間を中心にした右肩下がりの社会や共同体の中から自然に生まれてくるものだと思います。ですからぼくは、そのことに気付きさえすれば、今の日本の状況も何とかなるのではないかなと、最近は思っているのです。
親鸞の見ていた共同体
高橋 親鸞は戦乱の時代の人でした。高度経済成長も知らず、平和な時代でもなく、もしこういう言い方が可能なら、彼は戦中派であり、そして同時に戦後の思想家でもあった。だからちょうど我々のように、ある年代以上の人にとっては分かりやすい部分があるのかなと思います。彼は戦争を、死体を見たのだなと。貧困や飢餓や死体を見て生まれた思想。これはやはり平時に机の上で生まれたものとは、大きく違うと思います。特に親鸞の場合は、プラグマティックと言いますか、とても現実に根差した考え方だったと思います。こういう宗教思想をつくろうとか、釈迦の思想を正しく伝えようという目的ではなくて、目の前にいる貧しい人、字も読めないような人、そういう生きづらさを抱えていた人たちに対して、どう接していくのかが大事だったわけで、ぼくはそこが親鸞のすごくいいところだと思っているのです。
先ほどぼくは弱い人たちという言い方をしましたが、それは親鸞の言葉で言えば「悪人」ということだと思います。有名な「悪人正機」という考え方は、善人よりも悪人こそが実は浄土に近いというもので、無知も愚さも、親鸞にとっては浄土に至るための大切な要素だったわけです。言葉も分からないし、念仏さえも称えることが出来ない人々こそ親鸞にとっての理想だったのかもしれません。一方で親鸞自身は、自分はどんなに頑張っても浄土に往けないと思っていたのではないでしょうか。とても頭が良い人でしたからね。ただ晩年になりますと、手紙で「目もみえず候う。なにごともみなわすれて候う」(『末燈鈔』)、もう目も見えません、何も分かりませんと、こう正直に書いています。でもこれでようやく理想に近づいたのかなとも思います。
認知症の人は、いくら言っても教えというものを理解することはできません。しかし、その人たちが中心にいるからこそ、周りにいながら考え、悩みが継続し、またそこにいろいろな機縁が生まれていくということがある。ぼくのイメージでは、そういう状態を浄土と呼ぶことができるのではないかと思っています。ですから、先ほどからぼくが述べてきたいろいろな小共同体というのは、実は浄土なのではないかなと。中心にいる、弱い人たちが仏様。この人たちは、明らかに我々の社会の秩序とは違うところで生きています。ある意味で援助を受けなければ生きていくことはできません。しかし不思議なことに、その周りで彼らを世話し介護しなければならない人たちが、そういう機縁に出会うことにおいて、人格的変容を遂げていくということがあるわけです。
ですから浄土というのは、どこかにある実体的な天国みたいなところではなく、現世とあの世の中間に考えられるような場ではないでしょうか。そういう場において、私たちの上に、人が道を踏み誤らないような、本当の関係性が生まれていく。そういう空間を浄土と呼ぶのではないかと思います。それは何か宗教哲学的な問答のように、私たちの実生活から切り離されてしまったものではなく、もっと目の前で悩んでいる人たちのことを見据えた、すごく実際的な知恵だったのではないかと思うのです。共同体の中心に愚者や悪人がいるというかたち。これがおそらく親鸞が考えた一つの大きな知恵だったのではないでしょうか。これは何百年経った今でも、そのまま応用できるわけで、このことが本当に凄いなと思います。
木越 親鸞は9歳から35歳まで京都で学習していました。その後、流罪によって越後、さらに関東に赴くことをとおして、自身の思想を完成させていったと言われています。そういうところから親鸞は、頭の良い、分別にたけた共同体は、空虚なものだと言っています。逆に、善し悪しの文字をも知らない人たちが、実は本当の精神をもっているのだと。高橋さんのおっしゃった、弱い者を中心として成り立つ共同体というものを、おそらく親鸞は越後や関東で目の当たりにしていたのだろうなと思います。
鷲田 今の木越さんのお言葉の原典は『正像末和讃』ですね。「よしあしのをもしらぬひとはみなまことのこころなりけるを の字しりがおは おおそらごとのかたちなり」。善し悪しの文字を知らない人は、みな真実の心を持った人で、善悪の文字を知ったかぶりして使うのは、かえって大うその姿をしているという親鸞の言葉です。このことについて私も少しお話させていただきたいと思います。
これは以前、宮本常一という民俗学者の『庶民の発見』という本にも出ている話ですが、壁職人でも瓦職人でも、いわゆる職人と呼ばれる方々が、誰のことを思って仕事をしているのかと考えると、それは50年、100年先の同じ職人だと。50年後、100年後に同じ職人が見ても、恥ずかしくないような仕事をしたいという思いで、本当の職人は仕事をしているのだそうです。つまり宛先がクライアントでもなければ、その仕事を命じた建設業でもない、まだ生まれていない未来の職人なのです。これはすごいことだなと私は思いました。
また、柳田国男が昭和5年に『明治大正史世相篇』という本を書いています。当時の日本の人口は6千万人台だったのですが、そこから毎年1万5千人の自殺者が出ているということで、彼はそのことをたいへん憂えていました。これは人口から考えれば、自殺率は現在とほぼ一緒ということになります。
かつては「共同防貧」という考え方があって、みんな貧しいけれども、誰かが飢えていたら、例えば近所の人が食べ物を持ってくるというかたちで、お互いに貧しさを防ぐというカルチャーがありました。しかし柳田がそれを書いた昭和5年の時点で、その貧困が孤立化してしまっていたのです。彼は「孤立貧」と呼んでいますが、貧困に対しみんなで闘うというかたちから、貧しい人が貧しいままに孤立しく。誰も助けない。その結果、自殺者数が一気に増えていったわけです。
このことを思うときに、問題は今と何も変わってないのだなと思います。世の中は豊かになり、物に溢れて、確かに貧しさは克服できたけれど、生きる上での困難さということについては、現代はやはり孤立化しています。いわば「共同防苦」ではなく「孤立苦」になっているわけです。
倒錯している 現代人の労働観
鷲田 こういうことは、例えば現代人の労働観というものを見ていくと、よく分かります。私は現代社会の労働というのは、ものすごく異様なかたちを取っていると思っています。ちょうど阪神・淡路大震災のときに、大阪をはじめ関西一円から、たくさんの若者たちがボランティアに駆け付けました。これは、ある西宮市役所の方がおっしゃっていたのですが、ある時、大阪からIT企業の若者が来てくれて、何か手伝うことはありませんかと尋ねられた。その職員さんは、それならばと仮設の間をつなぐネットワーキングシステムの作成を頼んだそうです。しかし断られてしまった。その若者は、避難所、とにかく現地で何かさせてくださいと言い張ったのだそうです。
これは不思議な話で、以前、会社で嫌われる職業のことを3Kと言っていました。「きつい」「汚い」「危険」の3K。誰もがこの3Kの職場を回避しようとしていたわけです。しかし、このボランティアの若者はこの場合、逆に自ら3Kを望んだのです。労働の現場では3Kの仕事を嫌がり、個人の活動としてやる場合はむしろ3Kを望む。働く喜びが労働の現場では得られなくて、非労働の現場でその喜びを感じたいという、倒錯した労働観がここにあるわけです。
ワークライフバランスという言葉があります。ワークというのは、社会の一員としてやらなければならない仕事。ライフはプライベートで、家族や自分自身のための時間。この社会生活としての労働と、プライベートの個人生活を、バランスよくしましょうという言葉ですが、私はこれは正反対だと思っているのです。つまりワークの方がプライベートで、ライフの方がむしろより強くパブリックな面をもつはずだと思うのです。会社に勤めるということは、その会社が少しでも利潤を上げられるように頑張って、他社との競争に勝とうとする。その為に、たとえ理不尽なことでも、上からの指示に従ってやっていく。これを私企業でやるわけですから、これはプライベートな活動だと言えます。実際グローバル市場を舞台に活動している企業は、法人の生き残り競争のために、社員やそれが立地している地域ではなく、株価・株主のほうを向いた経営をしている。だからコスト削減のために人員削減や工場の撤退(海外移転)なども平気でおこなう。それは「経世済民」(世を治め民を救う)という「経済」の本義から外れた軌道を走っている。もはや「経済」という活動ではないのです。
そしてライフの方は個人生活や家族生活ですが、これをプライベートな個人生活に限っているというのは、まったく間違っていると思います。ライフにはもう一つ、地域の住民としての、あるいは市民としての、あるいは国民としてのパブリックな暮らしということがあるはずなのです。ところが今の社会は会社で働くことが公的な勤めであり、家や地域に帰ればもうプライベートな私民であると、こういうイメージしかできなくなってしまっている。これは倒錯していると思わざるを得ないわけです。
先ほどの『明治大正史世相篇』の最後の文章に「われわれは公民として病みかつ貧しいのであった」とあります。つまり昭和5年の時点で、これほど我々がパブリックな存在として病み、貧しくなっている時代はないということを、柳田は人々に訴えていたわけです。例えば、かつては一人一人がパブリックな存在として、地域の中に自分たちで責任を持って互いに担っていたような役割も、今では、流通も教育も司法も医療も、全てが国家システムの中でプロが養成され、そのサービスを、税金、もしくはクライアントとして我々がお金を支払い、サービスを買うというかたちで享受するようになりました。これは公民として、我々がいかに貧しくなったかということを表していると思います。
哲学者のカントは、人間の知性の使用には、プライベートな使い方とパブリックな使い方の2種類があると言いました。プライベートな使用というのは、この場合、単に自分自身のためにという意味ではなく、自分がたまたま属している組織や自分にあてがわれている社会的地位などを考慮して知性を使うことを意味していました。ですから、会社がもうかるように一生懸命工夫を重ねるというのも、カントに言わせると知性の私的使用になるのです。ではカントが知性の公共的使用と言ったのは何かというと、自分が属している組織や社会的地位について、無批判的にただ指示に従い、利益を追求するために知性を使うのではなく、本当にそれはよいことなのかという批判的な見方ができるということでした。つまり、人類の立場に立ち、世界市民の立場に立って、自分の活動に対して批判的な視点を持つことで、これを知性の公共的使用だと言ったわけです。
さらにもう一歩踏み込んで言えば、私は宗教というものは、それすらも批判していくものだと思っています。つまり世界市民の立場、人類の立場から人間の知性の私的使用を批判すること、そのこと自体もさらに相対化していくのです。それもまた結局は人間の利益に資する立場ではないかと、さらに批判的に見ていくような視点というものを、宗教は歴史のなかで育んできたのだと思います。
鶴見俊輔さんの『かくれ佛教』(ダイヤモンド社)という本があるのですが、その中で彼は「宗教は人類の敵でないといかん」ということを言っています。「もし宗教があるとすれば、国民全部を敵にする、人類全部を敵にするというのでいいんじゃないの。世界の国家軍全部を敵にする。そういう一応少なくとも想像力で捉えることができなければ、何の宗教か。私はそう思うね。宗教の重大な礎というのは、人間に対する反動じゃないかなと私は思う。ヒューマニズムじゃないと思う。ヒューマニズムのなかに、むしろ人間に対する反動が含まれている。そこだと思うね。仏教の歴史を考えてみると、そういう反動位置を掘り当てているような気がするんだ」。つまり人類に対してすら反動位置を取り続ける。人類全部の敵になってでも主張し続ける。これが宗教というものだと思うのです。この意味で、先ほどの「善悪の字しりがおは おおそらごとのかたちなり」という親鸞の言葉は、宗教というものが、ヒューマニズムの立場で何か訳知り顔の話をしておしまいなのではなく、そういう立場すらも批判し相対化していかなければならないものなのだと、こういうことを言っているのだと思います。
パブリックな共同体を取り戻す
鷲田 そう考えたときに、いま私たちにとっての大きな課題とは、もう一度パブリックなまなざし、「共同防貧」のまなざしを持って、そして公共なる場というものを、どうやって作っていけるのか、ということだと思うのです。そして、これから私たちが作っていかなければならない、その公共のアリーナというものは、同時代の人間だけでなく、過去に死んでいった人たちや、まだ生まれていない未来の人たちをも、対話の相手として含むような対話の場であるべきだと思います。
高橋 先ほど職人の話が出てきましたが、ぼくたち作家が何を考えて書いているかというと、それは50年後の読者のためだと思います。作家がものを書くというのは極端にプライベートなことだと考えられがちなのですが、実はとてもパブリックなことだと思っています。どうしてかというと、作家は自分がオリジナルな言葉をつくっているとは思っていないからです。先輩職人がたくさんいて、その人たちが何十年、何百年前につくった言葉を借りて書いているという意識が強い。だから創作ではなくて借り物です。つまりパブリックな小説空間の中に、先輩が置いていったものを使って、50年後の読者、もしくは後輩に渡しているという意識です。だからプライベートだと思って書いている作家はだいたい駄目なのです。優秀な作家というのは、実はすごく公共的な空間の中にいるとぼくは思っています。
資本主義が進んでいくと、人間はだんだんプライベートな存在になっていきます。共同体を壊し、家庭を壊し、一人になっていく。なぜならその方が、物がたくさん売れるからです。テレビは家族だと1台しか売れないけれど、4人家族が全員ばらばらになれば4台売れるわけですね。ですから資本主義社会は、人間が孤立すればするほど物が売れる社会で、その結果、ぼくたちを孤立したプライベート空間に入れ込んでしまうのです。それによって、ぼくたちはさまざまな、パブリックなものを失ってしまうわけです。それはある意味で、歴史の必然的な流れでもあるわけですが、この波に対向するためには、やはり公共的なものを取り戻すしかない。その公共的なものというのは、ある種の空間であり共同体になるだろうと思いますが、先ほどご紹介したいくつかの共同体の中に、実はそのひな型が生まれているのではないかとぼくは思っています。
平川 私が今お二人のお話をお伺いしながら考えていたのは、有縁という言葉でした。私たちは有縁の世界に住んでいます。有縁というのは言葉を換えれば、限界のある世界に住んでいるということです。私たち自身は空を飛ぶこともできないし、機関車のように走ることもできないし、少し歩けば疲れてしまう。もともと人間というのは、今みたいに世界のあちこちを飛び回っていたのではなく、せいぜい1㌔㍍四方以内で、生まれて、やがて年老いて死んでいくような生物だったわけです。
この有縁の世界に対して無縁の世界というものがあります。これは網野善彦さんのおっしゃっている「市」というものですね。市場では世界中から人々が集まって、出身も家族も職業も関係なく、お金さえあれば誰でも物を等価交換できる。そういうところに無縁の世界が生まれたわけです。振り返って考えてみますと、私たちはその無縁の世界を、今や世界規模にまで広げていき、その反動として有縁の世界をどんどん狭く小さくしていったわけです。その結果、無縁の世界から見ると有縁の世界は、ひどく非効率であり、因習的な前時代の残滓だと考えるような風潮が生まれてきて、どうやら私たちも、いつの間にかそういった無縁世界の思考、等価交換の思考に捉えられてしまっているわけなのです。でもこの有限の世界は、非効率だけれども決して無意味などではありません。もともと私たちには、そんなに大きなことはできないですよ。本当は身の回りのことしかできないし、手持ちの言葉しか使えないし、その中でなんとかやっていくしかない。人間というのは始めから有縁であり有限な存在なのです。そういうことに実は大切な意味があるのだということを、私たちはもう1回学ばなければならないと思います。
あらゆる倫理や価値観といったものは、物には限りがあるというところからしか生まれないと私は思うのです。人間は死ぬ存在であるからこそ、生きるという価値観が生まれる。これがもし永遠に生きるのであれば、誰も生の意味を考えないわけです。ですから、無縁の世界に捉えられながら生きている私たちが、本来の居場所である有縁の世界を取り戻すということが大事なのだと思います。その一番の手掛かりになるものが、やはり先ほどから高橋さんがおっしゃっているような、中心に弱き者、つまり限界をたくさん持っている者を置いた共同体なのではないかなと思います。
鷲田 縁ということで言えば、血縁や地縁などがあります。でも血縁は戻れないし、地縁ということ以前に今は地域社会自体が壊れてしまっている。かつての日本社会には、会社の縁、社縁というものもありました。会社が国の代わりに福利厚生の面倒をみてあげて、運動会なども社員の家族を呼んでやったりする。しかしもう今は、解雇をできるだけしやすくするため、会社も冷たくなり、社縁ということもなくなってしまいました。
そういう状況の中で、縁ということを考えるときに、無縁をネガティブに語るのではなくて、ポジティブに語るべきではないかと私は思っています。というのは、かつてのお寺というのは、貧しい人や、何か罪を犯して村八分にされた人など、世間から縁を切られて落ちこぼれてしまった人たちに対して、理由も名前も素生も聞かないで、取りあえず泊めてご飯を食べさせてあげたりしていたわけです。つまり縁を切られた悲惨な人を懐深く受け入れる場所で、そういう無縁ということを通じて縁が起こる場所が、お寺だったと思うのです。そういうかつてのお寺のようなイメージが、これからのパブリックな社会の在り方ではないかと思います。
平川 無縁を契機として縁をつくる。まさに無縁の縁ということですね。震災後のボランティア活動などを見ていると、そういうものは少しずつ生まれてきているし、例えば若い人たちが今シェアハウスみたいなことをやったりしていますが、ああいうものも非常に新しいかたちの縁のつくり方だと思います。
高橋 まさに求められているのは縁の再構成ということなのですが、それは単に元の地縁に戻るとか、血縁に戻るということではありませんね。まったく縁のない、バラバラな人たちが集まっていける場所というものを、これからはなんとか作っていかなければいけない。しかし、そこには集まることができる理由としての吸引力というものがなければならないわけです。ぼくはその中心にいるべき人たちというのが、強いリーダーのような人ではなくて、いろいろな困難を抱えている弱い人たちなのではないかと思っているのです。
鷲田 今は若者にとってつらい時代だと思います。みんな物心つく前から色々な試験にさらされて、心に傷をため込んでしまう。試験に落ちるということは、要するにあなたの存在は不要です、私たちの組織にはふさわしくないですよと、存在を否定されることと同じなのです。今は就活で平均したら30社ぐらい回るそうですが、それって「あなたの存在は不要です」と、宣告されてまわるということですよね。
最近は「代わり」という言葉がすごくネガティブに使われています。ここで働くのは別におまえでなくてもいい、お前の代わりはいくらでもいるぞと、こういう使い方ばかりです。でも、そういうネガティブな語りではなく、高橋さんがおっしゃっているような、弱い人を中心にした集団では、同じ「代わり」という言葉を使っても、もしあなたができないなら誰かが代わりにやってくれるよと、ポジティブに語られていくわけです。私はいつもそういう言葉に触れていられるというところが、本当の意味で安心できる社会だと思いますし、それが本当は一番強い社会だと思うのです。