格差社会×仏教-人間の闇と希望-(1) | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2019年05月24日

Category 親鸞フォーラム

格差社会×仏教-人間の闇と希望-(1)

パネリスト 浜矩子 湯浅誠 木越康 コーディネーター 鶴見晃

2016 年6 月19 日(土)、JPタワーホール&カンファレンススクエア(東京都千代田区)を会場に「親鸞フォーラム―親鸞仏教が開く世界」が開催されました。
本抄録は「格差社会I×仏教-人間の闇と希望―」をテーマに行われたシンポジウムの内容です。

鶴見 第11回目の今回は「格差社会×仏教― 人間の闇と希望―」というテーマで開催させていただきます。格差社会ということは、特に2000年前後から話題になってきましたが、近年では特に社会的なトピックになっているかと思います。考えてみますと、それこそ親鸞の時代や、1億総中流と言われた時代であっても、格差や貧困の問題は変わらずあったわけです。しかし今、あらためて大きな社会問題として挙げられてきているところに、現代の不安、生きづらさということが見え隠れしているように思います。私自身、こうして表面化されてくるまで、この問題にほとんど気づくことが出来ていませんでした。そういった現実を見えなくさせていた、私自身が抱えている存在の闇という問題も、一人の仏教者として考えていかなければならないと感じています。

 それでは、最初に浜さんからお願いいたします。

共感性を有する“抱擁社会”

浜 今日は非常に重要なテーマを頂いたと感じております。まず始めに格差社会は、どこに問題があるのかということを、私にとって身近で関心の強い三つの世界から考えてみたいと思います。一つ目は『聖書』の世界です。二つ目はロック音楽の世界。そして三つ目は教科書の世界。この三つの世界において、格差ということがどのような扱われ方をされているのかということを、皆さんと共有させていただきたいと思います。

 まず一つ目ですが、『新約聖書』の中に、次のようなお話が出てきます。

 一人の大金持ちと一人の貧乏人の話です。ある大金持ちが、自分の大きなお屋敷から毎朝出掛けていくと、必ず屋敷の門前に貧乏人がいる…

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