2019年05月14日
Category 親鸞フォーラム
2017年3 月19日、丸ビルホール&コンファレンススクエア(東京都千代田区)を会場に「親鸞フォーラム―親鸞仏教が開く世界」が開催されました。本抄録は「社会× 共育× 仏教-育つ力、育む力―」をテーマに行われたシンポジウムの内容です。
本明 現代ではインターネットの普及により、居ながらにして世界中の人とつながることができるようになりました。しかし一方で、格差社会や無縁社会と表現されるように、孤独感や疎外感の中で、多くの方が苦しんでおられる事実があります。また最近、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の炎上やネット上での過剰なバッシングなどが、たびたび取り沙汰されているように、人が人を許し合うことができなくなる、不寛容社会とも言われています。
よかれと思ってつくり上げてきた社会の中で、いつしか私たち自身が生きづらさを抱えてしまっている。かつてない便利さや快適さの代償に、何か大切なものを見失っているのではないか。「人と生まれて人間となる」という言葉があるように、「人間」とは関係性の中で生きるものとして確立されていくのでしょう。そこでは育まれ、育つ場が開かれていることが何よりも大事であることを思います。
そこで今回は「社会× 共育× 仏教―育つ力、育む力―」と題して、そうした社会の状況、私たち人間の在りようをもう一度問い直し、本当の意味で私たちが共に育ち、育まれていくという場が、どのようなかたちで開かれるのかということを考えてまいりたいと思います。
小島 私の両親は昭和8年と12年の生まれで団塊世代ではないのですけれども、私は団塊ジュニアと言われる世代の一番年上のグループに当たります。非常に人口が多くて、小学校などは生徒が入りきらないから校庭にプレハブ校舎を造っていたような時代です。両親たちは、日本が経済成長を続けていた時代に実体験とし…