格差社会×仏教-人間の闇と希望-(3) | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2019年05月24日

Category 親鸞フォーラム

格差社会×仏教-人間の闇と希望-(3)

パネリスト 浜矩子 湯浅誠 木越康 コーディネーター 鶴見晃

2016 年6 月19 日(土)、JPタワーホール&カンファレンススクエア(東京都千代田区)を会場に「親鸞フォーラム―親鸞仏教が開く世界」が開催されました。
本抄録は「格差社会I×仏教-人間の闇と希望―」をテーマに行われたシンポジウムの内容です。

“自己責任”という錯覚

木越 先ほど湯浅さんの、いわゆる貧困と非貧困の世界は交わらないというお話が印象深いのです。私自身、格差や貧困という言葉は知っていても、その現実をほとんど知らないままに過ごしてきました。恥ずかしながら今回のテーマを受け、初めて注意しながら観察し考えるようになったのです。すると、例えば京都の小学校現場に就職していった卒業生などからでも、たくさんの子どもたちの間で貧困問題が起こっているのだという話が聞こえてくるようになりました。私自身、それまで貧困というものをそれほど深刻に考えることのない場所にいましたが、少し意識するだけで、途端に目に入ってくるようになる。それほど身近におおくの貧困問題があることに驚きも感じたことです。

 身近で起こっている問題であるのに、恥ずかしながら、なぜか視野に入ってこない。まずはその理由について考えてみました。それは自分の中で、この問題は終わったものだと錯覚していることが、第一にはあったと思うのです。私は50歳を少し過ぎていますが、子どもの頃には周りで確かに貧困を目にし、感じる風景もありました。それが、いつの間にか見えなくなっていった。私の生活空間が変わっていったのか、あるいは社会が変わっていったのか。おそらく相互効果でしょう。加えて、特にバブルのあたりで1億総中流ということが言われた時に、あたかも貧困というものがもう日本には存在しないかのような錯覚を受けてしまって、それがずっと取れないままに現在まで来ているように思います。湯浅先生もおっしゃったように、一方の世界に居続けたからこそ気付けな…

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