社会×共育×仏教―育つ力、育む力―(2) | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2019年05月14日

Category 親鸞フォーラム

社会×共育×仏教―育つ力、育む力―(2)

パネリスト 齋藤 孝 氏 小島 慶子 氏 一楽 真 氏 コーディネータ 本明 義樹 氏

2017年3 月19日、丸ビルホール&コンファレンススクエア(東京都千代田区)を会場に「親鸞フォーラム―親鸞仏教が開く世界」が開催されました。本抄録は「社会× 共育× 仏教-育つ力、育む力―」をテーマに行われたシンポジウムの内容です。

「雑談力の練習」で社会性を育てる

齋藤 私は今、明治大学で中学、高校の教師の養成に携わっているのですが、今の日本では、学校が子どもの生活の中で大きい比重を占めているという現状があります。学校で友達関係がよくなくなると居場所がなくなってしまう。本来は、学校の他に、家庭や地域社会というところが割合としてあったと思うのですが、今、地域社会が以前ほど機能しなくなっているために、子どもの生活が、かなりの部分、学校で占められている。その学校の人間関係を教師が全部整えるというのは、なかなか難しいことなのです。その難しいところで仕事を、教師たちはしているということです。

 例えばブラック企業ということが問題になっていますが、中学、高校の教師というのは、多くの教師が部活動の付き添いで出ているわけです。土日も、夏休みもそうです。そういう中で、一番難しい年頃の子どもたちを多数、指導していかなければいけないというのは大変な仕事で、それに対する社会のリスペクトが足りないということを私は常々感じています。土日もなく、夏休みもなく働き続け、そして家でも一番厄介だなと思う年頃の中学生男子女子を、あれだけの人数抱えて、例えば修学旅行にも行って帰ってくる。他の仕事も大変ですが、社会の中で教師が担っている仕事が、以前より重くなっていることを分かってほしいのです。

 言い換えれば、家庭の教育力が落ちてきているということです。昭和の典型的な家庭は、比較的安定的な家族の形態を保っていた家が多いのです。例えば、どこの家庭でも新聞はみんな取っていた。そこに新聞を基盤にした知的向上の雰…

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