2021年12月14日
Category サンガコラム終活
約50年前、医学生のころ、初めて瀬戸内海にある「長島愛生園」(岡山県瀬戸内市)に行った。ハンセン病の療養所。多くの人に会わせてもらい、人生の一つの羅針盤を与えられた。
今回書こうとしているのは、ハンセン病療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)の自治会機関紙『菊池野』2021年7月号24頁に記されていることをまとめた、たったの一行。
初めて訪れた長島愛生園、当時はたくさんの入所者の方たちがいた。1000人近かったと思う。「飯でも食べていけ」と声がかかり、ビールをよばれ、辛い昔話も聞かせてもらった。「うちにも寄ってけー」とあちこちから声がかかった。40代、50代の人たちが多かった。
光を失った人たちのハーモニカ楽団の「青い鳥楽団」があった。楽長は近藤宏一さん。少年の時からハンセン病のため入所し、園内の新良田高校に通い成人し失明する。失明している人たちに声をかけ、ハーモニカ楽団を結成、園内だけでなく関西地方でも演奏会を開いた。「目で聞き耳で見る」という仏教の教えの中の言葉に、思わず膝を打つ。2009年他界。その近藤さんも当時40歳だった。失明してもいつも前を向き、希望に繋がる言葉と音を発する姿勢が立派だった。
ハンセン病療養所に入所していた多くの知人たちは他界されていった。時代は大きく変わる。らい予防法廃止が決まったのが1996年、その時の全国の療養所入所者数5300人、国家賠償が決まったのが2001年。その時の入所者数は4400人。2017年には1500人となり、学生のころからハンセン病のことに関わっていたFIWC(フレンズ・インターナショナル・ワークキャンプ)関西委員会は、全国の入所者の人たちに現在の気持ちをアンケート用紙に記してもらい、その発表を兼ねフォーラムを開いた。
時が経ち、2021年の『菊池野』7月号に記されていたその頁を一行で表わすと、「全国入所者数一〇〇一名、平均年齢87歳」(2021年5月現在)
多くの入所者は不自由となり、園内の病棟に入院か、不自由者センターに入所している。「2025年、私たちは消滅します」と言った一人の入所者の予言が、現実になっていく。
徳永 進 (医師)
1948年鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、01年、鳥取市内にホスピスケアを行う「野の花診療所」を開設。82年『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞、92年、地域医療への貢献を認められ第1回若月賞を受賞。著書に、『老いるもよし』『死の文化を豊かに』『「いのち」の現場でとまどう』『看取るあなたへ』(共著)など多数。