2021年12月06日
Category インタビュー
時代やジャンルの枠を越えた、柔らかくも情感あふれる歌唱と、そのナチュラルなライフスタイルが幅広く支持されている。
医師とミュージシャンの二足のわらじ生活だ。NHKの朝の連続テレビ小説『おかえりモネ』の挿入歌もアンさんだった。
大学進学時には、歌と医師、どちらの道に進むか迷った。小児科医である父に「どちらもやっていけばいい」とアドバイスされ、上京した。ブルースやジャズを演奏するサークルに入り、ライブハウスで歌うようになった。卒業後、医師として都内の病院に勤め始めても歌はやめなかった。29才でCDデビュー。先輩医師のすすめでアメリカのニューオーリンズの血圧の研究センターへ。
私は日本で生まれながら、外国籍なものですから、いろいろな世界を見てみたいという希望があったんですね。いったい自分がどんなキャラクターなんだろうと、一度外から見てみたかったのです。ニューオーリンズはジャズが生まれた町なので、信じられないくらいの数の演奏が昼夜を問わずあるんです。研究所で仕事をしながら、しばしばジャズクラブに通いました。
日本では、ジャズといえば、おしゃれな音楽をお酒やコーヒーでも飲みながら聴くという、「環境音楽」のように捉えられていることもあるかと思います。自分も、そんなイメージの延長線上で、素敵な音楽だなって思って歌い始めたようなところがあったのです。ニューオーリンズに行って、当たり前ですけど、向こうは歌詞が自分たちの言葉なんですね。言葉と音楽がものすごく密接に関係していることに、改めてびっくりしたんです。うわあ、恥ずかしい。それまでの自分の歌が、ただ言葉をなぞるようであり、そこまで深く意味を込められていなかったのではないかと気がついたんです。そんなことがあって、やはり日本語で歌いたいという気持ちがどんどん強くなって、それからは、日本語の曲が増えましたね。
歳を重ねるごとに自分を手放し、どんどん身軽にラクになっていったように思う。自分が幸せになる術を考えるより、周りの人が幸せになる姿を眺めているほうがハッピー。医師として患者さんに向き合うことも、誰かの心を少しだけ癒す歌を歌うことも、アンさんにとっては同じことのように思える。
若いときは、仕事の悩みを家に持ち帰って眠れなくなったり、がむしゃらに頑張ったりしていたのですが、年齢を重ねることで力の抜き加減がわかってくるんですね。病気やつらい心理状況ゆえにこわばってこられる患者さんと向き合うのに、こちらもこわばるのではなく、いかに力を抜くかみたいなことは歳をとった人ほど長けてくるのかなと思うと、歳をとるってまんざら悪いことではないなと思います。
人って自分でコントロールしなくても息をしていますよね。すべてを自分でコントロールしようと思わなくても生きていける。力を抜くっていうことで言えば、歌も相当力が抜けていないとできないことなので、音楽をするうえでも、医者として患者さんに接するときの心構えとしても、大切なことだと思っています。
<Profile>
アン・サリー
1972年、名古屋市生まれ。2児の母親。幼少時からピアノを習い音楽に親しむ。大学時代より本格的に歌い始め、卒業後も医師の傍らライブを重ねる。2001年「Voyage」でアルバムデビュー。0 3年「Da y D r e am」「MoonDance」のロングセラー以後、待望の最新CD「Bon Temps」を含む多数アルバムを発表。また、数々のCMや「おおかみ子どもの雨と雪」など映画の主題歌を歌唱し、日本全国、アジア地域へも演奏活動を広げる。
写真・児玉成一