2022年12月04日
Category サンガコラム
「うまくても、へたでも、いっしょにできる。すばらしいことです」
今年、ある学生が感話※で語ってくれた言葉である。今の時代にもっとも求められていることだと思う。※その時の自分の率直な気持ちを述べる、仏教の教育で一番大切なひととき。
お坊さんの学校なので、その学生はお勤め(お経や親鸞の作った『正信偈』に節を付けて唱和すること)について言ったのだが、今日の社会の風潮ではなかなかむずかしいことだ。
たしかに日本国憲法の第十四条には、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と基本的人権の享受をうたっている。しかし、現実の生活場面では、できる・できないの能力や資格、業績で人間が厳しく選別されていく傾向が強くなっているように感じる。
ねがいみも こころもはだかで ありたいありのままのにんげんで ありたい
原爆被害の人たちと歩んできた米津優喜子さんが、『歎異抄』に出会って詠った詩である。峠三吉の「にんげんをかえせ」の言葉を思い起こす。戦禍の激しい苦痛と深い哀しみが記憶の底に埋もれていくにつれて、豊かさと便利さの暴流にのみこまれ、「にんげん」であることがすり減っていないだろうか。
『歎異抄』の世界は、われもひとも共に、凡夫(ただのひと)として出会っているという「にんげん」の事実を教えている。
昨年、別の学生は人間を回復するすばらしい言葉をのこして卒業していった。
「あなたがあなた自身であることに近づいていきたい」
狐野 秀存(大谷専修学院 学院長)