世のいのり ―― 平和|サンガコラム「深慮遠望」 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2024年03月01日

Category サンガコラム

世のいのり ―― 平和

深慮遠望VOL.20

 

 「生涯をかけて、芝居を通じて、私は平和を訴えつづけていきたい」 昨年11月、朝のNHKラジオ番組で、俳優の仲代達矢さんが語っていた。仲代さんは91歳になられるということだ。後につづく人たちに伝えたいひと言なのだと聴いた。

 仲代さんは昭和ひと桁生まれだから、たぶん小学校では「ヘイタイサン ススメ ススメ」の教科書から勉強が始まったのだろう。仲代さんと同世代のK先生は、「兵隊になって死ぬのだと教えられていたので、日本の敗戦で『世間虚仮』ということが身にしみてわかった」と語っておられた。同じくT先生は、何か問題が起きるといつも「あなたの考えでなく、事実はどうなっているのですか」と言われた。戦時中、多くの人が事実を知らされていなかった、事実を知ろうとしなかった、苦い記憶があったのだろう。

 1936年生まれのN先生は、「私の下の名は、戸籍では旧漢字なのです。戦後、進駐軍の指示なのでしょうか、小学校の先生に当用漢字に直されたのです。本来の旧漢字で書くようになって、自分に戻った感じです」と、笑いながらおっしゃった。

 平和は日々の生活の中で、一歩一歩足もとを確かめてあゆむ細い一本道のようなものだ。

 平和の「和」という文字は深刻な問題をはらんでいる。漢文学者・白川静先生の説によれば、「禾」は軍礼を行なう所で、「口」は神に誓って服従を約し、降伏媾和をあらわす形だという。だから平和といっても敗者に怨念が残る。戦争が終わって平和になったという。しかし、戦闘はいったん休止したが、軍事は継続しているのが戦後の「平和」ではないだろうか。戦争と平和は背中合わせなのだ。

 作家の高史明氏は「浄土を信ぜずして、どうしていまの時を曇りなく生きられましょう」(『念仏者の平和』1983年、東本願寺出版)と、真の平和の基礎を指し示している。

 

 

 

 

狐野 秀存(大谷専修学院 前学院長)

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