2016年06月15日
Category 親鸞フォーラム
仏教と生命―いのちのゆくえ―
2011年2月6日(日)
パネリスト
養老 孟司 氏(解剖学者・東京大学名誉教授)
福岡 伸一 氏(青山学院大学教授)
織田 顕祐 氏(大谷大学教授)
コーディネーター
木越 康 氏(大谷大学教授)
木越 仏教者と生命科学者によるシンポジウムということで、人間と生命の問題についてお話しいただきます。初めに、生命とは一体何なのかということについて考えていきたいと思います。
福岡 生命とは何か。これは人類始まって以来ずっと問われ続けてきた問題です。今、もし私が生命とは何かと問われたら、それは動的だと答えたいと思います。動的平衡は、遥か昔から語り継がれてきた生命観であり、現代の生物学が再発見した生命観でもあります。
生命、もう一つの言い方として生物という言い方があります。生物を生物として見ると、文字通りモノなのです。しかし、生物が生命を宿しているものだと見ると、生命はモノではなくて現象です。そしてその現象の在り方が絶え間なく動きながら、平衡、バランスを保っているものとしてあるわけです。
GP2遺伝子ノックアウトマウスという、遺伝子操作された特別なネズミです。私が見つけたGP2という遺伝子が何をしているのかということを調べるために、最先端テクノロジーを尽くしてこのマウスはつくり出されました。このマウスの全身の細胞にはGP2の遺伝情報がまったくありません。もしも、このマウスが病気になったり、異常行動を示したら、それはGP2がないから、と考えられるわけです。
私はこのマウスを観察し続けました。ところが、どこにも異常がないのです。一つ部品がないにもかかわらず、どうして生命はまっとうなものとしてあるのか。私は研究上の大きな壁にぶつかりました。けれども、そんなときに、ある人が言っ…