親鸞 いまを生きる | 真宗会館コラム | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館
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対談

親鸞 いまを生きる

親鸞 いまを生きる

姜 尚中 氏(東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長)
本多 弘之 氏(親鸞仏教センター所長)

対談:親鸞 いまを生きる

編集 姜さんは親鸞の生きた750年前の日本の宗教改革というのは、西洋で起こったルター、カルバンの宗教改革より500年も先行する先駆的なものだったのではないかということを話されていますね。

 親鸞が登場してくる時代と今の時代は、何か似通った部分があるのではないかと考えています。そう考えたのは、私がNHKの『日曜美術館』という番組に出演する経緯にあったアルブレヒト・デューラーの影響があります。
 デューラーは、ちょうど1500年に最後の自画像を描いています。16世紀ヨーロッパの内戦の時代に描かれたものですが、初めてそれを見たとき私は20代の終わりでしたが、こころが震えました。自分がどう生きていいか分からない時に、デューラーの内戦の時代をいかに生きるかという眼差しが私に語りかけてきたのです。
 今を内戦の時代とは思いませんが、何か16世紀と似通った面があるのではないかと思うのです。どのように生きたらいいかということが分からなくなって、世界中でいろんな騒乱が起きている。おそらく日本ではそういう時代が13世紀の初頭だったと思います。あの鎌倉の時代に法然や親鸞など、世界的にも珍しい稀有な宗教改革者が、なぜ続々と出てきたのでしょうか。

本多 京都を中心にした平安貴族の爛熟期が武士の勃興で大きく壊されて、それまでの価値観が破壊され、それまで無価値と思われたようなものに取って代わられた。そういう事実が繰り返し起こり、人々の根底がひっくり返されるような不安感というものが背景にあった。それで続々と日本の歴史にもないような宗教者が誕生してきたということが起こったのではないでしょうか。

 あの時代に親鸞が直面したのはどういう人々だったのかと、よく考えることがあります。例えば『枕草子』の世界は、門の向こう側に累々と餓死者や、一般の名もなき人々がいても関係のない別世界ですね。
 芥川龍之介の『羅生門』に出てくる世界は、まるっきり絶縁された中で、恋愛の話や宮中の雅が出てくるのですが、そういう世界は崩れていって、門の外にいる多くの名もなき人々が出てくるような想像をしてしまうのです。やはり13世紀はそういう時代だったのでしょうか。

本多 そうだと思います。親鸞は、家族の没落が出家の起源なのです。一応は末流貴族だが、伯父は学者であった。そういう学問の系譜の家に生まれた。けれども貴族社会を目指して育っていく過程で、武士階級がからんだ権力争いに破れ、家筋の全員が出家せざるを得なくなった。つまり子どもである親鸞が1人で出家したということは、家族の崩壊だけではなく、それまで立っていた貴族制度の立場がひっくり返されたということです。そのことは親鸞にとってはものすごい衝撃的なことで、そのことがあって何か決まった価値というようなものは受け付けず、何が真実なのかを求めて歩み出したのではないかなと思います。

 考えてみると、日本も戦後、民主主義がいい、自由がいい、そしてアメリカのように豊かになればいいという、何か確固とした価値があるかのような思考の刷り込みがありました。けれども現在は、日本だけではなく世界中でがらがらと大伽藍が崩れるような時代になっています。そういう点で、親鸞の生きた時代に似ていると思うのです。

本多 現代は、科学技術が進んできたことによって人間が要らなくなるという時代です。若い人たちの就職もなく、ワーキングプアが増えているということは、結局文明が発達したことによって人間が要らなくなったという状況が来たということです。
 そういう意味でいえば、今までの立っている立場を大きく変革しなければならないという点では、危機感として似たところはあるのかもしれませんね。

 マックス・ウェーバーが『世界宗教の経済倫理』の第2巻にヒンズー教と仏教を扱っていて、最後にアジア宗教の基本的性格という結論があるのですが、その中で鎌倉仏教に言及しています。
 彼の目では、ルターがソラ・フィデ、信仰のみと説いたことと同じようなものが東アジアの極東の1島国の中に出てきていると見られているのです。その中で、これはキリスト教の言葉ですが、2つの神義論について語っています。自分たちが幸福で、美を独占して金もあって、健康で幸せで、そのことを正当化する教えが一方であるとすると、もう一方に、どうして自分はこんなに不幸なのか、どうして自分は貧しい家庭に生まれたのかというような問いがあり、それに答えてくれるのが、信仰や教えではないかと。そのときにウェーバーは、不幸というのは、未来の価値が逆転すると言いました。キリスト教では、貧しき者が幸いなりと言います。
 親鸞は、肉親が戦災で死んだり、子どもが病で亡くなったり、飢餓の中でうめいているような不幸のどん底にいる人たちに対して、どのような課題を持たれていたのでしょう。

本多 親鸞は比叡山に入って、自分と時代の苦悩を背負って、本当に仏教が救いをもたらすものであるならば、何とかそのことを身につけようと必死に修学に励まれたに違いないと思うのです。親鸞の若い時代については文献がなく分からないのですが、後に『教行信証』を書かれた膨大な知識量と資料の扱いなどを見ると、若い時代に相当学ばれたことが分かります。

 比叡山のどこに親鸞がいたのかということもよく分からないのですが、大正10年(1921年)に恵信尼という方が娘の覚信尼に書かれたお手紙が見つかり、その方が親鸞の奥さまということが分かり、またそこに親鸞が「堂僧」であるという言葉があった。堂僧というのは、比叡山の常行3昧堂というお堂で勤めをする僧侶のことです。常行三昧堂というのは、阿弥陀如来を本尊として、僧侶が修行するための道場です。親鸞はそこの役回りをしていたとあった。ですから、おそらく自由に文献を読める立場でもあり、修行を指導している合間には学ぶ時間もあるような地位にいたのではないかと最近の親鸞伝では言われています。
 そういう親鸞が仏道を全うして人々を救いたいという願いで29歳までの20年間、必死に学んだのですが、比叡山での学問と修行では成就しなかったのです。それで自分も他人も助からないという苦悩にあえいで、山を下りて6角堂に参籠し、その後、親鸞は法然を訪ねたわけです。

 親鸞は、おそらく知を究めれば己も人も救えるのではないかと思い修行していた。それを断念したのは、知の道では救いにならないと考えたからではないでしょうか。
 ヨーロッパというのは、ベーコンの言葉で言うと、「knowledge is power(知は力なり)」という社会です。私たちも知識をたくさん持った人を偉いと思い、その人の言うことに従っておけばといいと安易に思うわけですが、従っていても全然救われません。私が、親鸞について興味があるのは、イエスがパリサイ派を批判して出ていったことと似ていますし、知識ではなくて信仰というふうに180度変わってくるところなのです。
 私は最近、インテレクチュアル(知的)だから人が救えるわけでも何でもない、ということを痛感しています。親鸞は20年間、比叡山で修行をして山を下りました。法然のもとを訪ねた動機は、膨大な知識を持っていても、やはりそれでは自分も人も救えないということに気づいたのでしょうか。

本多 動機については、先ほどの『恵信尼消息』に「後世の助からんずる縁にあいまいらせんと」という言葉で、そこから法然のもとを訪ねたとあります。大乗仏教ですから、自利利他円満を求めて修行と学問をさんざんやったけれども、結局、利他はもちろんのこと、自利も成り立たなかった。
 先ほど絶望という話も出ましたが、おそらく自分の存在の意味が問われるような状況で6角堂に籠った。親鸞は、幼いときから両親に代わって、自分に寄り添ってくれていたのが聖徳太子であるという個人的な信仰を持っていたようです。
 それで観音の化身と信じられていた聖徳太子がまつられているとされる京都の6角堂に100日籠るのですが、95日の暁に示現を得たというのです。多くの説がありますが、95日の暁に法然のもとに行けという暗示を受けて、「100か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りて」と、法然のもとに100日通ったと恵信尼は書いています。そして、『歎異抄』にあるように、「たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」と、念仏の他に助かる道はない、法然を信じてついていこうと、弟子入りすることを決心したのです。

 地獄に堕ちても後悔しないと言ったわけですよね。

本多 法然が確実だから信じたのではなく、だまされるかもしれないけれども、それしかないと信ずると。法然の念仏の教えに自分の人生を預けるという意味ですね。

 法然にすべてを預けるというときに、もしかしたら自分は地獄に堕ちるかもしれないけれど、それでもいいと。これは大変な覚悟ですね。
 夏目漱石も鎌倉の円覚寺で座禅をしています。それから『門』という小説の中でも、結局最後は、われ信ずるゆえにわれありと言えなかった。近代的な知識人は、その1線を越えられないとよく言われています。地獄に堕ちるということは、谷底のような深淵の中に自分が堕ちていくわけです。死ぬかもしれないし、死よりもっと怖しいものがあるかもしれない。
 私も『悩む力』を書いたときに、人を信じられないという面がないわけではありませんでした。つまり私たちが1番欲しいものは信じる力です。けれども結局、信じられないから、資本主義であればマーケットをつくって全部そこにお預けする。現代社会で言うと、クラウドコンピューティングマーケットを使って外部発注しているようなものでしょう。
 人間は信じる力を失い、全部外側に委託していく。それを称してセキュリティーと言っているわけですね。何をするにしても、すべてそのような仕組みをつくっています。揚げ句の果てには、人が信じられないということがある。人が信じられないから自分に100パーセント確実性を求めていくというアイロニーに陥ってしまっている。
 親鸞がそれほどまでに信じることができた背景には、やはり20年間の苦闘があったからなのでしょうか。

本多 もちろん苦闘が背景にあると思います。苦闘と挫折を通して法然を訪ね、あらゆる疑問をぶつけたと思うのです。最終的には、法然自身に無限なる大悲を感じ、弥陀の本願という言葉で教えられている大いなるものにお預けするしかないという決断をして入門したと思うのです。
 人間はそれぞれ、生まれも、育ちも、能力も、出会う因縁も違う。けれども、『歎異抄』の後序にあるように、法然が弥陀の本願を信じて生きておられる。その弥陀の本願を信ずるという点においては、誰であろうと条件を選ばず同じだというところまで、親鸞は突き詰めてから入門していると私は思うのです。
 あの議論がいつごろあったのかということについては、よく分からないのですが、たぶん法然の前で発言して、法然もそれを認めるということは、それまでに多くの問答があって信頼関係が成り立っている上でのことだと思うのです。信心が同一であるという根拠は、人間としての権利や能力が同じだというのではなくて、存在自体を包んではたらいている大いなるものは万人に平等にはたらいているのだという、そういう深みの平等性、立っている大地の平等性ということを親鸞が確認していたということです。

 キリスト教にも神の愛という限りにおいては、人種、民族を問わずにすべて平等であるという考え方があるわけですが、現実にキリスト教が世界に広がっていくときに起きた現象は、残念ながらそれとはかなり違うものになってしまったわけですね。
 私は歴史や社会に目を向けてしまうのですが、親鸞が由緒ある貴族の出でありながら零落して、生きるために出家するしかなくなった。そして20年間、必死に修行と学問に励んだが、挫折して比叡山を下りた。たぶん死ぬよりつらいことだったと思うのですが、そこで初めて法然との出会いがあり、信仰の転換があった。
 親鸞は、「さまざまのものは、いし・かわら・つぶてのごとくなるわれらなり」とおっしゃっていますが、あの時代で下賤とされていた、本当に石ころのような人々の中に入っていくということを強く意識されていたのでしょうか。

本多 そのことについては、流罪が関係しているのではないでしょうか。親鸞が法然門下に入ってどういう生活をしていたかということは分からないのですが、いわゆる出家共同体のような形が、比叡の山を下りてもあったと思います。いわゆる出家の作法とか受戒はないにしても、布施で成り立っていた集合体があったのではないかと推測されます。
 現に9条兼実公は法然の熱心な信者で、法然自身が貴族の館に出入りしていた。天皇家に近い貴族筋も法然だけは特別だという扱いをして布施が集まってくる。それで教団の生活が支えられていたと思うのです。それが承元の法難という、天皇を中心にした体制による吉水教団への弾圧があり、4人が死罪、8人が流罪。法然と親鸞もその流罪に遭うという状況になった。親鸞は、罪人として約5年間、越後で生活していたわけですね。おそらく、その罪人として生活したということが大きかったのではないかなと思います。

 私は、東映映画で中村錦之助が演じた『親鸞』が大好きでした。まだ小学生でしたが、ものすごく親鸞の苦悩が出ていたのを記憶しています。そう考えると、イエスも大工の息子でした。大工の息子というと、当時のナザレ社会からするとアンタッチャブルに近いものだったわけです。そのイエスがに遭って、それを神の受肉とパウロたちが解釈して、キリスト教は世界に広がっていくわけです。
 私はその映画で印象に残っているのは、親鸞が名もなき人々の中に入っていく姿です。19世紀でいうと、ナロードニキの「人民の中へ」というのもありましたが、人の輪の中に自ら入っていく姿に感激しました。
 私が大学時代に宗教社会学を学んでいたときに、なぜ仏教は社会を変えられなかったかというヨーロッパの学者の発言がありました。要するに仏教は達人宗教だと。つまり、ある1人が最高の位を宗教的達人として修めるということ。おそらくこれは、自力、小乗仏教を見ての発言なのかもしれません。その例外として、ウェーバーは鎌倉仏教を描いたのではないかと思うのです。

本多 親鸞の時代は、貴族社会が没落して武士階級が勃興するという激動の時代でした。そして日本に伝わってきた仏教のサンガというものが、長年貴族社会と関係している間に形を変えていった。もちろん修行僧はいないわけではないけれど、それこそ隠遁したような形になっていて、人々の本当の救いになっていないという事実があった。
 親鸞は、ほとんど捨てられたような形で比叡の山に入って、修行僧として歩んでいたのですが、自分自身の本当に納得できる救いもなかったし、何かの折に町に出れば、それこそ苦悩の人々が見える。親鸞自身が苦悩を味わっていますから、苦悩の人々に共感する感性ももちろん持っておられたし、ある意味で絶望的状況という中で道を求めていたのではないかと思うのです。

 現代というのは、本当は信仰の時代なのではないかと思うのです。ところが現実には有象無象のいろいろな宗教が出てきて、トラブルが起きたりしているわけです。仏教もキリスト教も、いわゆる冠婚葬祭という形だけではなくて、「なぜ私はこういう目に遭って不幸になっているのでしょうか」という問いに、本当に答えられていないのではないかというのが私の率直な気持ちです。
 ドイツへ留学したときに私は複雑な気持ちになりました。「ハレルヤ、ハレルヤ」で皆がクリスマスを祈って教会から出てきたときに、寒さの中で凍えている人がいた。けれども、これから家に帰ってワインを飲んで温かいものを食べようと誰も目もくれなかった。
 そういう意味で親鸞は、形式的な宗教ではないものを、初めて日本仏教の歴史の中につくられた人なのではないかと思うのです。
 日本では毎年、3万人以上の方が自死で亡くなっています。そして社会を呪って、自暴自棄な行動に出たりする若者もいます。あるいはそういう声さえ上げられない人もたくさんいます。どうしたらそういう人たちに、1人でも2人でも何か希望を伝えていくことができるのでしょうか。

本多 親鸞の教えに触れて助かるというときには、何か状況がよくなって助かるとか、比較的に優越感が与えられて助かるということではありません。どんな状況であっても、ここにいのちがあるということについて自分で自分を認められるという眼が与えられる。つまり、今の状況がよくなったから助かるのではなくて、それこそ地獄でも生きる価値があるのだという眼が与えられる。
 文明社会というのは豊かさが価値になり、勝ち負けが価値になるなど、人間のつくった価値感が人間を動かします。そして、その価値観に落ちこぼれた人間は苦しめられるという状況ですね。ある意味で、そういう在り方全部からこぼれ落ちたところで、立ち上がれるということが、親鸞という人のすごいところなのではないかなと思うのです。
 『歎異抄』に「宿業にあらずということなし」という言葉があります。結局1人ひとりのいのちは誰にも取り換えられない。何で自分はこんなにひどい目に遭うのかという問いを持った場合は解決がないわけです。けれども、ひどい目に遭ういのちこそが、自分のいのちとして尊いのだという眼が開ける。それが親鸞の見た、人間が立ち上がることができるものの見方なのではないかなと思うのです。

 例えば、これを信じたら、あなたの家運、あるいは運勢がよくなりますよとか、不幸が続いてきたので、きっといい人と出会えますよとか、あるいは家業がうまくいきますよとか、出世しますよとか、そういうものは、残念ながらやはり現世功利主義的なもので、本当の救いではないということですね。
 『旧約聖書』の『ヨブ記』には、神を最も敬虔に信じて、何一つ、くもり一つない信仰を持っている人が出てきます。豊かで幸福で子どもにも恵まれていたのです。ところが自分の家族も財産も全部なくして、最後には神を呪うのです。なぜ自分はこんなに信心深く生きているのにと。自分は生まれてこない方がよかったと。
 その後、神との対話があって、神から信仰を試されているわけです。つまり本当に自分が地獄に堕ちるような状況になっても神への信頼を失わないかどうかを。私たちは、これを信じれば、いいことがあると思いたがるのですね。
 ですから、やはり受け入れる力というのでしょうか。自分の身内にどんな不幸が起きても、わずかな時間でも生きていた人間のいのちを、それ自体として価値あるものとして認めていけるという。
 ところが、秋葉原事件を起こした彼は、結局自分のいのちは虫けらみたいなものだと思った。虫けらみたいだからこそ、逆に人を殺すことによって逆説的に自分の存在性を社会に証明したことになってしまったと思うんです。
 また、池田小学校に乱入した宅間という人物は、何も罪もない子どもを殺害し、一言も弁明せずに淡々として、死刑を望んでいた。あの事件はいったい何なのか。あの事件が起きてから、模倣する形で幾つか事件が起きています。

本多 そうでしたね。

 悪人正機説に立てば、それでも宅間は救われるのかと問われたら、私なら絶句してしまうと思うんです。彼がしたことは、絶対的な救いのなさを自分で実現してみせたところがあって、救い難いという気持ちになってしまうのです。
 また、ある会で、「オウム真理教の麻原彰晃は救われるんですか」という質問があって、「親鸞によれば救われる」と言った方がいて、いろいろと波紋が生じたことがありました。先生の立場から見ても同じ意見でしょうか。

本多 救うのは、阿弥陀如来ですね。無限なる大悲が人を救うのです。ですから、それに本当に気づいた人間が助かるのであって、客観的にどういう人間が助かるとか、助からないとかいうことを決める資格は私にはありません。
 本当に求めても助からないで、絶望の中で苦悩して、そして何とかしてほしいということがある。「」という善導の言葉があるのですが、どんなに仏教を謗る者であろうと、どんな罪悪を犯した人間であろうと翻る。回心というこころが起きる。

 変わるということですね。

本多 変わる。つまり、自分の立っている立場がひっくり返って初めて助かるというのであって、社会的な罪を犯した人でも、そういう絶望と苦悩の後に本当に拠り所を求めて回心すれば助かるのでしょう。ただ客観的に、犯罪を起した悪党でも助かるとか、助からないということではないのです。

 そういうことではないのですね。

本多 そういうことは宗教ではないのですね。善導という唐の仏者が、浄土教を大きくしたのですが、その善導が信心ということを定義するときに、信心ということには機の深信と法の深信があると言っています。
 人間は流転してきた存在であり、いのちが始まって以来、迷いは過去から続いてきているものであり、闇の中を生きてきただけだから光の場に出られるはずがないと、信じなさいと。そして、そのような衆生も助けずんばやまんとはたらいている大きな慈悲があって、それを信ずるということとは表裏一体であるということですね。

 私は、この時代は、みんながをもすがる思いで救いを求めているけれども、救われない人々がいっぱいいると思います。今、先生がおっしゃった如来の宇宙のような慈悲にすがって、コペルニクス的な転回が起きたときに初めて救いということが見えてくると思うのですが、多くの人は最後まで、自分たちがつくり上げたこの世の理屈で、あっぷあっぷしながら生きているのではないか。

本多 そうですね。

 その現実を変えるには、私は、受け入れる力が大事だと思うのです。受け入れる力の中には、やはり信じる力がある。それがなければ、結局は最後まで、何も気づくことなく、この世的なアップダウンの中で生きるしかない。
 今の時代ほど、ルサンチマン(憎悪)が人を動かしている時代はありません。これが大きな渦となったときに、信じられないぐらいの負のエネルギーが人を暴走させていくのではないかと思うのです。そういう時代にあって、私は、もう一度親鸞の教えを町中で説いてほしいと思います。

本多 そうですね。「一文不通のともがら」と『歎異抄』にもありますが、いわゆる知識や教養がない人が圧倒的に多い時代にその人たちの救いということが表現できた。今の時代は、知識、教養のない人はいないわけですよね。文字を知らない人がいない時代になって、そういう中で何が真実かということが分からないままになっています。
 親鸞仏教センターで、素粒子物理学者で理学博士でもある松田正典広島大学名誉教授をお呼びして講演会をしていただいたことがありました。松田先生は、「現代社会の価値観の基本になっているのは、すべてをメリット、デメリットで計り、メリットをよしするメリトクラシーである」と発言されました。
 メリトクラシーとは、イギリスの社会学者のマイケル・ヤングという人が使った言葉です。メリトクラシーは、社会のさまざまなところに入り込んでいて、そのおかげで文明社会や資本主義社会も成り立っているし、人間の本質のようなものなので否定はできないと。
 けれども先生は、学問をしながら、学問の限界、自分の能力の限界、そしていのちの不安というものを感じていた。真宗門徒であることもあって、長く聞法をしてこられて気づいたそうです。メリトクラシーというのは有限の価値観なのだと。
 人間のつくる有限の価値観を絶対化して、それで人間は必ずしも幸せになるわけではない。むしろ物質的豊かさとか、衣食住が満ち足りるということがあっても、存在の空虚といいますか、不安感は募り、また存在の意味が満たされない。
 松田先生は、その有限の価値観に無限なるものの要素を入れる必要があるということで、「アミタクラシー」という言葉を提唱されたのです。
 無限なるものの中に有限が成り立っている。単にメリトクラシーを批判するのではなく、アミタクラシーという、無限なるものの上に、有限なるものが成り立っているという眼を持ちながら、メリトクラシーを生きていくということが、現代を生きる人間に必要なのでしょう。

 私もそう思います。

本多 私たちは昨年、宗祖の750回御遠忌を迎えました。親鸞が生きた時代からは800年ほど過ぎている現代においても、親鸞の教えは、私たちがどんな問題を抱えていても、そこに自分というものが許されてあるということに、翻って考えていき、立ち直っていける大きなきっかけになると思います。親鸞は、『涅槃経』の「道ありと信ず」という言葉を大事にされました。道があると信じるならば、その道を生きている人がいて、その人と出遇うということが、本当に信じるということなのでしょう。(文責・東本願寺真宗会館)

 

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