対談 若松英輔×田村晃徳「言葉×仏教―人間にとっての物語を考える」② 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2020年05月15日

Category 対談

言葉×仏教 ②

人間にとっての‟物語”を考える

人は、言葉によって救われもするが、言葉によって迷ってもいく。これを知るからこそ、仏教は言葉を大事にしてきた。

言葉は、書物の中だけでなく私の中にもあり、われわれの人生の物語を紡ぎ出している。

厳しい社会状況や自然災害が続く今、私たちを突き動かす大きな力を持つ「コトバ」「物語」について共に考えてみたい。

この抄録は2018年6月10日に真宗会館で開催された「サンガネット特別シンポジウム」の抜粋です。

言葉は語り継がれて 自分のもとへやってくる。

田村 著書の中で、作品を書くのは「死者との共同作業」という表現をとっていらっしゃいますが、自分だけでいるのではないという、そこがとても印象に残りました。

若松 言葉を語り継いでくれた人がいるから、私のところに言葉がやってきたわけです。私が書こうとしている「問い」も、私が発見したのではなくて、私のところまで持ってきた人から私が与えられたものです。人は自分に何が与えられているかに気づきさえすれば、与えてくれた人、あるいは死者であっても共に仕事ができるんだと思うんですよ。

田村 おっしゃっている死者というのは、特定の誰かではなく。

若松 そうですね、大きな意味での死者です。それが誰かということより「悲しみの経験」というものに近いかもしれません。もちろん個人の体験、自分のかけがえのない経験を深めていくことから普遍性を開くわけですが、死者とは何かを突きつめるより、ほかの人たちと共振・共鳴していくような。思想的にということではなく、お互いにふれ合っている感触のようなものを大事にして、自分が与えられたものを見出していくわけです。

 

過去の方々が大事にしてきた言葉、真理、道というのがあって、われわれは、それを見つけて歩んできた

 

田村 そこに関係すると思うのですが、例えば社会の教科書で「仏教をつくったのは誰ですか」という問題があれば、回答…

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