2019年09月01日

Category サンガコラム

死者たちの住所録

タイムライン

 コンピューターで住所録を管理するようになってから頭を悩ませてきた問題がある。それは逝去された方をどう扱うかである。論理的に考えるならば、その人はもうこの世にいないのであるから、その人のこの世での住所を記載しておくのも変である。ということで、最初は故人の氏名も住所も削除していたが、さすがに親しかった友人・先輩の場合にはそうもできず、二重取り消し線を引いたかたちで住所録に残しておいた。ところが、当方が年を取るにしたがって、その二重取り消し線の増加が著しく、死者たちの住所録のようになってしまった。

 仕方なく二重取り消し線を解消して、氏名の肩に故人であることを示す記号をつけるだけで、元のかたちの住所録にした。したがって、この住所録には死者も生者も同じような顔をして載っている。住所録というものの意味からすればおかしいかもしれないが、こちらの感情からすると一番しっくりくるものである。

 このような住所録の変遷を見ていると面白いことに気づいた。最初、住所録は生者たちばかりでスタートする。つまり、生者たちの住所録である。そして、時間の経過の中で住所録の生者たちは死者へと移行していく。それでも最初のうちは生者が圧倒的に多く、生者たちの住所録という体裁を取っている。しかし、住所録作成者である自分が老いるにしたがい、死者たちが優勢となり、まさに死者たちの住所録となる。

 このように、生者と死者とのあわいを足取りもおぼつかなく歩んでゆくのが生きるということらしい。できうれば、このあわいを歩み抜いて、誰かの「死者たちの住所録」の一員として記されたいものである。

 

池上 哲司 (大谷大学真宗総合研究所 東京分室長

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