コラム|珈琲と老人 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2023年05月01日

Category サンガコラム終活

珈琲と老人

老いるについて―野の花診療所の窓から  Vol.71

 

 認知症はかつて「ボケ」とか「痴呆」と呼ばれた。呼び名の変更提案をした一人が長谷川和夫医師。2021年11月に92歳で亡くなった。「今日は何年何月何日ですか?」「生年月日は?」「今何歳ですか?」「100引く7は?」などの「長谷川式簡易知能評価スケール」を発案した人。その人が認知症になった、と2017年88歳の時、自分で公表した。人間老いると誰もが認知症に向き合うことになる/一日のうちでも認知症状に波がある/本質は「暮らしの障害」/家族や地域の温かさが支えになる/などと自著『ボクはやっと認知症のことがわかった』(KADOKAWA)に書いている。「デイサービス」を日本で最初考案したのは自分だが、認知症になってみると「つまらなかった。よくこんなもの提案した」とテレビでおっしゃる姿に感動した。もう一つ感動したのは、杖をつき、なじみの古い喫茶店へ行く場面。決まった席に座り珈琲を飲む。「これが一番心落ち着く。懐かしい、いい時間なんだよ」。

 場面は鳥取のぼくらの診療所。老舗の珈琲店の元店主が入院された。英国紳士のような気品の人。顔も服装も言葉も。10年来の病気を抱えておられたが、90歳、立ち振る舞いに支障が出て、家での療養が限界となった。

 「おーい、おーい。〇×△××△!」、大声が病棟に響いた。誰だろう。声は荒くなる。どこからだろう、ナースが走った。15号室から。何と英国紳士の部屋だった。「遅いがなー!」と怒鳴ったあと、「どの高校だ!」と紳士。問われて「八頭高卒です(市内から10㎞離れる)」とナース。「そうか、遠いなあ、ご苦労さん」。しばらくすると「おーい、〇△×× !」と荒声。完全なる脱紳士の日々が続いた。「どこの産地の珈琲が美味しいですか?」とぼく。「うん、インドネシアだな。ブラジルもエチオピアもいい」。紳士の顔が戻ってきた。「ブレンドはなぜ安い?」「A級B級C級の豆をまぜるからだな。Cが安い」「珈琲のことなら、鳥取ではあなたの右に出る人いませんね」「まあな」と満面の笑みの英国紳士。珈琲を飲む人、珈琲を出す人、2人の光景を思い出した。

 

 

 

徳永 進 (医師)
1948年鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、01年、鳥取市内にホスピスケアを行う「野の花診療所」を開設。82年『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞、92年、地域医療への貢献を認められ第1回若月賞を受賞。著書に、『老いるもよし』『死の文化を豊かに』『「いのち」の現場でとまどう』『看取るあなたへ』(共著)など多数。

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