2022年07月20日
Category 終活
終活にまつわるテーマを取り上げながら、各専門分野の先生がそのテーマのポイントをわかりやすく解説する「終活コラム」です。
本コラムのテーマは「葬儀」です。終活を考える時に大きな要素の一つ「お葬式」。
今回は葬儀の現場を数多く担当されてきた葬儀社様から、「別れの場」を通して「引き継ぐ」ということを考えていきます。
突然ですが、人間は必ず死にます。いつかは誰にもわかりませんが1秒1秒命を削って生きていて、誰もが死に向かっています。そう「時間=命」は有限です。その事実をご存じない方は殆どいないと思います。
しかしそれは、私や私の家族には当面起きない話であると思っている人が多いように思います。とてつもない程先の話だと思ってらっしゃるかもしれませんが、果たしてそうでしょうか。そうではありません。遠い話かどうかは誰もわかりません。
「死ぬ」ということは「終わり」がやってきます。そうなると「自分のやっていること」や「自分の持っているもの」「自分の思っているもの」などは誰かになんとかしてもらわないといけません。
「残したくない」とそう考える方もいらっしゃると思います。でも実は「残さないこと」の方が難しい。
例えば現代ではスマートフォンの中に色々とデータとして残されます。スマホをそっと処分してもらっても現代はクラウド上にデータバックアップされていることが殆どです。またどんなミニマリストでも生活していく上で必要最小限のモノとカネが必要です。結果最後まで使い切ったり処分したりすることなどできず、必ず残ります。
「それら」の処遇について何かしらの対処を自分以外の誰かがすることになります。「それら」を引き継ぎやすく準備しておくことで、後世の方の「命=時間」の無駄遣いを最小限に食い止めることができます。「時間=お金」という方もいらっしゃいます。今後日本では世帯収入の下落が叫ばれる中、日々の労働を止めると生活が成り立たない状況の方にとってはその膨大な対処を対応する時間はある意味お金と考えられるかもしれません。時間を削減するため企業サービスに依頼すれば実際に費用が発生します。今後デジタル化で手続きは簡便になったとしても、散財する「モノ」を探すには時間がかかりそうです。短時間で引き継ぐことはやはり難しそうです。
更に継承はその人の一生という莫大な情報量だったりもしますし、身近な方が複数存在するケースも珍しくありません。一人の人が引き継ぐとは限らないのです。同居している人だとも限りません。離れて暮らしていれば、たまにしか合わないのにちょっとしたボタンのかけ違いなどでタイミングを逸するかもしれません。「死」に関することは、口に出すことは憚れやすいこともあり、心の準備が必要かもしれません。全員にお手紙などの書面を残すとしても、手紙を書くという大量の時間がかかりますし、それこそ「いつか」がわからないので、何度もアップデートしなくてはいけません。日記帳に書いても、置き場によっては誰にも発見されなければ意味がありません。それがデジタルならば容量が膨大だったり、パスワードがわからなかったりという違う問題も多発します。
日常的に身近な人と共有できていれば問題は少ない可能性が高いのですが、昨今は配偶者以外の家族は同居していないケースが多いのではないでしょうか。また現代はSNSの普及により、オンラインの世界での人間関係も発生しており、その関係を身近な方に開示しているとも限りません。更に仕事もあり、なかなか共有することは意識していないと難しいように思えます。もしもの時、引き継ぐ方のメインは身近な方だと思うのです。
例えば、高校卒業後に親元を離れ、一人暮らしを始める方は多いでしょう。その後、結婚や出産などなど親御さんには定期的に報告をする方が多いと思いますが、兄弟姉妹はどうでしょうか?あるいは、とても仲が良く定期的にやり取りしている人以外はどうでしょうか?もしかしたら冠婚葬祭以外は会わないなんて方も少なくないのではないでしょうか?
例えば親御さんがご逝去され、3人兄弟の長男が「喪主」を勤め、その後「相続」に突入したとします。長男はお父さんに「延命はしないでくれ」と言われていたとして、次男・三男は何十年以上も離れて暮らすお兄さんのお言葉を、父親の遺言としてスムーズに受け取れるでしょうか?
家族・親類・縁者が集まることが少ない現代では家族のコミュニケーションの機会が「冠婚葬祭」の機会であるという方は少なくありません。
家族の「冠婚葬祭」は節目に行われてきました。節目は人数の増減や環境の変化に行われます。例えば「お宮参り」は家族が一人増え、七五三は子供の成長に伴う環境の変化、成人式は大人が一人増え、結婚式は家族が増え、お葬式は人が一人減ります。家族は限られた人数ですから、空気感や温度感を変えます。その変化を「参集」することで感じとり「これが私の家族だ」と再認識し生活に戻っていく。その「参集」は人生にとって重要なことのように思います。
ところが現代では、それが機能していないケースもあります。お宮参りは両親と両親の両親しか参列してないのが一般的ですし、成人式は同級生と飲みに行く日と変化しています。もしかしたら「お葬式」だけがその機能を果たしているのではないでしょうか。「コミュニティとのお別れ」に参集することで、目に見えない様々な不具合を解決してきましたのかもしれません。ところが厄介なことに「参集」が難しいという時代になりました。それは新型コロナウィルスの蔓延です。
引き継ぐというとどうしても「ヒト・モノ・カネ」でいうと「モノとカネ」への意識が高くなります。物理的な引継ぎの方が分かりやすいからです。
上記のようにヒトの引継ぎが難しい状況ですのでどうしても「モノとカネ」への意識が高まります。当然ですがこの場合の「モノとカネ」の引継ぎは「ヒト」が引き継がれるためのリソースであることは言うまでもありません。「モノとカネ」の引継ぎでもめて一家離散してしまうというのは本末転倒です。
「引き継ぐこと」の難しさについて語りましたが、ここで思い出していただきたいのは私たちも誰かから「引き継いできた」のだと思います。その中心はご両親・祖父母・・・ご先祖様です。今度は受け取り手側の問題です。
私たちはこのように難しい継承を過去に行ってきたわけですよね。
私は26歳の時に母、31歳の時に父を亡くしました。その際に様々な引継ぎをしたと思います。その後、47歳で初めて自分が親になりました。その当時、もしかしたら両親は私に親としての何かを継承したかもしれません。しかし、「きっと親になるまで受け入れられてなかったものもあるのではないか?」と今でも疑問が残ります。その補完する機能として、私はお墓参りやお仏壇にお参りすることを推進しています。
お墓参りという豊かな時間が、引き継ぎきれなかった「その引継ぎ」を補ってくれるのではないでしょうか?
お墓というのは2つ機能があると思っています。一つはお骨を収容するところ、一つはお墓参りです。その時間を設けることで少しずつですが引き継がれていくのではないと思います。
最近だと海洋散骨で弔った方が散骨地点まで命日にいくなんてこともあったり、例えば芸能人の追悼サイトなど生前に書いていたブログなども墓参りになるのではないかと言われています。お墓参りを意識しなくても、お墓の清掃などをすることで日常とは違う心持ちになりご先祖様と向き合うことができる可能性がある時間になることだと思うのです。
このように困難な引継ぎの為、引き継ぎ手は受け取り手に思いやりをもって取り組むことも必要ではないでしょうか。しかし、たまに会った時ぐらい「死」にまつわる話はしたくないというのが実態かもしれません。
お葬式は亡くなった方がみんなを集めてくれる最後の機会・・・これは思いやりなのです。
しかし前述のとおり、コロナ禍です。集まることは困難です。
ではどうするか・・・
元来お葬式はファミリースタイルで行われてきました。
本人の意思よりも家族のしきたりが儀式を支えてきました。
私たち葬儀社はそのご家族が連綿と続けてこられたスタイルで装置を組み立て、その装置に入っていただくことでその継承のお手伝いをしてまいりました。しかしこの情勢で装置の中に入っていただけない状況になりました。
コミュニケーションのとてもとれた家族がコミュニティとして成立し、LINEグループでしょっちゅうやりとりしている方は全く問題ないのかもしれません。
定期的にお墓参りや法事を連絡取り合って交代などで執り行っている家族やコミュニティは問題ないかもしれません。
どうやらこれからの時代では各ご家族やコミュニティが様々な工夫をして装置を機能させなくてはならなくなったということではないかと思います。
増井 康高(ますい・やすたか)
ひだまり手帳合同会社代表・株式会社デジタルAI取締役副社長
家族の死を経験し大手葬儀社に入社し。葬儀部門のみならずWEB担当・システム担当などを経験し、WEB受注を中心とした葬儀社を創業。20年間で約2000件の葬儀の現場を担当。2021年には「デジタル終活グループ」を運営し、デジタル遺品の生前対策のみならず終活のデジタル化を推進。2022年相続診断サイト「ひだまり手帳」を立ち上げ、株式会社デジタルAiでは見守りスマートウォッチシステム「守るリンク」を手掛ける。