2021年10月06日

Category サンガコラム終活

老年性超越

老いるについて―野の花診療所の窓から  Vol.62

 

 老いて、思うように食べられず、動けず、他人の介助なしに一日が過ごせなくなっても、その人独特の優しい風貌があり、生死についてのこだわりがゆるんでいるような状態を、老年性超越、と呼ぶらしい。アメリカインディアンの古老の顔が浮かぶ。当たっているとも思えるし、そうあって欲しいとも思う。

 一方、診療所の病棟に目を転じると、現実は混沌としている。1号室からは「ええっちゃ、もうええ、ええっ!」と88歳の男性の叫び声が溢れ出る。看護師が延びた爪を切ろうとしたら、拒否の大声が始まった。7号室からは「ちょっと、ちょっと、そこのばば、新聞!」と看護師が呼び止められる。声の主は89歳の女性。「帰る、帰る、谷の家に帰る」。家は廃墟に化し、老人施設に入所中に食べられなくなり、診療所に入院となった。「お父さんとお母さん、長いこと会っとらん、会いたい、帰る、帰る」と叫びは続く。

 93歳で乳癌と診断された女性は、治療を拒み漁村の家で過ごしていた。腫瘍は増大化し、自壊する。「もうどうでもええ、早う死にたいわ。こがなもんができて、何しに生きとらにゃいけん!」と怒る。海に注ぐ川岸で、幼なじみとタバコ吸いながら四方山話をするのが唯一の楽しみ。3か月が経ち、腫瘍は広がり、背が痛み、食べれなくなった。「昔は田植えも稲刈りも、男に負けんほど朝から晩までがあがあ動き回ったのに、こんなことだ」。

 往診した時、暗い部屋にうつ伏して、苦しそうだった。娘さんにも事情があり、付いてはおれない。一つの選択は、漁村の家で人知れず旅立つことだったが、そちらを選ばず、診療所の12号室に入院となった。 点滴ラインを確保し、点滴に鎮静剤を入れ、モルヒネの少量の持続皮下注射とした。半日後に穏やかな顔になり、ゆっくりとした寝息になった。皆でお風呂に入れた。「嘘みたい、これでいいです。有り難いです」と娘さん。

 現実は老年性超越どころじゃない、と言おうとしたのではない。これらの姿そのもの、その向こうに、やはり老年性超越が潜んでいるようなのだ。

 

徳永 進 (医師)
1948年鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、01年、鳥取市内にホスピスケアを行う「野の花診療所」を開設。82年『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞、92年、地域医療への貢献を認められ第1回若月賞を受賞。著書に、『老いるもよし』『死の文化を豊かに』『「いのち」の現場でとまどう』『看取るあなたへ』など多数。

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