コラム|旅する老人 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2020年10月09日

Category サンガコラム終活

旅する老人

老いるについて―野の花診療所の窓から  Vol.56

 老いて旅に出る。日本人の憧れ。いざ、となると至難。『奥の細道』を記した松尾芭蕉は689年5月、江戸を発つ。奥州・若狭・越前・加賀・能登・越中・越後・佐渡を辿る約2400㎞の旅。1691年の11月に旅を終える。徒歩だけではなく舟もあるが歩いたのは150日間。ざっと計算すると1日平均16㎞。歩数にして約2万歩。驚くべき歩数。

 行く春や 鳥啼き魚の 目は泪 出発の時の句。「魚の目に」ではなく「魚の目は」である。一字の違いで世界の広がりが違う。中学や高校の教科書に芭蕉の句は多く紹介されている。誰もが句を心の隅に留める。日本の風景、日本人の心情が自然な形で句に折りたたまれているからだろう。

 夏草や 兵どもが 夢のあと よく知ってる句。学生のころを思い出す。コミューン(共同体)を目指し、山村に一軒の古い農家を買い求め共同生活をした。時が流れ学生は散り、農家は雑草に囲まれた。時代も人生の深さも大きく異なるが、この句には時を越えて、男子に共通するものがある。

 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声 「静」ではなく「閑」、「しみ込む」ではなく「しみ入る」。17文字の一字一字が勝負の一字。あれから331年後、蝉は同じように鳴いている。人間は驚くほど変化したが、蝉もその鳴き声も、変わらない。「変わらない」ということの偉大な本質を、蝉は示し続ける。

 はて、句の蝉は何蝉か? ニイニイ蝉、油蝉、ミンミン蝉、法師蝉、ヒグラシと置いてみる。蝉によって風情が異なる。メロディーを持たない地味な蝉の声、かも知れない。

 五月雨を あつめて早し 最上川
 暑き日を…

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