2023年07月01日
Category サンガコラム
ジャン・ジャック・ルソー
父は無類の酒好きでした。通称ダルマと言われたウイスキーを一晩で1本飲み干し、それが毎晩続くというほどだった。父がご門徒の法事に行くと夜8時ごろまで帰ってこない。そこで飲んでいるのだ。その家から「ご住職なかなか帰ってくれない」と電話があって僕が迎えに行くという始末だ。僕はそんな父が大嫌いだった。その反動か、僕はお寺の活動に力を注いだ。毎月の寺報(寺からの便り)、仏教青年会の結成。花まつりには青年会が作るポン菓子が評判となり、本堂で落語会も催した。お酒に浸る父を尻目に、忙しい日々を過ごしていると、僕の中に一つの気持ちが芽生える。それは「父よりも僕の方ができる」という思いだ。すると酔っぱらっている父を次第に軽蔑しだした。結局、亡くなるまで軽蔑したままだった。
父の後を継いで、ご門徒の毎月の命日に自宅へお参りに伺うと、お酒にまつわる父の話ばかりで、謝ったりお礼を言ったり。そんな中、ある家でこんなことを話してくださった。「うちのこの子がね」と、そこには高校生の息子がいる。「まだ幼稚園のころ、お父さんがお参りにこられた時に、幼稚園で作った人形を渡したんです。するとそれを翌月お参りの時に持ってこられて息子に見せるんです。息子は喜んで後ろに座って、一緒にお勤めするんです。また翌月も、そしてまた翌月も……思い出します」。
その話を聞いて僕は大きな衝撃を受けた。その息子さん、小学生の時も中学生の時も、高校生になってもお参りに行くと、必ず後ろに座って一緒に「正信偈」をお勤めするのです。今まで「感心な子やなぁ」と勝手に思っていたが、まさか父とそんなコミュニケーションを取っていたとは知らなかった。「僕の方ができる」、それは思い上がった心だった。事実、僕がお参りに行って、幼稚園の子が後ろに座ってくれる家は一軒も無い。その時、「軽蔑して、すまないことをした」と心の底で父に謝った。
私たちは亡き人のことを、あの人はこんな人だと「分かったこと」にしている。まして父なのだからなおさらだ。「自分は知っている」と自信をもっていたのかもしれない。しかし、知らなかった一面に出会った瞬間、「分かったつもりになっていた」ということに気づかされます。私たちは物事を知らないから迷うのではない。「自分は知っている」「分かっている」「できている」という思い上がった心があるから迷うのである。
廣瀬 俊(ひろせ すぐる)
大阪府・法觀寺