サンガコラム
世のいのり ―― 平和
「生涯をかけて、芝居を通じて、私は平和を訴えつづけていきたい」 昨年11月、朝のNHKラジオ番組で、俳優の仲代達矢さんが語っていた。仲代さんは91歳になられるということだ。後につづく人たちに伝えたいひと言なのだと聴いた。
仲代さんは昭和ひと桁生まれだから、たぶん小学校では「ヘイタイサン ススメ ススメ」の教科書から勉強が始まったのだろう。仲代さんと同世代のK先生は、「兵隊になって死ぬのだと教えられていたので、日本の敗戦で『世間虚仮』ということが身にしみてわかった」と語っておられた。同じくT先生は、何か問題が起きるといつも「あなたの考えでなく、事実はどうなっているのですか」と言われた。戦時中、多くの人が事実を知らされていなかった、事実を知ろうとしなかった、苦い記憶があったのだろう。
1936年生まれのN先生は、「私の下の名は、戸籍では旧漢字なのです。戦後、進駐軍の指示なのでしょうか、小学校の先生に当用漢字に直されたのです。本来の旧漢字で書くようになって、自分に戻った感じです」と、笑いながらおっしゃった。
平和は日々の生活の中で、一歩一歩足もとを確かめてあゆむ細い一本道のようなものだ。
平和の「和」という文字は深刻な問題をはらんでいる。漢文学者・白川静先生の説によれば、「禾」は軍礼を行なう所で、「口」は神に誓って服従を約し、降伏媾和をあらわす形だという。だから平和といっても敗者に怨念が残る。戦争が終わって平和になったという。しかし、戦闘はいったん休止したが、軍事は継続しているのが戦後の「平和」ではないだろうか。戦争と平和は背中合わせなのだ。
作家の高史明氏は「浄土を信ぜずして、どうしていまの時を曇りなく生きられましょう」(『念仏者の平和』1983年、東本願寺出版)と、真の平和の基礎を指し示している。
狐野 秀存(大谷専修学院 前学院長)
学校で「疾風怒濤」という言葉を教わった。妙に「そうか」とうなずいた。友だち同士で習いたてのこの言葉を振り回し、いい気になっていた。十代の終わりごろで、意気軒昂だった。
半世紀以上たって、いきなり疾風怒濤の中に投げ込まれた。一昨年以来、未知の病気がまん延し、世界中が嵐の中を航海している様相になっている。いつ横波に襲われて、生活という船が転覆するか知れない。
若いころの無鉄砲さも影を潜め、世渡りの術も少しはおぼえ、「こんなものか」と自分と折り合いをつけたと思っていた矢先、そのような世間知がまったく間に合わない事態に直面した。毎日毎日が「きょうはどうするか」の連続だった。
理不尽だが、現実だから、みなで知恵を出し合って、世界的規模のこの困難を乗り越えていかなければならない。
昔読んだ柴田翔の『されど われらが日々―』の終章の言葉を思い出す。
時代が違うから違う困難ではあったけれども︑困難があるという点では同じだった。(略)だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだ。
自分でなくてもいい。自分たちの中から明日への希望をもって、あゆみ出す人のいること、その姿がみなの希望になる。
本願寺第8代の蓮如(1415 〜1499)は、宗祖親鸞の命日を「明日」と書いている。戦国乱世のただ中で、死という人生の総括の日を明日への出発と受け止めた感性はすばらしい。