2021年10月05日
Category サンガコラム
記憶に新しい静岡県熱海市伊豆山の土石流災害。実はあの数日後、かつての新聞社の同僚から電話があり、「おい、知っているか。土石流の記事が夕刊に出ていない新聞があったんだ」と聞かされた。発生は昨年7月3日午前10時半ごろ、夕刊には間に合うはずだ。「えっ、まさか」。報道の経験からすると信じ難い。現場は遠方でもない。
電話でしゃべった翌日、中野区立鷺宮図書館(東京都)で調べたら朝日、毎日、東京の各紙には1行もない。読売は一面に大きな見出しで伝え、現場写真や地図も添えていた。日経は写真こそないが一面に記事を突っ込んでいた。「聞いた通りだ」とため息が出た。
新聞社は通信部などの統廃合で取材網が粗くなったことは気づいていた。即座に対応できない空白域が広がっているのだ。インターネットによって購読者や広告が減り、新聞経営が厳しくなっているせいだろう。私の周りでも「ネットで見るから新聞は要らない」という人は少なくない。「待ってくれ」と言いたい。ネットのニュースも、多くは新聞社や通信社、テレビ局、出版社が取材した素材に依拠しているのではないか。
1980年代にデパートの広告に登場した「ほしいものが、ほしいわ」というキャッチコピーが、消費社会の心性を表していると語られたことがあった。それになぞらえれば、ネットは「知りたいものが、知りたいわ」という期待に応える媒体ではあろう。しかも、無料である。
ただ、「知りたいわけじゃないが、知っておいた方がいい」というニュースや論説に触れる機会は多ければ多いほどいい。そんな仕組みが担保されている社会は健康だと思う。だがニュースの取材には人手も時間もかかる。そのコストをどれだけ負担する気があるか、受け手側の見識も問われている気がする。
井上憲司(元社会部記者)