お寺の掲示板Vol.8|サンガコラム 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2020年02月18日

Category サンガコラム

お寺の掲示板Vol.8

念仏というのは、
心を仏様の世界と
つなぐこと
(坂東性純)

 半世紀以上も前に大谷大学に入学し、ESS(アーナンダソサイエティ)に入部した。顧問のお一人が坂東性純先生※でいらした。拙著『仏典童話Ⅱ』の出版を祝してくださり「退院したら感想を書きます」とお葉書が届いた数日後病院でご往生された。

 さて世間は東京オリンピックを控えマスコミ始め至る所盛り上げムード一色の感がある。そのこと自体はさておき、何時の頃からか気にかかり始めていることを述べたい。「賞を取る」という。「賞」は与えられ、授かるものと私は承知してきた。手元の辞典を開くと「功ニ報ユ・アタフ・ホム・トウトブ・タマモノ・ホウビ」とある。ところで最近は「ゲット」という言葉が頻繁に使われ「賞」もゲットする対象に近い響きがある。「○○賞をお取りになっておめでとうございます」とインタビューしている。受賞者には並々ならぬ努力があり、「ゲット」するほどの気構えが必要なことは理解できる。その努力がどんなに過酷であったとしても、それを支える諸々の環境に恵まれ、更に本人に伝えられたDNAのしからしむるところでもあろう。それならGET」ではなく「BE GIVEN」ではなかろうか。受賞後のインタビューで「皆さんの応援のお陰」「ファンの皆さんのお陰」と聞いて安堵する。「お陰様」という尊い日本語がまだ生きていてくれる。「お陰様」の気づきこそが仏様の世界への入り口に違いない。

 科学万能のように見える現代に、目に見えず、手に触れられない大いなる世界が私たちすべて生きとし生けるものを包み、支えてくれていることを私たちのご先祖さまは「お陰様」という英訳し難い美しい言葉で伝えてくれている。人間ひとりでは誰も生きてゆけない。先ず今日の命の糧となってくれる野菜・魚肉、それらを育ててくれる人々・・・・・・。グローバル化した現在では地球の反対側の人々や物たち、思えばガンジス河の砂の数ほどのお陰様で私たちは生かされている。食物一つとってさえ無量のお陰様である。

 すべて「BE GIVEN」であることに気づかせていただいて思わず湧き上がる感謝のお念仏。そして同時に恵まれたご恩に報い得ない我が身の底からの懺悔のお念仏。

 これに関連してさらに気になる言葉がある。「結果を出す」という表現。勝ちも負けも結果であるが、ここでは必ず「勝ち」という意味で使われる。無論、誰しも負けたくない。しかし結果は出すものであろうか? 出るものでなかろうか? 出すものと信じて奮闘する気持ちはよくわかる。しかし「勝ち」は「負け」によってのみ成立する。勝ち組でなければ、あるいは生産性がなければ生きている価値がないのか?

 その意味でラグビーのワールドカップ日本大会で、日本チームは負けたけれども素晴らしかった。スポーツにはほとんど無縁でラグビーのルールも知らない私でさえ熱中させられた。あの屈強の選手たちの謙虚さに胸が熱くなったのである。あそこには「ラグビー道」があったと思う。

 

※坂東性純(1932〜2004)…海外を含めた仏教の普及に力を尽くした真宗大谷派僧侶。元大谷大学教授。

 

 

渡邊 愛子(わたなべあいこ)/滋賀県

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