ご主人ですか? | 真宗会館コラム | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館
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サンガコラム

ご主人ですか?

ご主人ですか?
深慮遠望

 クリニックで処方箋をもらい、その処方箋で薬局から降圧剤をもらう生活を、ゆうに10年以上続けている。先日、薬局で奇妙な経験をした。新任の薬剤師さんから「ご主人ですか?」と問われたのだ。

 ご主人? 「この処方箋はあなたの奥さんのもので、あなたはその奥さんの代理で今ここにきているのですね」と聞かれたのだとは思うけれど、真意はちょっとはかりかねる。通い慣れた薬局で聞かれたのも予想外で、思わず「どういう意味でしょうか」と聞き返してしまった。

 すると少しあわてたように薬剤師さん、「いえ、結構です」と話題をそらす。が、しばらくすると、また「ご主人ですか?」。ああ、俺はいったい何を聞かれているのか。

 ひょっとすると目に見えぬドッペルゲンガー(分身)が、私の隣にはいて、その彼を「あなたのご主人ですか」と聞かれたのだろうか。ばかばかしい。ありうるはずもない。しかしたとえドッペルゲンガー相手でも、他人に恭(うやうや)しくするのは悪いことではあるまい。

 あるいは人と人との関係を「主・僕(しもべ)」(主人と奴隷、主人と奉公人)と見る立場を離れて、その質問は「己が己の主人になる」、禅の方でよくいわれる「随処に主と作(な)る」をふまえたものだったかもしれない。あなたは何の権威・権力も頼りとせず、両の足で大地を踏みしめ、真に自立していますか、と。

 そんなことをもし本当に問われたのだとしたら、処方された降圧剤を放り出して薬局を逃げ出していただろう。あるいは案外、認知程度をふくむ高齢者の健康度をそれとなく確認する、薬剤師さんのやさしい声かけだったか。

 

稲垣 真澄(フリージャーナリスト)

学校で「疾風怒濤」という言葉を教わった。妙に「そうか」とうなずいた。友だち同士で習いたてのこの言葉を振り回し、いい気になっていた。十代の終わりごろで、意気軒昂だった。
 半世紀以上たって、いきなり疾風怒濤の中に投げ込まれた。一昨年以来、未知の病気がまん延し、世界中が嵐の中を航海している様相になっている。いつ横波に襲われて、生活という船が転覆するか知れない。
 若いころの無鉄砲さも影を潜め、世渡りの術も少しはおぼえ、「こんなものか」と自分と折り合いをつけたと思っていた矢先、そのような世間知がまったく間に合わない事態に直面した。毎日毎日が「きょうはどうするか」の連続だった。
 理不尽だが、現実だから、みなで知恵を出し合って、世界的規模のこの困難を乗り越えていかなければならない。
 昔読んだ柴田翔の『されど われらが日々―』の終章の言葉を思い出す。

時代が違うから違う困難ではあったけれども︑困難があるという点では同じだった。(略)だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだ。

自分でなくてもいい。自分たちの中から明日への希望をもって、あゆみ出す人のいること、その姿がみなの希望になる。
 本願寺第8代の蓮如(1415 〜1499)は、宗祖親鸞の命日を「明日」と書いている。戦国乱世のただ中で、死という人生の総括の日を明日への出発と受け止めた感性はすばらしい。

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