2022年12月28日
Category 終活
初めまして。2010年頃から「デジタル遺品」の実態を調査しているジャーナリストの古田と申します。今回から3回にわたって、デジタル遺品とは何なのか、どう向き合ったらいいのかについてお話させていただきますね。
そのために、まずは遺品について考えるところからお付き合いください。
遺品とは何でしょうか。故人が使っていた自動車や家財道具、愛用の道具や思い出の写真などいろいろと思い浮かびます。故人がこの世に残していった持ち物の総称といえるかもしれません。預貯金や有価証券のように直接的な金銭価値のある遺産、あるいは負債も、そういう意味では遺品に含まれるでしょう。
一方で、故人のジャケットのポケットに入ったままになっていたガムの包み紙や、財布の隅っこにクシャクシャになって固まっていたレシートなどを遺品扱いすることはあまりなさそうです。
つまるところ、遺品とは故人が亡くなるまで所持していたものであり、残された側も一定の価値がみとめられるものだといえるのではないでしょうか。
そうした遺品のなかにデジタルの状態のものが入り込んでくる。最近はそれが当たり前になってきました。
総務省の通信利用動向調査(2021)によると、現在は70代の4人に3人がスマートフォン(スマホ)や携帯電話を持ち、5人に3人がSNSを利用しています。多くの金融機関は紙の預金通帳の発行よりもスマホアプリでの運用を推奨するようになっていて、医療施設ではデジタル版のお薬手帳を推奨するところが増えました。政府は2022年12月からスマホ決済アプリでの国税納税を解禁したほか、2024年秋までに健康保険証を廃止してICチップが内蔵されたマイナンバーカードに置き換える政策を進めています。
日々の暮らしも、お金のやりとりも、健康も、地域との関わり合いも、デジタルの技術が深く関わる仕組みになってきているわけです。ゆりかごから墓場までデジタル。そうして残された遺品がデジタル遺品というわけです。
そんなデジタル遺品ですが、いざ向き合ってみるといまいち正体がはっきりしないのも事実です。
そもそもデジタル遺品という言葉には明確な定義がありません。故人が残したデジタル写真やファイル、SNSのアカウントを含むインターネット上の契約などを指すこともあれば、そこにスマホやパソコンなどのデジタル機器を含めることもあります。ネット銀行の預金口座やネット証券で保有している有価証券は除外すると明言している金融機関もありますし、それでいて○○ペイ(スマホ決算アプリ)の残高や暗号資産だけは範囲内とするエンディングノートも売られていたりします。何ともややこしい・・・。
頑張って線引きしようとしたら無駄に疲れてしまいます。大掃除を始めるときに、家族で大掃除の定義を論じ合うようなものです。とりあえず我が家と向き合ってどこを掃除すべきか役割分担して掃除を始めたほうが良い結果になるでしょう。
デジタル遺品もとりあえずは「デジタル環境で実態が掴める遺品」くらいのアバウトな定義で向き合うのが効率的だと思います。スマホやパソコンは電源を入れなくても遺品として存在していますが、故人が利用していたデジタル環境は電源を入れてログインしないと掴めません。ネット銀行の預金口座は他のお金の流れを辿ることで把握する道筋もありますが、スマホアプリから見つけるほうが簡単な場合は多々あります。そうやってデジタル環境を操作して“見える化”していく遺品というくらいの捉え方で十分です。
裏を返せば、従来の遺品と同じようにすべて見える化できてしまえば、あえてデジタル遺品という括りで縛る必要はなくなります。残された自動車を「クルマ遺品」と呼んだり、家に残された家具や調度品をいちいち「家財遺品」などと区分けしたりしないのと一緒です。
それでも現状、「デジタル遺品」という言葉はそれなりの存在感で世の中に広まっています。なぜデジタルの遺品だけが他の遺品と区別されているのか。実はそこにデジタル遺品の厄介さの本質が隠されていると私は考えています。
確かにデジタルデータは掴みどころがありません。物体ではないので、簡単にコピーしたり抹消したりできます。インターネット上で拡散したり、一部を変更した改変版がさもオリジナルのように居座ったりもします。
しかし、そうしたデジタルならではの特徴と思えるものは、実は情報の特徴でしかありません。
情報は昔からありました。井戸端で噂話が改変されながら広まることもよくありましたし、デマが人口に膾炙して恐慌を招いたことすらありました。アルバムに納めた思い出の写真はネガフィルムに焼き付けた情報を現像して紙という媒体に貼り付けたものですし、公正証書遺言や生命保険の証券なども法的な効力を伴った契約関連の情報ともいえるでしょう。
それなのにデジタル情報の遺品だけが何だか妙に厄介だと思えるのは、デジタル環境の整備がまだまだ不十分だからです。
たとえばスマホですが、多くの人は生体認証やパスワードでロックをかけて使っていると思います。自宅でいうところの玄関に鍵をかけるのと同じですね。
しかし、スマホの持ち主が亡くなった場合、遺族であっても家の中に入れなくなり、誰も助けてくれないという事態が頻発しています。生体認証が使えなくてもパスワードさえ共有できていれば解錠できますが、そのパスワードが分からないとお手上げになってしまうのです。
通信キャリアもマスターキーのようなものは持っていないので助けてくれません。スマホメーカーでも対応しないことが原則になっています。ならば、鍵屋さんのような解錠の専門家を頼りたくなりますが、スマホの鍵屋さんは世界中見渡しても滅多に存在しません。国内でも解錠を試みてくれる会社はわずかに存在しますが、成功報酬が30万円ほどするうえ、確実に開けられる保証はしてくれません。
スマホのセキュリティはパソコンと比べても非常に強固で、実際にFBIですら自力の解錠を諦めたほどです。本人が元気なうちはとても頼もしいのですが、万が一のときはそれが足枷になってしまいます。しかし、その状況に陥ったときに助けてくれる存在がいないままなのです。
このアンバランスの理由は、デジタルが日常の暮らしに浸透してまだ日が浅いということに帰結します。
昭和末期から平成初期の家電量販店を思い出してみてください。デジカメも携帯電話も置いてありませんでした。パソコンは100万円以上する高嶺の花であり、デジタル関連で目立っていたのは日本語ワープロくらいでした。
それからまだ30年程度しか経っていません。国内でインターネットの商用利用が始まったのは1993年で、Windows 95が発売されたのは1995年です。カメラ付き携帯電話が店頭に並んだのは2000年の暮れで、国内でスマホ普及の起爆剤となったiPhone 3GSの発売は2009年6月のこと。LINEがリリースされたのは東日本大震災が発生した後の2011年でした。
これらのデジタル機器やサービスは急速に日常生活に溶け込んでいきましたが、世代を越えるほどには時間が経っていません。すなわち、相続や遺品整理の問題に直面した事例が従来の遺品と比べて圧倒的に少ないのです。
事例が少なく、業界全体でノウハウの蓄積がないから、遺族が打つ手なしに陥るような袋小路がそこかしこに形成されています。その全容を誰も掴めていないから、放置されまれすし、新たな商品が流行したときには同じパターンの袋小路もよく作られます。
相続や供養、遺品整理の業界から見ても、従来の遺品と比べてデジタルの遺品は俎上に置かれることが少なく、やはりマニュアルが共有される状況には至っていません。
おそらくはあと20年、いえ10年経つ頃にはデジタル遺品周りの整備もある程度は進むでしょう。問題はそれまでに発生するデジタル遺品です。困った状況になっても解決策が用意されておらず、専門家の助けも借りられない原生林のような遺品に誰がどう立ち向かえばいいのでしょうか。
このとてつもなく難儀な“もしも”が根底に横たわっているからこそ、デジタル遺品は厄介なのだと思うのです。
ただ、対応する手が皆無というわけではありません。業界標準の対応策は今後に期待する状況ではありますが、個別に効果的な方法を用意しているモノやサービスはありますし、デジタル遺品のなかでも率先して対応すべき勘所のようなものは見えています。次回はそのあたりを具体的に掘り下げますね。よろしくお願いします。
<Profile>
古田 雄介(ふるた・ゆうすけ)
デジタル遺品を考える会代表/ジャーナリスト
1977年名古屋生まれ。名古屋工業大学開発工学科卒業後、建設現場監督と葬儀社スタッフを経て、記者業に。
2010年から死後のデジタル資産の行く末についての調査を始める。
近著に『デジタル遺品の探し方・しまいかた、残し方+隠し方』(伊勢田篤史氏との共著/日本加除出版)、『スマホの中身も「遺品」です』(中公新書ラクレ)、『ネットで故人の声を聴け』(光文社新書)など。