2024年05月01日
Category サンガコラム
「おまんは誰じゃ!どういてここにおるがじゃ」(NHKの朝ドラ「らんまん」の槙野万太郎の名ゼリフ)。突然、大きな窓ガラスの外側にピタッとくっ付いているカメムシが目に飛び込んできた。
ここは、都内大学病院の病棟19階の病室の窓だ。思わず、そう叫んでいたのは私だ。
眼下には、ミニカーのような車たちが交差点に行儀よく並んでいるのが見える。「ここの高さは、鳥たちの領域ではないの?」と、カメムシに問いかけた。
この病室にいる私は、2019年の暮れに大腸ガン(ステージ4)と告げられ、翌年に大腸、2か月後には転移した肺を40%切除、そして今回は前回の手術から3年半後、肝臓に転移したガンの手術を受けるために入院している。その病室での出来事だった。
コロナは落ち着いてきたものの、家族との面会さえできないという入院生活を強いられていた。私のお寺では、間近に報恩講、並びに創建四百年の記念法要を迎えることになっており、焦燥感が襲ってきた。当初は、創建四百年という節目に、しかも坊守(ぼうもり)という立場であることが、まるで四百年という歴史の崖っぷちにでも立たされたように感じられた。病の方もどうなるか分からない。これから先の不安との戦いの中だった。
とは言え、術後、数日もすると、散歩が許され、8階にある屋上庭園に足を運ぶのが唯一の楽しみとなった。
常緑樹に加え、萩(ハギ)や野牡丹(ノボタン)、紫式部(ムラサキシキブ)など、秋の草花が植えられ、車いすに乗った患者や、リハビリ中の人たちが気分転換をするためのオアシスだった。
曲がりくねった散歩道を一周すると、ベンチがあり、そこに腰を掛け、しばらく色とりどりの草花を眺めていると、日々の治療の辛(つら)さも慰められた。座った後ろの下草の中に、思わず声を上げたくなるくらいの小さな、小さな花が一輪咲いていた。それも5ミリくらいの黄色い花。それはカタバミの花だった。黄色でパッと開いた5枚の花弁は、まるで金バッチのように輝いて見えた。
「そのままでいい。そのままが私なのだから」と言われた気がした。ただそこにいる、それ以上でもなく、それ以下でもない。 そのことがなんと尊いことか。私は何になろうとしていたのだろう。
「おまんは誰じゃ?」。カメムシへの問いかけが、実はカメムシから私自身に向けられた問いだった。
明日はもうここにいないかもしれないカタバミの花は、「そのままがおまえじゃ」というコトバとなった。
阿弥陀さんは七変化。カメムシにもなれば、カタバミの花にもなって、私のいまを教えて下さった。崖っぷちに立たされていると思っていたが、足はすでに歩んでいた。
カタバミの花も私も地続きであることを教えてもらった。
これは創建四百年どころではない。いのちの歴史と未来からの時間がピッタリと合わさったいま、それが「そのままがおまえじゃ」といただけた。さらに、病とも一つになることができた、大事な一日となった。
武田 美輪(たけだ みわ)
東京都・因速寺