2024年11月13日
Category インタビュー
節電を始めたのは、新聞記者時代に起きた福島の原発事故がきっかけだった。 安全神話をいいことに、電気のもたらす便利さを当たり前のように生きていた。そんな自分がどうして「責任追及」などできるのだろうと思った。今使っている電気を、原発分を差し引いた半分に減らす「個人的脱原発計画」を始めた。
まずは明かりを小まめに消すことから始めました。テレビを見ていないときは、コンセントからプラグを抜く。風呂場の換気扇を回す時間を大幅に減らす。でも、一人暮らしで電気をじゃぶじゃぶ使う暮らしじゃなかったから、電気料金もほとんど減らない。私は根本的に発想を変えねばならないと思いました。半減ではなく全滅。あるものを減らすという発想ではなく、そもそもないのだと頭を切り替える。この瞬間から、それまでとはまったく違う世界を生きることになったのです。
断捨離中の友人が「掃除機を捨てた。雑巾と箒があればいいよ」と言ったことを思い出しました。掃除嫌いの私が、床を雑巾で磨きあげたのです。ゴミやホコリを発見したら、すぐ箒で一掃きするようになりました。これなしでは生きていけないと思っていたものが、実はなくたって生きていける。それは考えたこともない衝撃でした。
電子レンジ、エアコン、炊飯器、そして冷蔵庫。大量生産、大量廃棄。冷蔵庫は「食の買い捨て文化」を作り出し、私たちの「生きるサイズ」を見えなくしてしまったのではないかと、稲垣さんは言う。
冷蔵庫はその誕生期から比べれば、信じられないくらい大きくなっています。それは人々の欲望の拡大の姿そのものです。私のノー冷蔵庫生活は、スーパーへ寄ってあれやこれやのお勧めの品があふれていても、その日に食べるものしか買えないので、うかつに手を出すことはできない。一回の買い物で500円を越えることはほとんどない。人参と厚揚げを買ったらもう十分。4本入りの人参を一日で使い切ることはできないので、余った3本はぬか漬けにするか干すかしてもたせる。私が生きていくのに必要なものなんて、たいして多くはないのです。
「生きていくのに必要なものはほんのちょっとしかない」という衝撃は、地殻変動のように私の身の回りを揺るがせたのです。それまで必要だと思ってきたあらゆるものを疑い始めました。山のように持っていた洋服、靴、本、化粧品、食器、タオル、シーツ……。私はそのすべてを一から見直すことにしました。
私はお風呂をやめて銭湯に通いました。もし歩いてゆけるところに銭湯があるのなら、それを私の風呂と考えたっていいじゃないかと思ったのです。「所有することがリッチなのだ」という思い込みから離れて、シェアするという考え方をとるなら、すべてが違って見えてくるんです。
【書籍情報】
書籍名: 『魂の退社 会社を辞めるということ。』(幻冬舎文庫)
価格: 693円(税込)
書影:
<Profile>
稲垣えみ子
フリーランサー
1965年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒。朝日新聞社で論説委員、編集委員を務め、2016年に退社。夫なし、子なし、冷蔵庫なし、ガス契約なしの「楽しく閉じていく生活」を模索中。著書に『魂の退社 会社を辞めるということ。』『寂しい生活』『アフロ記者』『老後とピアノ』『もうレシピ本はいらない 人生を救う最強の食事』など。
写真・児玉成一