2020年04月07日
Category インタビュー
フォトジャーナリスト・ライター
佐藤 慧さん
東日本大震災の前の年からフォトジャーナリストの仕事を始めて、アフリカ、中米などで活動し、世界の不条理、理不尽に立ち尽くした。そして地震、津波。瓦礫の市街地を、母を探して何日も何日も歩いた。写真はそのとき、呼吸することと変わらないくらいのものだったという。
弟を小児がんで亡くし、姉を自死で亡くした。東日本大震災で母が津波に呑み込まれ、1か月後に瓦礫と泥土の下から発見された。残された父の嘆きは深かった。衰弱する父の背中。「ある日、突然命が奪われてしまうのだとしたら、生きていることに意味などないではないか」。4年後のある朝、父は眠りから覚めることなく旅立った。
震災から2、3年、ぼく自身が立ち直れなくて、うつ状態で仕事もできない状態だったのですが、岩手にある「なかほら牧場」という、山に完全に牛を放牧する山地酪農をしている方を訪ねる機会があったのです。
そこは乳牛を飼育している牧場なんですが、牛舎がないんですね。牛は完全に山に放牧されていて、好きなものを好きなときに食べる。それで一日2回だけ山を下りてきて、搾乳させてくれる。それが終わるとまた山に戻る。そこで自由に子どもを産む。牛たちが山の草を食べて、そこでどんどん大きく成長して、その糞尿がまた山に返って、山と牛が一つのいのちのようにサイクルを繰り返している。そこから人間が少しだけ恵みをいただくのが牛乳だったり、チーズだったりバターだったりするんです。
そういうものと触れたときに、いのちというのは、単に皮膚の境界線で区切られるものではなくて、もっと大きい感覚でも感じることができるんですね。
また、四季折々、本当にいろいろな姿を見せてくれる自然深い山だったので、春が来て、夏が来て、秋の紅葉が来て、また冬が来て、雪が降ってあたり一面…