2016年06月15日
Category 親鸞フォーラム
生×死×仏教―私たちに力をあたえるとき―
2014年8月31日(日)
パネリスト
徳永 進 氏(医師)
天童 荒太 氏(作家)
安冨 信哉 氏(真宗大谷派教学研究所長)
コーディネーター
木越 康 氏(大谷大学教授)
木越 本日のテーマは「生×死×仏教」となっておりますが、中でも特に「死」とどう向き合うかということが今回のフォーラムの焦点になろうかと思います。幸か不幸か、人間はあらゆる生物の中で唯一、自分が死ぬことを知りながら生きている存在だと言われています。私自身、日本仏教、特に親鸞を専門に学んでおりますから、死について語ったり考えたりする機会は、一般の方よりも少しは多いかと思います。しかし、例えば健康診断で「再検査」とマークが押されてしまった時などに、もの凄く動揺してしまう自分がいるのです。恐らくこれは私だけではなく、会場の皆さんの誰もが無関心ではいられない問題なのではないでしょうか。いつか必ずやってくる自らの死というものに、自分自身がどう向き合えばよいのか。そのことに対してのヒントとなることを少しでも得ることが出来ればと思いながら、今回のフォーラムを進めていきたいと思っております。
徳永 高校生の時に国語の時間で習った(365~427)の詩に「人生 無く としてののし 分散し風をってじ れに常の身に非ず」(『雑詩其一』「歳月人を待たず」)というものがありまして、もう医者を40年くらいやっていますが、あの詩の世界観がなんとなくずっと私の中にあります。人間は道の上のちりのようなものだと。風が吹いたら、ふうっとそちらに付いていって、いつも同じ自分であることはない。振り返ってみれば高校生の時から大事なことを教えられていたのだなと思います。そして臨床に出てみて、この詩は間違っていないということを日々に感じているわけです。
マザーテレサが、身内もなく路上で亡くなっていくような人たちをお運びして、名前を呼び、毛布を掛け、スープをあげ、「私が見ていましたよ」と言う。そんなことを自分もやってみたいという思いで始めたのが野の花診療所という場所で、今年で14年目になります。これまでお見送りしてきた人は1360人になりました。そういう仕事をしながら私が感じることは、ただシンプルに「人は死ぬ」ということです。これは今日、皆さんに言わなくてはいけません。私は14年間見てきたのです、今申し上げた数を。本当は「数のことを言ってはならない。一人ひとりの死を見なさい」とテレサは言っているのですが、私が一人の職業者として、皆さんよりもたくさんの死を見てきて言えることはただ一つ、人は死ぬということです。月は出ている、星は輝く、人は死ぬのです。もしかしたら皆さんは気がついていないかもしれません。あるいは死ぬのは自分ではない誰かであって、私は死なないだろうと思っているかもしれない。だから言います。死ぬのです。これは事実で、嘘ではありません。繰り返しになりますが、今日はそれを報告しに来ました。
ではその死とはいったい何なのか、あるいはどのようにしたらちゃんと死ねるのか、また死は受容できるものなのか。このような問題が皆さんの頭をよぎるかもしれません。でも考えないでください。意味は全くありません。ただ死ぬだけなのです。死は一様ではありません。様々な状況の死があり、それによって気持ちも違う。そこには批判もあれば愛情もあるでしょう。色々ありますけれど、命あるものはただ死ぬ、それだけなのです。そして、死ぬからこそ私たちは命というものを感じることが出来るのかもしれません。
不思議なことに、今までにどのような死を見た時にも私が感じてきたのは尊敬の心でした。愚かな死というものを感じたことはありません。死を前にすると自然に敬意が生まれてくるのです。考えてみますと、それはきっと無抵抗だからなのだと思います。それまでは何か言えば抵抗していた人。踏まれれば怒るし、唾を吐かれたら唾を吐き返す。それが踏まれても、唾を吐き掛けられても、非難されても無抵抗。その姿がさすがだなと思うのです。私は多くの死者に会いましたが、全員が無抵抗でした。そして、そのことに敬意を覚えます。それは誰もが秘めている宝物のようなものであると感じるのです。
先日、元患者さんが来られて「先生、家で死にたいという親戚のおばあちゃんがいるんですが、家で診てもらえますか」とおっしゃるので、行きますと答えました。その方はある宗教を信仰されているご夫婦で、奥さんが肺がんの末期でした。その奥さんは私が家に往診しますというと、こちらに来るというのです。「それが自分の挑戦だから」といって、胸水がたまって息苦しいのに来られるのです。でも最後はとうとう来院することが出来なくなり、そのお宅に往診するようになっていました。ところがお盆近くに、その宗教の全国集会があるから、それにはどうしても行きたいと言う。もちろん行ける状態ではありません。どうしようかと思いましたけど、私たちは基本的に、本人や家族が「したい」ということは何でもしてあげようという方針なので、許可しました。もしもの時のために十分な準備をしてもらい、患者さんは出発されました。すると三日後、やはり帰りがけに危篤になられてしまい、私たちは連絡を受け先に家で待機しておりました。車が到着すると、なんと奇跡的に患者さんは生きておられました。私たちはそのままお家に上がって、お話を聞きました。大会に行くといろんな人が来て「頑張ってね」と励ましてくださったそうで、本当に行って良かったとおっしゃっていました。それから日々は過ぎ、患者さんの容態は悪化していきます。ご主人と相談して、今度呼吸が苦しかったら楽になるようモルヒネをあげようかという話しをしていると、本人は死を覚悟していたはずなのに「生きたい」と言うのです。この間は少しでも安楽に死にたいと言っていたはずなのに、宗教者であっても、死を覚悟していても「生きたい」とおっしゃるわけです。
木越 私たちの世界は大勢が亡くなると、とても気持ちがエモーショナルに動きがちです。今回の広島の土砂災害や3・11の大震災の場合のように、何百人、あるいは何千何万人と亡くなると、私たちの心はすごく感傷的に動きます。でも、そういう大災害が起きた翌日にも、やはりこの日本や世界のどこかで誰かが確実に亡くなっていて、そのことを悲しんでいる人がいる。その大災害で亡くなった人の遺族の悲しみと、今日どこかで交通事故や、あるいは病気などで亡くなった人の遺族の悲しみに、果たして差があるのでしょうか。愛する人を亡くしてしまう悲しみに差はありません。等価であるはずです。しかし、この世界では意識的ではないにせよ、差が付けられてしまう。それは非常におかしいことではないかと思います。
書いていくうちに思ったのは、死者に差を付けて、ある一定の時間がたつと忘れていく社会というのは、結局生きている人にも差を付ける社会なのではないかということです。死者を数字化することに慣れてしまい、その多い少ないが関心の中心になってくると、亡くなった一人ひとりが掛け替えのない顔を持つ、唯一の存在だということが考えられなくなっていく。私たちが本当に望んでいるのは、優劣や数に関わらず、存在そのものを掛け替えのないものとして認め合えるような社会であるはずなのに、今はそういう肯定感を持つことがどんどん難しい社会になってきています。
今の競争社会では、その人が何を成し遂げたか、いくら収入を得ているかということばかりに注目が集まります。でもそれは本当に私たちにとって大事なことなのでしょうか。誰に愛されて、誰を愛し、どんなことで感謝されたかということこそが、私たちが本当に大切にし、また求めていくべきことなのではないでしょうか。これは私自身が小説から教えられ、またその反響として読者の方からの意見で感じ取ったことでもあります。
安冨 仏教から言いますと、死は人間の必ず到るべき自然の行路、自然のプロセスとして見るところがあります。ご承知のようにお釈迦様は自分が生まれてから七日目に母親を亡くされて、若い時から人生に対する憂いを持っておられました。それが一つの縁となって出家されるわけですが、その出家の理由として有名なという物語があります。居所であったカピラ城の東西南北の四つの門から外に出たところそれぞれ老人、病人、葬送、つまり死者を見る。そして最後の門を出たところで出家者に出会い、自分も出家しようと決意をされたというお話です。この物語の中で注意されるのは、死を個別的なものとして捉えずに、生老病死という一つの流れの中で、つまり一続きのものとして見るという視点ではないかと思います。
また中国のという僧は、『安楽集』という書物の中で次のような言葉を経典から引用されています。「たとえばに草木ありて、はをみず、後は前を顧みず、すべてにするがごとし。世間もまたしかなり。自在なることありといえども、ことごとく生老病死をるることを得ず」。川の水面に浮かぶ草木が上流から下流に流れ、やがて大きな海に入っていくように、私たちにおいて生老病死は、その人の社会的な地位や富にかかわらず、誰も避けることが出来ない自然の行路であると教えられるのです。
そして親鸞も晩年にお手紙(『末燈鈔』)の中でこのように言っています。「なによりも、こぞことし、老少おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう」。当時、や疫病によって多くの死者が出て、人びとはみな恐怖と絶望の日々を送っていました。その死の恐怖に対して、生老病死ということはすでにお釈迦様が説いてくださっていることだから、さして驚くべきことではありませんと言っておられるわけです。
ただ親鸞の場合、ただ「死を恐れるな」ということだけでなく、同時に「死にゆく私たちを受け止めてくれる世界がある」ということを説いていることが注意されます。例えば『歎異抄』の第9章では「なごりおしくおもえども、のつきて、ちからなくしておわるときに、かのへはまいるべきなり」と仰っています。娑婆の縁が尽きる時、「かの土」、つまり阿弥陀仏の浄土にまいると言われるのです。私たちは死にゆく存在であり、その死にゆく存在である私たちを受け止めてくださる仏様の世界があるということ。これは大きな安らぎです。その信仰が仏教、特に浄土真宗の伝統としての、死者に対する宗教的儀礼を生み出してきたのだと思います。
昨年の5月に福島県の南相馬市を訪れ、原町の別院で、お二人の僧侶からお話を伺う機会がありました。その方々は地元で被災者の人たちに寄り添っておられる僧侶でした。お話を伺っていた別院本堂の内陣には、白布に包まれたご遺骨がたくさん並んでおりました。聞いてみますと、震災後に身元の分からないままに付された人たちや、まだ住居の定まらないご遺族から託されたものなど、様々な事情から別院に仮安置されているご遺骨ということでした。私はご本尊とご遺骨に見守られながら、お話を伺ったわけです。仏様の世界に帰られた方々を私たちはとお呼びしますが、私はその本堂で諸仏とのつながりの中に自分があることを感じました。
その後、南相馬市の浜辺の方に出て慰霊碑の前で読経させていただきました。僧侶ははじめに合掌し、それから、読経、そしてという手順で儀式を執行するわけですが、亡き人のを弔う儀礼は、私たちに先だって亡くなられた方々に思いをつなぐ意味がある。そしてそれは亡くなった方々と共に私たちは生きているのだということを確かめる大切な伝統である。そういうことを、南相馬でのご縁を通してあらためて確認させていただいたわけです。
先ほど天童先生から、その人が誰を愛し、誰に愛され、どんなことで人に感謝されたかという、この三つを覚えておくこと、それが悼むという行為であると教えていただきました。また徳永先生もご著書(『死の文化を豊かに』)の中で、マザーテレサについて、「彼女はインドの貧民街で行き倒れて瀕死の状態の人を抱きかかえ、その人の名を呼び、私たちはあなたをこの地上で確かに見、こころにとどめましたよと言っていた」と紹介されていました。私は僧侶が宗教的儀礼によって菩提を弔うという行為もまた、これらによく似ているのではないかと思います。私自身、亡くなられたご門徒の家でをお勤めする機会がしばしばありますが、その折には、まずお顔にかけられた白布を外して、お顔を拝見し、そしてまた戻してから焼香し、合掌して枕経のお勤めをします。そして、その方が生前どのような人生であったかをご遺族の方からお聞きし、そして寺に帰ってから、簡単ではありますが、過去帳にそのことを記します。(※)を受ける機会がなくをまだ頂いておられない方であれば、その方にふさわしいような法名は何かということを考えて、仏弟子としてのお名前(法名)を付けさせていただくのです。これらは先ほどの悼むという行為と同じ質のものであると感じます。今日では葬式仏教とされるような、伝統的な宗教儀礼ですが、その長い伝統の上に培ってきた葬儀や法事の持っている意義を、やはり大切にしていかなければいけないなと、改めて感じております。
木越 先ほど徳永先生は、「ただ死ぬだけだ」とおっしゃっていましたが、いざ本当に自分の死に向かい合う時に、そういう状態でいられるのかという問題があります。私のように右往左往するような人が、多いのではないかと思いますが。
徳永 その右往左往がいいのです。なぜなら、そこに気取りが全くない。なのですね。潔く自分の意志で一直線に決め込むというのは、何か強がりのような、どこか親しみのない気がしてしまいます。何か意志を超えるものが入ってきて、右往左往するところに、「こいつも悪いやつじゃなかったな」と人間味を感じるのです。死ぬことはもう分かっている、自分でも死にに来たと言っているのに、「あと何日生きられるんだ。くそ、くそ」とじたばたしている。この辺に味がありますよね。その味こそが人間の値打ちで、例えばエンディングノートのように、自分のいいように、キレイにまとめていこうとするのは、私などからすると何か不自然な感じがしてしまいます。
天童 私も右往左往している方が、正しい人間の在り方だと思います。そこにこそ生きていることの豊かさがある。悩んだり迷ったりすることが、生きていることの意味だと思うのです。私たちは日常的に様々な選択をしなければならない状況に直面します。子どもだったら、受験先はどこにするのか、就職するのかなど、その時々において悩むことになります。あらゆる人が、それぞれの局面で悩み、迷っている。安冨先生のご専門であるという方も、悩み苦しんだ末に親鸞にたどり着いている。私は、迷いの質の中にその人の人生の豊かさがあると思っています。迷いも悩みもない人生なんて、これほどつまらないものはないですよ。自分も小説を書く時に、すらすら書ける時は駄目だなと思うのです。
徳永 えっ、本当に。
天童 はい。すらすら書けるということは、才能あるほかの人でも書けるということです。だから迷いがなくなっている時はあえて執筆を止めるようにしています。それまでの部分を捨てて、もうどう書いていいか分からないというところまで戻ることもしばしばです。でも、そうやって悩んだり迷った末に出来上がったものというのは、すごくオリジナルで、自分にしか書けないものになっているのです。だからもし今悩んだり迷ったりしている人がいれば、「これこそが人生の醍醐味なんだ」と思われた方がいいと思います。
徳永 患者さんたちに「亡くなるならどこがいいですか」と聞くと、自分の家と答える人が8割くらいです。でも、実際にそれを実現できるか聞いてみると、今度は2割ぐらいに減ります。その理由を聞くと、みんな「家族に迷惑を掛けたくない」と言うのです。やはり「迷惑」という言葉は否定的、ネガティブな言葉としてみなさん持っておられる。しかし、この迷惑をどう考えるかということが、今後の日本における一つのキーポイントになってくると思っています。
例えば今の充実した介護保険によって、ヘルパーや入浴サービスに母親のお世話をまかせるようになったと。自分は介護の現場を去り、仕事なり自分のやるべき事をやることが出来る。それはそれで恩恵もあるのでしょう。しかし実際に両親の死に直面した時に、その人がうつに陥ってしまうという事例があるのです。その理由は、何もしなかったこと。おむつも替えなかったし、体を拭く回数も少なかった。私はいったい母に何をしてあげたのだろうということが、すごく大きな悔いになっているのです。つまり迷惑を避けたことによる悔いなんですね。だから、迷惑がなければいいかというと、どうもそうではないようです。
また迷惑の中で初めて発見することもあるのです。これはある親子の話です。博打もやる、酒もやる、家族も顧みない。そんな父親のことを息子さんはずっと悪の権化のように思っていた。でも父親が病気になった今では衰弱し、下顎呼吸をしながら、ごくんと重湯を一口飲んで、「うまい」と言っている。そんな父親の姿を今まで見たことがなかった。私がその父親の臨終を看に行った時に、その息子さんはとてもうろたえておられました。だから私は彼に「この人は今、君の為だけに死んでくれようとしている。だから、おろおろしないで、しっかりその死に学びなさい」と偉そうなことを言ってしまいました。でも、彼はそれで立ち直ってくれたようでした。全てが終わってから、「感謝します」と私に言いに来てくれましたが、その表情がとても真剣だったことが印象に残っています。恐らく迷惑の中で逃げずにいる時に、彼なりの何か新しい出会い、新しい父親像、そして死というものに教えられたのではないかと思います。
安冨 先ほど天童先生のお話の中にも出てきましたが、私どもの宗門に清沢満之という方がいました。清沢は幕末に生まれ、明治36年に41歳で亡くなっています。大変に頭が良く優秀で、武士の家系でしたが、東本願寺で(※)得度し、東京大学に入り哲学を専攻しました。フェノロサなど当時の有名な先生方の下で研究し、夏目漱石など、その時代の思想家たちに影響を与えています。
しかし彼は若い頃、親鸞の他力の教えを学ぶ上で、まず自力門を徹底しようと、激しい禁欲生活を行い、それがもとで体を壊し結核になってしまうのです。そして死と直面する生活の中で『臘扇記』という日記を書いています。その中には「生のみが吾人にあらず。死も亦吾人なり。吾人は生死を並有するものなり」という言葉もあります。自らが直面している死の問題から、逆に生を見つめ直し、それによって仏教や真宗を考えていくわけです。結局、最晩年の40歳頃の日記(『当用日記』)にも、「いろいろ苦悩がありて困る」と言っております。だから生涯悩み続けた人だと言っていいかと思います。
「迷惑」という言葉が出てきましたが、親鸞も晩年になって「愛欲の広海にし、のにする」(『教行信証』)という言葉を残しています。仏教者になると、何か悟って枯れていくような感じがするのですけれども、どちらも最後まで枯れずに悩み続けている。私が親鸞や清沢満之という人物に魅力を感じるのも、その悩み続けていたという点にあります。それはある意味で「若さ」と言ってもいい。人間の若さとは、簡潔に割り切った答えを出さず、目の前の問いに悩み続けるところにあるのではないかと私は思うのです。年齢的に歳は重ねていても、心は若さを保っている。そういうところに私などはかれるものがあります。
天童 悩んだり迷ったりすることの豊かさを捨て、面倒くさいからと、あらかじめ用意された答えに飛び付いてしまう。それは非常にもったいないことではないかと思います。いま本屋に行きますと、ノウハウ本がよく売れていたりしますね。人生を豊かにする十箇条、あるいはリーダーになる十箇条、死を受け入れられる十箇条など、そういう答えを委ねてしまう本がすごく売れている。でも、それは本当にもったいないことだと思います。今、安冨先生がおっしゃったように、迷っていたり悩んでいたりする人は、外から見てもとても魅力があるものです。逆に、何か自分は全部を分かったようなことを言う人がいるのですが、よく聞いてみると、昔からの考えをくり返すだけだったり、他人の意見の受け売りだったりして、実のところ薄っぺらい人が多い。だいたいそんなに簡単に答えは出ないですよ。人間はもう何百年もずっとこのことで悩み続けているのですから。むしろ答えなんか簡単に出てしまったらつまらない。出ないからこそ面白いのです。じたばたしながら、死ぬのは嫌だと叫んだりしながら私たちは生きていくのです。そういう非常に「面倒くさい」ものが私たちの本来の人生なのだと思います。
天童 私は今の社会を表すキーワードが、この「面倒くさい」ではないかと思っています。とてもとても便利な世の中になったことによって、いま特に若い人を中心に「面倒くさい」という感覚が非常に強くなってきているのを感じます。とにかく、今の人には色々なことが面倒くさいのです。学校に行くのも面倒くさい。仕事をするのも面倒くさい。結婚、出産、子育て、何もかもが面倒くさく感じるようになってきているようです。児童虐待にしろ、自殺にしろ、色々なネガティブな事件が増えていますが、それらの根底にある問題も、実はこの「面倒くさい」という感覚からきていることが多いのではないかと思っています。
木越 考えてみますと葬儀における弔辞というものは、その人が誰に愛され、誰に感謝されていたのかと、故人の人生を語ることによって、まさに「悼む」わけなのですが、最近ではそれもだんだん簡略化されて、直葬といって儀式をせずにそのまま火葬場というケースが増えてきているそうです。天童先生のおっしゃる面倒くさい、そのことを避けようとする社会がまさに表れてきているところではないかと思います。
天童 そうですね。そもそも宗教というものは、生きることに、あるいは死というものについて悩んだり迷ったりする時の拠り所として大事な存在意義があるのですが、悩むこと自体が面倒くさいということで、宗教からどんどん人が離れてしまっている。逆に今は何でもすぐ答えを求めようとしますね。リーダーのような人の、とにかくこうすれば間違いないというような言葉に飛び付いたりする。こういうことが、これから更に増え続けていくと思います。
そもそも「面倒くさい」なんていう言葉は、少し前まではあまり公に言えるようなものではなくて、ちょっと呟いてみるぐらいのものではなかったでしょうか。それが今は堂々と権利として主張されるようになってきている。これが非常に危ないことだと私は思っています。つまり、面倒くさいと言われた方が、「じゃあ面倒くさくない方法を考えます」と、その代替案を考えなければいけない。そちらの方が、かえって義務になってしまうという、妙な世の中になってきた。例えば子どもが面倒くさいと言ったら、親が面倒くさくない勉強の仕方を考え、面倒くさくない人生の歩み方を提案してあげる。実際にそういう状況になってきているのではないかと思います。先ほど申し上げたように、悩んだり迷ったりすることが人生の一番の醍醐味であり、それこそが自分の成長の糧であるはずなのに、面倒くさいといって、悩むことや迷うことを捨ててしまうと、これはもう社会全体がこらえ性を失ってしまうのではないかと思うのです。
私は今のこの社会は徐々に滅びに向かっていると思います。何しろ共助や共生ということを捨てて、能力で格差を付けることを肯定する。そんな社会を、政治が経済界とともに選択し、我々の過半数以上はそれを受け入れ、あるいは無関心の中で認めてきているのです。どうして今、子どもたちが共助や共生を失いつつあるのかといえば、我々大人たちがそういう社会を推進しているからに他ならないのです。この競争と格差の社会では、本当に勝てる人間なんて1割にも満たない。それ以外の子どもたちは少しづつランクを落とした場所でかりそめの優越意識を持とうと焦り、自分より下位の者がいることに安心を得ます。下位が少なくなった者たちは、不当な劣等意識を押し付けられて、勝者につかえる仕事を有難がって受け入れなければいけない。そうして、ほとんどの子どもたちは思春期の頃から自分への肯定感というものを失ってしまうのです。だから、例えば学校教育から格付けされドロップアウトした子どもたちが、セックスなど性の方向に傾倒しがちなのは、それが肯定感を与えてくれるからだと思います。勉強もダメ、運動もダメ、他に肯定してくれるものが何一つ無い社会の中で、「君かわいいね」といって、肯定感を与えてくれる相手に惹かれるのはごく自然な流れではないでしょうか。
そして、そんな肯定感を失った子どもたちに対してこの社会は、コンビニに行って、ネットして、一言もしゃべらなくても生活できる便利さを与えてしまっている。今の世の中は、お金さえあれば、誰とも関わりを持たずに、一人でも生活できてしまいますね。そして、若い人の中にはお金がなくても、生活保護があるから働かなくてもいいとうそぶく人まで出てきている。面倒くさくなってきてるんです。家族を持つことも面倒くさくて、子どもを作らなくなる。結婚もしなくなる。社会を愛することはもちろん、人を愛することも面倒くさくなり、やがては生きることも面倒くさくなっていく。果たしてそんな社会がこの先も栄えていくと思いますか。滅びに向かうのは自然の成り行きだと思います。
でも大半の人は薄々こうした危機的状況に気づいていながら、口にして言わないし、公には認めようともしない。そのことにアクションしようとしません。我々はこの面倒くさいと思う人間が増え続ける社会に対して、本気で向き合わないと、取り返しがつかないほど人々がバラバラに孤立してゆくだろうと思います。
徳永 今ほど話題になった面倒くさいという感覚は、私たちの家から様々なものを捨てさせましたね。出産、育児、教育、食事、老い。色々なことが家から切り離されて、施設化されていきました。そして、死もまたそうです。
今は「一人死」が増えてきています。孤独死というと、否定的な響きになってしまいますので、私は「一人死」と呼ぶようにしています。私の知り合いに「病院には行かん。市営住宅で一人死ぬ」と言って、それを実行された方がいました。病院や施設というのは、やはり逐一全て管理されてしまうところに難点があるのだと思います。管理された状況下の死と、在宅の死では、やはり違うのです。これは私の感覚ですが、在宅での死には、死の持つ野性味というものがまだ残っていると思うのです。だから私は、そうやって全てが施設化されていく動きに対して、死を家に取り戻すという動きもあってよいのではないかと思っています。確かにそれは面倒くさいことかもしれない。でも、それによって新しい発見もあるし、肯定的な面も見えてくるのではないかと思います。
ただ、どうしても死ぬ時に周りに誰もいないというのは寂しいという気持ちが残るなら、これは私の得意の屁理屈なのですが「空気は見ていた」と思うようにしたらどうか。その部屋の空気に看取られて死を遂げるということならば、それほど悪くはないのではないかとも思ったことがあります。
あとは地域のコミュニティというものをもっと活用できればいいと思います。あと数日でその人が亡くなるということが分かれば、町内会のメンバーで協力し合って毎日交代で家に訪問する。面倒だけど一晩、わしがあの家に泊まってやると。そういう姿を孫や子どもに見せるということも、面倒くさい社会を止めるためには大事だと思います。
天童 少し前に放射能の問題で世の中が大変パニックになっていた時期がありました。あの時に東京からも引っ越しする人がたくさんいたのです。子どもたちのために引っ越して、安全な場所で過ごそうとしたら、その逃げた場所で交通事故に遭い、お子さんが亡くなってしまったというケースが、私の身近なところでありました。人生というものは本当に何があるか分からない。だから、死をどうこうと言うよりは、まず今、せっかく命があるのだから、日々を丁寧に生きてみる、ということに眼を向けてみてはどうだろうかと思います。いま目の前にいる誰かと会っている時間とか、いま食べているもの、いま家で休めることの幸いなど、そういう一つひとつをもっと丁寧に感じてもいいのではないでしょうか。
例えば、私の仕事がすごく乗っていて、「あともう少しで完成だ、これを世に問えばすごい賞をもらえるかもしれない」と息巻いていたとします。でも、その翌日に交通事故で死んでしまうかもしれないわけです。するとその仕事は、全部無かったことになってしまう。そんなことは世の中にたくさんあるのです。無理を重ねて、家族を犠牲にして、多額の報酬を得ても、いきなりすべてが無意味になるケースは少なくない。でも、日々を丁寧に生きていれば、その仕事は完成しなかったかもしれないけれども、丁寧に生きた、という実感は確かに残るのです。そのことが実はとても大事で、目に見える賞とか報酬よりも、むしろそうやって毎日を丁寧に生きてきたという実感の方が、最後には残っていくのではないかと思っています。
なので、先ほど申し上げたように、悩んだり迷ったりすることが人生の醍醐味であれば、迷っていれば、迷うことに誠実でありたい。悩むのであれば、悩むことを丁寧に悩みたい。そのことで嫌になってあきらめたり、簡単に投げ出して結論を急いだり、誰かの答えに飛び付いたりするのではなく、悩んでいる、迷っている、これが人生でとても大切なことなのだと自分で思い定めて、真剣にそのことに向き合っていきたいのです。それは決して無駄なことではなく、すごく豊かな在り方であると思うのです。
また、そういう大人の姿を見せることは、これからの若い世代にもすごく意味があることではないでしょうか。簡単に答えに飛び付かない、便利さに逃げない。悩んだり迷ったりしながら、一つひとつのことを丁寧にやっていく。お皿一つ、コップ一つでも丁寧に洗っていく。そんな大人の姿を見たら、子どもにもきっと何かが伝わっていくはずです。
安冨 いま天童先生のおっしゃった丁寧に生きていくということは、人生の「今」を生きるということでもあるのではないでしょうか。人生のいつかを生きているわけではなく、それぞれの方がそれぞれの人生の「今」という時間を生きている。その「今」の持っている深さや、豊かさをしっかり味わっていくということが、丁寧に生きるというひとつの意味なのではないかと思います。そのために、例えば様々な思想を学んだり、宗教を学んだりするということがあるのではないでしょうか。
誰の人生でもない自分の人生だけれども、その人生の与えられた「今」を本当に有り難いもの、かけがえのないものとして受け取って生きていく。その受け取るということの中には、同時に考えるという営みがあると思うのです。先程も面倒くさいという話が出ましたけれども、いま特に若い世代の人はじっくり古典を読んだり、人生について考えるということが苦手になってきていると思います。
この「考える」というスタイルを親鸞は「」という言葉で表しました。聞思とは、聞いて考えるということです。聞くということと、それについて考えるということ。この二つが円環的に展開していくところに人生の深まりがある。それが自己というものに出会っていく道だと教えてくださっていると思います。
木越 丁寧に生きることなく、面倒くさくないままに命を終えていくというのは、結局、誰も愛さず、誰からも愛されず、感謝されない生き方になってしまうのではないでしょうか。
だからこそ私たちは煩わしくても、小さなつながりや関わりを持ち続ける中で「自己」を見出していくことが必要なのだと思います。それが生きることにおいても、死んでいくことにおいても、非常に大切なのでしょう。
そのことが、社会全体を覆う居場所の問題に対して、新しい方向性を与えるヒントになるのかもしれません。