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法話

棺桶の中の娘に父親は叫んだ

棺桶の中の娘に父親は叫んだ

法話「棺桶の中の娘に父親は叫んだ」
2017年9月23日
講師:三島多聞 氏(岐阜県高山市・真蓮寺住職)

 

三島 多聞

「死」と「亡」

仏縁をいただきまして秋彼岸の永代経法要にお話しをさせていただきます。彼岸に当たり亡き人を縁に仏法に遇(あ)わさせていただく法要です。本日の講題のお話しをする前に「死」と「亡」という違いをはっきりさせておきたいと思います。私たちは「死」と「亡」を同じ事柄に使っていますが、意味上は違うのです。漢字は文字の合成で種々の意味を現わします。「木」という字と「日」(太陽)を合成して「東」という漢字ができています。木の間から太陽が昇ってくるさまを表しています。

「死」という文字も合成された文字です。「歹」と「匕」の合体です。「歹」の意味は遺体、白骨という意味で亡き人のことです。「匕」は「人」の変形で腰を曲げ前で手を合わせている姿です。生きている人ということです。

ですから「死」は亡き人と生きている人が合体し、「“出遇っている姿”」のことです。亡き人とどう出遇うかという大切な意味を問うてくる文字であります。亡くなった人だけでは「死」になりませんし、生きている人だけでも「死」になりません。亡き人に出遇ってこその「死」です。どう出遇うか。その出遇いを仏法、南無阿弥陀仏によって真実の出遇いをさせてもらうことが法要の大切なポイントです。

死は私が生きる大地である

 「死」によって真実に出遇うあり方について、実例をあげましょう。

 阪神淡路大震災から9年目の新聞記事です。19歳の青年のコメントが出ていました。10歳の時、地震に遭ったのでしょう。毎年震災のあった1月17日、震源地の長田区にキャンドルと花束を持ってお参りしている。すならち「死」を成り立たせている。

 彼は「僕は頑張る、いのち大切にする」と言った。

 生きていることは奇跡であると実感しているのでしょう。そしていのちを大切に生きることが、亡き人との真実の願いであることを学び知っている。彼にとって「死」は「生」きていく「大地」となっている。

 

 アメリカの貿易センターがテロの攻撃で破壊されました。4年後、その現場で追悼式がありました。その式場で3千人以上の亡くなった人々の名前が呼びあげられました。参列の人々は愛する人の名前を聞きもらさないようにと全身を耳にしていました。愛する人の名前を耳がキャッチした時、すなわち「死」(出遇い)が成立した時、涙をおさえつつ、「テロのない世界を!」と言いました。素直に「死」を成り立たせた時、そこには「いのちへの愛おしさ、切なさ」が、ワッ! とこみあげてくるのでしょう。

 

 このこころは、「生」への新しい出発となっています。まさに「死」こそは、自分が新しく「生」きていく「大地」であることを知ります。大地は人を育むのです。しかし多くの日本人は、死を縁起でもないと塩をまく。ここからは、

真実のいのちの出遇い、気づき、勇気は決してでてきません。

父親の叫び

 もう20年以上の前のことです。門徒さんの娘さんが骨の癌で20歳でなくなりました。発病したのは中学3年生の秋の運動会の後です。膝の痛みを訴えました。2、3日しても痛みは取れず、病院で診察してもらったところ膝の骨に癌が発見されます。医師は両親に“余命3カ月”と宣告され言葉を失ってしまいました。放置すれば娘の生命は3カ月。癌の転移なきことを祈って脚の大腿部から切断しましたが、無情にも助骨に転移。それからというもの体のあちこちに転移した癌の骨を切除するということがくり返されました。

 そして、3カ月と言われた生命は5年の延命となりましたが、力つきて20歳の葬儀となったことです。

 火葬場で最後のお別れの時です。火葬場の職員が参列した遺族に、「これで最後です。これでお別れです。最後になります」と言いました。その時、職員の言葉に反応して父親は娘のお棺を両手でおさえ、次のように叫びました。「短い人生やったけど……」と。しかし、一言発すると同時に言葉に詰まってしまいました。数秒のことですが長く感じたことを覚えています。

 その瞬間、私は父親が言葉の続きを語れないのではと思いました。何故なら、「短い人生やったけど、“楽しかった”」とも言えず、ましてや「“苦しかったな”」とは絶対に言えることではありません。

 すると、父親は絶句した後、言葉の続きを放棄して全く別の角度から言葉を叫びました。

 「ご苦労さまやった!!」

最大のねぎらいの言葉です。ありのままをそのまま認める。よう頑張ったと、労をねぎらうことが最大のそして最良の送り言葉です。そしてすぐ続いて、「どうもありがとう!」、「いいとこ行けよ!!」と叫びました。

 しかし、この二つの言葉をどう理解してよいか、その後の私の課題となりました。

 

 初七日の時、お参りに行きお勤めの後の話の中で「どうもありがとう」の意味を知りました。

 

 父親が語ったのは、娘の本当の親になれたということでした。娘は昼夜を問わず私を唯一頼りとしていました。「父ちゃん、父ちゃん」という娘の自分を頼るこころとは裏腹に、完全に癌は全身に転移している。絶対に助からない。治療すればするほど、娘の美しい体は傷だらけとなる。「いっそう、このまま息を引きとってくれたら」と、武士の情ではないが、そう思ったそうです。けれどもこの世で唯一、自分を信頼している娘の心を思った時、「いっそうの事」と思う自分は、本当の娘の父親か! と思い直し、娘の生命がつきるまで、どんなことがあっても支え続けると決心したと私に語ってくれました。彼の語ってくれるのを聞きつつ、「どうもありがとう」と叫んだ父親の言葉を理解しました。自分を本当の父親にするための娘の苦労への感謝だったと知りました。話に加わっていた母親がポツリと、「娘は自分は癌だということを知っておりましたが、私達に『私は癌』とは言いませんでした。それを言ったら最後、親達が自分をはげましてくれる言葉を失うと気づかいしていたようです」と語った。

これも母親にとっての「どうもありがとう!」だったんだと思います。

南無阿弥陀仏の世界に

最後に父親が叫んだ「いいとこ行けよ」が、どういうことか憶念しておりました。その答えがお経に説いてありました。父親との語らいが、お経の言葉に改めて出遇わせたと言っていいでしょう。娘に叫んだ「いいとこ行けよ」が、後に自分もそこへ行くでは間に合わないし無責任です。亡くなって、はい、お別れなんてたまったものじゃない! 絶対別れんぞ! という深い心の奥底から出た叫びが、父親にとって「いいとこ」であるべきです。

このことがお経の言葉では、「『欲生我国』――決して別れるということのない我が国(阿弥陀の浄土)に生まれんと欲(ねが)え! 」と勧められ、それに応えて、「『願生彼国』――ハイ、弥陀の浄土へ生まれんと願う! 」という呼応の世界が説かれていたのです。欲生我国とは「“阿弥陀仏”」の世界、それに応えて願生彼国とは「“南無”」の世界。南無阿弥陀仏とは「欲生我国」と「願生彼国」の内容だったのです。この念仏の世界に、父親が娘より先に行っている。そこへ“行けよ! ”なのだったと思います。

 

「“いいとこ”」とは、父親が先に行って娘を待っている世界でした。娘との悲痛な「別れ」は、逆に、もう決して別れることのない世界の出遇いを物語っているのでした。父親の穏やかな顔と念仏の声の中に、もう決して別れることのない「南無阿弥陀仏」の世界を知りました。「死」(故人との出遇い)を念仏と共に出遇う時、いつも我を「生」かす力となることを学びました。

最後に親鸞聖人の歌として伝えてある詩一首をご紹介いたします。関東の門徒の方々との別れの時に残した詩ですが、逆にもう別れることのない世界の内容となっています。

 

恋しくば 南無阿弥陀仏と となうべし 我も六字の うちにこそすめ

 

【終】

 

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