法話
聞 本願の出どころに触れる
日曜礼拝
聞 本願の出どころに触れる
相馬 豊氏(石川県・道因寺住職)
『仏説無量寿経』というお経の中には、一人の国王が世自在王仏と出遇われ、お話を聞き非常に感銘を受けられ、国を棄て、国王の地位を捨て、一人の修行者と なり法蔵という菩薩が誕生するエピソードが描かれています。その法蔵菩薩は世自在王仏の所で生涯をかけてずっと教えを聞き続けられました。それまでは様々 な不安に怯えていたけれども、本当に安心できる場所として世自在王仏の所に出遇ったというのです。
私たちの多くは家庭を持っております。本来一番安心ができ、一人ひとりのことを大切にして、愛情の溢れる場所が家庭という場所ではないでしょうか。とこ ろが、家庭では様々ことが起こります。例えば子どもに対するしつけの問題や教育の問題。夫婦の問題もあります。ぶつかり合いもおこります。喧嘩は仲のいい 証拠とも言われますけども、どちらかが我慢をしているということです。すると、私たちは家庭という所がありながら、一人ひとりが本当に安心でき、互いに尊 重し合うことができなくなってしまいます。
法蔵菩薩はまず、世自在王仏に、どのような修業をしていけばいいのかを尋ねられます。すると世自在王仏は「自分が起こした問いをどこまでも自分で尋ねてい きなさい」と答えられます。しかし法蔵菩薩は世自在王仏に向かって言われます。「そのとおりなんですが、その自分というものが自分で分からないんです」と 言われるのです。
では、私たちはどうでしょうか。自分のことは自分が一番知ってると思い込んでいるのではないでしょうか。私自身も子どもたちに対して、自分の経験や学ん できたことを前提にものを言ってしまうことがあります。すると子どもたちは、「また頭ごなしに」と反発をします。その時の私は「あなたたちから、とやかく 言われる筋合いはありません。自分が自分のことを一番知ってますから」と思ってしまうのです。まさに自己主張をしていく在り方です。
良寛という方は「裏も見せ、表も見せ、散る紅葉」という言葉を残されています。私たちの日常生活は自分の得意とする表の部分しか見せていのではないで しょうか。裏である汚れた部分はあまり人には見せようとしません。つまり、醜い部分は見せずに美しい自分でありたいのです。しかし裏を返せば、それほど自 分の正体が暴かれるのが怖いのです。ですから、常に自己防衛をしようと対策を練ったり、あるいは言葉を選んだりして生きようとしているわけです。私自身も そうです。始めてお会いする方には分かりやすいお話をするように振舞おうとしているわけです。
法蔵菩薩は、この人間の悲しさ、そして人間の一人ひとりの言葉にならない苦悩をつぶさに見て、「本願」を起こさざるを得なかったのではないのでしょうか。 私たちはそれぞれの所で「一人ひとりの存在がどのようなことを願われているのか」を問い尋ねていくことが大切なのだと思います。