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親鸞フォーラム

親鸞フォーラム第4回

親鸞フォーラム第4回

人間・死と生を見つめる―今を生ききるために―

 

パネリスト

鳥越 俊太郎氏(ジャーナリスト)
竹内 整一氏(東京大学名誉教授)
蓑輪 秀邦氏(仁愛大学名誉教授)

コーディネーター

木越 康氏(大谷大学教授)

人間・死と生を見つめる
―今を生ききるために―

木越 「人間・死と生を見つめる」という大きなテーマであります。「死」ということでも、三人称の死、二人称の死、あるいは一人称の死とさまざまな死があります。

 三人称の死というのは、報道等で日常的に接する第三者の死です。一晩寝たら、あるいは一つ用を済ませたら忘れ去ってしまうような死。二人称の死というのは、身近な存在の死です。これは残されたものに非常に深い悲しみを与えますし、時には自分の死以上に大きな問題として抱え込んでしまう場合があります。

 最後は一人称の死、この私自身の死ということです。今日は特に「私」と「死」という一人称の死について考えていきたいと思います。
鳥越さんは、がんを通してご自分の死が突然眼の前に現れるという体験をなさり、しかもその闘いの様子を自ら報道し、公開されました。鳥越さんはどのように死と向き合ってこられたのでしょうか。

人間は生きているけれども、やがて死ぬ存在である。

鳥越 私が初めて人間の死というものについて本当に感じたのは少年の頃でした。ある日、友だちと墓地で遊んでいた時、たまたま墓石がずれていて、白い骨が置いてあるのが目に入ったのです。

その瞬間、私は雷に打たれたようになりました。もう何も考えられずに、突然、走りだしたことを鮮明に覚えています。
ああ、自分も最後は骨になるのか。今は生きているけれども、最後は死ぬんだと、
その時初めて子どもの心で実感をしたのです。

もちろん、死ということについて知らなかったわけではありません。けれども、自分の問題として受け止めたことはありませんでした。人間は生きているけれども、やがて死ぬ存在であると自分の問題として受け止めた。それ以来でしょうか。今に至るまで、いつもどこかで自分の死を心の中に抱きながら生きてきました。

 

5年前に大腸がんになりまして、腹腔鏡手術を受けました。検査では内視鏡を盲腸まで入れて引き出しながら先生が診察をし
ます。モニターに映る腸はサーモンピンクでとても美しいんです。

カメラが直腸の上にありますS字結腸まで来た時に、ツクシンボウみたいなものが見えました。ああ、これかと思って、先生に「ポリープですね」と聞いたら、先生は「これだけならいいんですけどね」と言って、カメラを少し引きました。モニターの中央には、馬蹄形に肉が盛り上がったものが映し出されていました。

 この姿を見た時に、やられたと思いました。「これは良性ではありませんよね」と先生に聞いたら、「そうですね」と。「がんですか」「そうです。がんです」ときっぱり言われました。したがって、私はがんの告知というものは受けたことがありません。がんを目撃をしております。

そういうことがありまして、私は手術を受けました。その後、肺と右の肺を手術し、そして2009年の2月には肝臓にも転移して手術をしました。ですから、四回がんの手術をしています。

今、私は74歳ですが元気に見えませんか。
これはがんのおかげなんです。免疫力が下がらないように食事と睡眠と運動を規則正しくしておりますので、がんになる前の仕事の量と比べると、治療後の仕事の量は3倍ぐらい増えています。

なぜそんなに増えたのかと言うと、日本全国から、医療関係やがん関係の講演やシンポジウムなどの依頼がたくさん来るわけです。私は自分に与えられた使命として、全部断らないようにしています。ですから仕事の量は増えるわけです。

自分のがんを見つめてきて一番感じたことは、残り時間ということを考えるようになったことです。それまでは、何となくまだ生きていると思っていたんですが、そう時間はないなと思うようになりました。こうして話している間も残りの時間が減っているわけです。

そうすると不思議なことに、目黒川に桜を見に行って、それまでは、花が散っているな、川の花いかだがきれいだなと思っていたことが、残り時間を感じるようになった後に見た桜は、それまでの桜とはまったく違っていました。あと何回かしか見られないと思うと、桜の色や美しさが、今までよりもはるかに深く心の中に染み通ってくるんです。音楽を聴いても、まだ永遠にいのちがあると思っていたころに比べると、心に深く旋律を感じることができる。

人間のいのちには限りがあります。限りがありますが、どこかで終わりが来るのなら後ろ向きに生きるのではなく、前向きに、できるだけいろいろなことにチャレンジしながら、残りの時間を楽しく使っていく。それが私の生と死の基本的な考え方です。

生が終わって死が始まるのではなく、生の中にすでに死が始まっている。

竹内 鳥越さんには、覚悟としての明るさを感じます。その明るさには、日本人の精神の歴史の底にずっと流れてきた伝統と言いますか、死生観のいい部分を引き継いでおられるのでしょう。
具体的な例として、兼好法師の『徒然草』という作品があります。この作品は、明るく好奇心に満ちた兼好が人生の有り様を面白そうに観察し、書かれた随筆です。

 

 実は、この兼好という人の持っている人生観の基本である無常観・死生観には、非常に厳しいものがあります。
彼はまず四季の移り変わりを次のように説明いたします。春が終わって夏が来るのではない。夏が終わって秋が来るのではない。夏の中には、すでに秋の様子というものがあって、それがだんだんと広がって、いつの間にか秋になる。あるいは小春という言葉があります。小春というのは、冬のぽかぽかとした日でありますが、そういう小春がだんだんと大きくなって大春になった時、ああ春になったな、というふうに季節は移りゆくのだ、と。兼好は、このように季節の移りゆきを観察した後、人間の生き死に、生老病死も同じだと言っています。

 

つまり、生が終わって死が始まるのではなく、生の中にすでに死が始まっている。「死は前よりしも来たらず、かねて後ろに迫れり」という言い方。いつか死ぬ、この先に死があるというのではなく、死は前もって背中に張り付いているというわけです。

 

また、人間は、春の日の雪だるまのごとく、下からどんどん溶け出しているという言い方で、人間の生き死にも同じことだと言っております。
このような、逃れようのない厳しい無常観・死生観に立った上で兼好は、「あだし野の露消ゆる時なく」、あるいは、鳥部山の煙が風で飛ばされないということがあったならば、ということを言います。あだし野も鳥部山も京都の地名です。当時、鳥部山には死体焼き場がありました。その煙が消えないということは、人が死なないということはないということが意味されております。もし、露も消えない、煙も消えない、人も死なないというようなことであったならば、「いかにものゝあはれもなからん。世は定めなきこそいみじけれ」と。いかに「あはれ」、情緒・感動というものがないことだろうと言うわけです。

 

「あはれ」とは、「ああ、はれ」という感動詞です。どんな対象であれ、「ああ」と溜息の思わず出るような事態は、すべて「あはれ」ということなのです。そういう情緒・感動というものは、無常だからこそ、「はかない」からこそあるのだというわけです。

 

続けて、「世は定めなきこそいみじけれ」と言っています。この世のなかは定めがないからこそいみじいと。「いみじい」とは、面白い、味わいがある、興趣があるということです。無常においてこそ、面白さや味わいがあるというのです。もう少し、もう少しと、「飽かず惜しいと思はゞ」、満足せずに惜しいと思うならば、たとえ千年たっても、それは、結局は一夜の夢を見るように全部消えてしまうのだというわけです。

 

そうではなくて、今ここに生きている、この時間を生きることが一番大事なことであり、いみじさであり、味わいがあることなのだから、そのことを楽しめと兼好は『徒然草』の中で言っているのです。

 

そして、「はかない」とは、もともと「はかない」ということです。つまり、「はかどる」とか、「はかがいく」の「はか」がないことです。
「はか」というのは、物事を計量するの「計る」「量る」の「はか」、またそれをもとに物事の見当をつけてあれこれ付き合わせ調整し折衝するという「衝る」「諮る」の「はか」、さらには、それらをまとめて物事をもくろみ企てるという「図る」「謀る」の「はか」でもあります。

 

つまり、「はかる」ということは、人がある意図・計画したものを実現していこうとする時には、必ず求められる基本的な人間の営みということができるわけです。そして、近代・現代の科学技術的な考え方では、そのことだけが非常に突出して求められる。つまり、物事をすべて「はかり」数値化し、それをもとに目標を立て、未来へ結果を求めていくのです。今よりも先へ結果を求めてはかどるように、効率があるようにと進んでいく世界が、ビジネス世界、忙しさのシステムということになるわけです。

 

それは近代・現代だけではなく、すでに兼好の時代にもあったわけです。兼好が批判しているのは、そういうはかること、「はかある」ことを第一主義にしているような生き方です。今ここにあること自体の「はかる」ことのできないかけがえのなさを味わえということが、兼好のメッセージであ
ると思います。

 

もちろん「はかない」という言葉は、基本的には否定語で、誰も好きな言葉ではありません。けれども、そこにおいてこそ、人間の限界を感ずることを通して、逆に大事なものを見いだすことができる感情でもあるのです。
最近、『「かなしみ」の哲学』(NHKブックス)という本を書きましたが、「かなし」という感情も同じです。「かなし」とは、「・・・しかねる」の「かね」から出た言葉です。みずからの力の及ばなさ、無力さを感じとる感情です。

 

その「かなしみ」をきちんと「かなしむ」時、本当に受け止めた時、そこに、他者への、あるいは美しさへの、あるいは自分を超えた神や仏へのツールになる感情でもあります。普通、そういう「はかなさ」や「かなしみ」は、否定的な感情として、なるべく見ないように、出会わないようにします。けれども、人はいや応なく、そういうものに出会う。出会った時に、それを受け止めることによって、今ある以上の世界の美しさや、輝きや、面白さや、明るさというものが与えられるわけです。
鳥越さんのお話には、そうしたこれまでの人たちの知恵を引き継ぎ、今の時代に合わせた形でそれを表現しているように思います。

いのちというものは、自分ではどうにもならない。だから一日一日がなごりおしい。

蓑輪 私は、小学校4年生の時に肺結核になりました。当時、肺病は死の病でしたから、その時に死というものを見てしまったということがあります。

入院していた時に、お医者さんと母親の話し声が聞こえてきました。自分が肺病だということと、いのちがあと3カ月ほどしかないという話でした。

まだ小学生でしたし、死というものが分からなかったので、驚きとか恐れは感じませんでした。ただ、死ぬまでの3カ月をどう生きたらいいのかということを考え続けていました。

残された時間が短くなっていくにつれ、何か虚しさを感じました。その時は、ちょうど正月で、北陸ですから雪が降ると道が凍ります。終戦直後で革靴はあまりなく、大人は下駄を履いていました。道が凍っておりますから、からんころん、からんころんと非常に軽やかな音がするわけです。

私は病室でその音を聞いて、死ぬまでに、からんころんと歩きたい。それができたら本望だと思いました。
けれども、寝たきりですから、それも叶いません。ですから、せめてそのことを夢見ながら逝こうと思っていました。

そんな時、アメリカから肺結核に効くストレプトマイシンという薬が入ってきたおかげで、見る見るうちに結核が治り学校にも通えるようになりました。

そして、自分の足で、自分の力で足を前へ出しながら、からんころんと歩きました。そういう生きている自体の素晴らしさというものが、いつも自分のイメージの中にあるのです。

その経験が、現在の私の人間観、宗教観というものに大きな影響を与えていると感じています。竹内さんの言い方ですと「かなしみ」ということかもしれません。悲しみを知るということは、逆に明るく生きる力を得ることにつながるのだと思うのです。
死から逃げれば逃げるほどだんだん暗くなるのです。

経典に「生死に処して疲厭なけん」という言葉があります。生と死というものの中に生きていながら、疲れたとか厭だとかというものがない。これが仏教から見た人間の本当の生き方ではないかと思うのです。

私たちは日々いろいろなことに出会い、疲れたとか、厭だとか愚痴をこぼしたり、ぼやいたりして生きていますが、実はそんなふうに日々生きていること自体に素晴らしさがあるということを忘れているから愚痴がでるのではないかと思うのです。

つまり、死んでいくということをしっかり受けとめるなら、生きているということ自体に何ものにも代えることができない素晴らしさがあることを発見できるのだと思うのです。仏教に「生死一如」という言葉がありますが、これは生と死は一つだということをあらわしています。

私たちは生とか死ということを名詞的に考えがちですが、事実から言えば、生とは「生きていく」ことであり、死とは「死んでいく」ことですから、どちらも動詞です。そう考えると、生きていくということは死んでいくという事実の中にあり、死んでいくということは生きていくという事実の中に起ってくることです。

そのことを『歎異抄』では、「なごりおしくおもえども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときに、かの土へはまいるべきなり」(『真宗聖典』六三〇頁)という親鸞聖人の言葉として伝えています。

死が近づいてきてみんなとお別れをしなくてはならない。なごりおしい、もっとみんなと会っていたい。でも、娑婆の縁が尽きて力なくして終わるときには、仏さまの世界へ参るべきである、と。「ちからなくしておわる」というのは、先ほど竹内さんが言われた「はかる」ということがないということでしょう。自分の力で生きようとしている、その力が自然と抜けてくる。すると、おのずから死んでいくという事実が、かの土、つまり仏さまの世界へ参るというかたちで起ってくるのだ、と。

また、  如上人の『白骨の御文』には、「朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり」という言葉があります。朝起きたときは紅色の顔をした元気な人であっても、夕方には、白骨となってしまう。そういう身を持って生きているのが人間だというのです。

人間は縁の中に生きているというのが仏教の人間観です。どんな取るに足らないような小さなことでも縁によって起こらないものはない。その縁が尽きたときが死ぬときです。ですからご縁というものは、いつなくなるか分かりません。いのちというものは、自分ではどうにもなりません。だから一日一日がなごりおしい大切な今となるのだと思います。「おまかせ」という世界です。そういう覚悟をすると世界が非常に明るくなり、勇気をもって生きる力が与えられるのです。

仏教は、そのように生と死を共に生きていくことのできる力を私たちに与えてくださる教えではないかと思っております。

木越 3人のお話はあまりにも冷静で美しすぎるというか、私なら「死」に対して、そんなに前向きにも、明るくもなれないと思いながら聞いておりました。覚悟としての明るさということも出ていましたが、死を眼の前にすると、動揺してしまうし、耐えられないのではないでしょうか。

 

公性に生きるというところがあれば、死を視野の中に入れてしっかり生きていける。

鳥越 少年の頃に白骨を見てから、常にどこかに諦念を抱いていたように思います。諦念というのは、あきらめということですね。人生には限りがあるという諦念です。
私は、そのあきらめということと、その時その時に全力を傾けるという集中力はセットになっていると思うのです。諦念があったからこそ目の前の今という時間に集中して生きてこれたのです。永遠にいのちがあると思っていたら、そういう集中力は出なかった気がするんですね。

私は、戦場に何回も行きました。イラン・イラク戦争、カンボジアも行きました。弾や爆弾が飛び交う戦場に行っても自分には一発も当たりませんでした。自分はついていると思っていましたが、5年前にがんという弾に当たりました。

けれども、当たったのなら、その現実をそのまま受け止めて、どうすればいいかということを考えました。どうすればいいのか先生に尋ねたら、「切ればいいんですよ」と言われたので、切っただけの話なのです。

そのように複雑にものを考えないで、シンプルに考えて生きてきました。その時、その時に集中して生きてきました。だから自分のがんを見てやろうと思った。正直に言ってがんになってラッキーだと思ったんです。がんをこんなに身近にはなかなか見ることはできません。他人のがんの取材もしますけれど、あくまで他人のがんですから、がんになった時の気持ちや肉体的な痛みとかについては分からないわけです。

仕事柄、記録することが自分の仕事だと思っているので、自分のがんも人に見せるためではなく全部記録したいと思い、ディレクターに
頼んでカメラで記録してもらいました。
だから、我が身の不幸を悲しむことはありませんでした。こんなに何回も手術を受けることができて、むしろ楽しいなと思います。皆さんからは変に思えるかもしれませんが、心の持ちようではそんなものです。

竹内 鳥越さんはあきらめるということを言われましたが、あきらめるというのは、もともと言葉の語源から言えば、明らめる、明らかにするということです。必ずしも否定的な、後ろ向きなことではありません。諦念というのは、はっきりと、見て、だめなことをだめだと引き受けることです。ある意味で非常に積極的で前向きな姿勢の言葉です。
森鴎外、あるいは夏目漱石、福澤諭吉の根本の人生観というのは「あきらめ」、諦念です。ですから、鳥越さんの根本にそういう諦念があるところまでは非常によく分かります。 『平家物語』の最後で平知盛が、「見るべき程の事をば見つ。今は自害せん」と言います。結局はその後、自害するのですが、かんらかんらと笑いながら死んでいくんですね。要するに見たわけです。平家一門の最後まで、きちんと生きて見たという思い
がある。だから、笑いながら、壇ノ浦に沈んでいった。鳥越さんのようにがんを見る、がんに立ち向かおうとしたら、何かが変わるんだろうなということは分かります。

蓑輪 死を否定するような生き方は、他者が見えなくなって、自己中心的な生き方になってしまうと思うのです。明るく生きることができるというのは、他との関係性が充足しているということなのでしょう。家族、友だち、地域社会、日本、世界、そういうものが自分の人生の中にどれだけ感じられるかで、生き方はずいぶん変わってきますよね。
そういう意味でお二人の生き方には強い公性を感じます。鳥越さんは自分が体験をしたことを伝えるという使命があるから元気が出るのでしょう。竹内さんもまた、人間が生きるということと、かなしみの関係について研究され、私たちに発信してくださる尊いお仕事をしてくださっている。そういう公性に生きるというところがあれば、死を視野の中に入れてしっかり生きていけるのだと思うのです。

竹内 そうですね。実は私も「楽しい」というのはよく分かりません。鳥越さんには、「見る」だけではなく、「見せる」とか「見られる」という意識もあるのでしょうか。
鳥越さんの故郷の隣の佐賀藩には『葉隠』という山本常朝という武士の語録があるのですが、そこに「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」という有名な言葉があります。武士の場合には、自分自身を「見る」ということと同時に、「見られる」ことを意識しているんですね。公の中で「見られる」ことによって、自分を生ききる。そういう場を意識したところに、名とか恥という、生き死にもかかわる大きなバイタリティーも可能になりますね。

 

鳥越 初めは自分のがんを「見られる」ということは、まったく想定していませんでした。記録をしている時も公開するつもりはなかったのです。後で番組にしようという話になり、そこから先は「見られる」ことを意識しています。
これはおそらく職業的な長年の訓練の中で、ものを見る・記録するということが自分の仕事になっているから、自分のがんを自分で見るということが、楽しかったということがあるんです。
私たちは生き方を求め、考えて生きてきたけれども、死に方はあまり考えたことがないですね。生き方がある以上、死に方もあるはずです。つまらないことのようですが、どうやって死ぬかということはすごく大事だと思うので、やはり考えておいた方がいいと思います。
医療がこれだけ発達してきた中で、今、大きな問題が出てきています。それは、体は健康であるけれども認知症が急増しているということです。ですから、介護がこれだけ大きな問題になっていますね。認知症になると基本的に自分がわからなくなる。そうした超高齢者の方が大勢いらっしゃいます。
最近、100歳以上の方が全国で200人以上、行方不明になっている問題がありました。戸籍上は生きているのですが、どこに生きているかは分からない。そのうち何人かはすでに亡くなっていたと。これは、だんだん老いていって認知症になっていくと、人間的反応がないので、最後は家族にとってその人が「物」になっていくのではないかと思うのです。
現代は、死の問題がまた新たな問題を生み出しています。つまり、認知症という、自分が誰であるか分からなくなった状況で亡くならなくてはいけないということが、現実に私たちの身に降りかかってくるわけです。

人生の出来事は、「おのずから」と 「みずから」との間にある。

竹内 私は、人の生き死になどの人生の出来事は、「おのずから」と「みずから」との間にあると考えています。「おのずから」というのは、認知症や病気など、生老病死も含めて、私たちの力の及ばないことです。それに対して「みずから」というのは、決断したり、努力したり、祈ったり、手助けを求めたりする、人間だからできることです。そのように人生というのは、不如意な「おのずから」と如意な「みずから」の間にあると思います。

鳥越さんの姿勢には、非常に「みずから」が勝っているという印象があります。意志的に自分の人生を受け止めたいという姿勢。先ほどの「見られる」よりは、むしろ「見る」という姿勢ですね。この姿勢は、武士道等の流れを含めた、一つの大事な伝統である
と思います。
けれども、「みずから」だけで律しようとするのではなく、「おのずから」に少し預けてもいいのではないか、人の手を煩わせてもいいのではないかとも思うのです。生まれた時もみんな人の手を掛けているわけですから。

蓑輪 そうですね。「おのずから」というのはなりゆきに任せるということではなく、しっかり生きているから、「おのずから」というはたらきを感ずることができるのだと思います。親鸞の「力なくして」という表現も、そういう意味だろうと思うんです。
ある偉い方が「人間死んだらごみになる」という言葉は、私たちに大きなショックを与えましたが、人間は死んでも人間だと私は言いたい。なぜならその人が精一杯生き、そして死んだという事実を受けとめて、そのことを悲しみ、いとおしむ人々がいるからです。
それだけ、人の生きざまというものは他者に大きな影響を与える。やはり人間は公性を持って生きているんですね。公性というものがあればあるほど、死んでもその人を偲び、尊敬し、語り継ぐということが起ってくる。人間として生を全うした人たちの歴史というものが、私たちを生かしているのだと思います。だから、人が死んでいくということは、大変な意味があるのだと思うのです。死は人間にとって厳粛で大切な意味をもった出来事であるということを、もっともっと確認していかなければならないと思っております。

鳥越 事件、事故を見ていると、例えば父親が認知症状態になった時に、父親の生きていたことをずっと思い出しながら、尊敬の念を持って接していけるかというと、現実にはそうはいかないと思うのです。高齢者が行方不明になったとか、白骨で見つかったりする事件を見ると、家族が認知症になった家族を、人間として尊敬して敬って扱っておらず、放置しています。一部でそういうことが起こっているということは、日本という社会が抱え込んでいる一つの問題点として考えないといけない。
ただ、竹内さんから「おのずから」と「みずから」ということがあると聞いて、はっとしました。やはり「みずから」生きたいと思っているんです。最期まで自分で計画して死にたいと思っている。けれども、現実には「みずから」生きるということが難しい。親鸞聖人がおっしゃっている「他力」ですね。仏にすべてを預けて、仏の意のままに生きるという生き方もあるのかもしれないということを教えられました。

木越 私はどうしても、死に対する混乱から頭が離れないのですが、人は死んでいく時、泣き叫んだり、悲しんだり、哀れに思ったり、あるいは他者をねたんだり、さまざまな感情が起こりますよね。竹内さんは、著書の中で「かなしみ」というのは、人間が生きていく上で、あるいは、死んでいく上で非常に大事な意味があるとおっしゃっていますが。

竹内 悲しみというのは、『万葉集』などでは、主として、他者に対しての切なさ、いとおしみとして使われています。どんなにいとおしくてもいとおしみきれない、その意味で切ないということです。
また、悲しみというのは、心が「いたむ」ということですが、「いたい」から「いたましい(いたわしい)」という言葉が派生してきます。「いたましい」は、もともとは自分に向けた言葉なのですが、やがて他者を見て、自分の心が「いたむ」という意味で使われてきます。さらにそこから、他者の痛んでいる様子を何とかしてあげたいという「いたわる」という言葉が出てくるわけです。
そのように言葉のつながりを見ると、私個人の悲しみや痛さというものが、言葉の上ででも、外、あるいは横へと広がっていく。
「かなしみ」とはそういう感情なのです。
つまり、悲しみというのは自閉した感情ではないのです。他者あるいは自分を超えた神や仏や自然、何かそういうものに開かれた感情としてあるということです。
親鸞も「悲泣せよ」と言います。悲しみ泣くことによって、大いなる悲しみ、弥陀の大悲へとつながっていくということなのでしょう。有限な存在である人間には悲しみがあります。その悲しみを避けるのではなく、むしろ悲しむことによって、他者や、あるいは自分を超えたものへとつながっていける。そういう大切な感情です。

悲しみ泣くことによって、大いなる悲しみ、弥陀の大悲へとつながっていく。

蓑輪 悲しみというのは、幅が広いですね。鳥越さんは、「なぜ自らのがんを公開するのか」という問いに対してこんなふうに答えていらっしゃるように聞こえたんです。
「私は新聞記者をしている時に、多くの事件に出会い、悲しんだり、苦しんだり、わめいたり、はらをたてたりしている人たちに取材をしてきた。言ってみれば、他人の心の中に土足で入り込んできた。それに対する懺悔の念からそうしているように思う」と。
そういう痛みも悲しみだと思います。だからこそ彼は、懺悔としてすべてを公にして、明るく生きていけるのではないかと思います。

木越 「みずから」生きているつもりでいる私たちも、必ず「おのずから」老い、病み、そして死んでいきます。そういう事実をもっと子どもの頃から共有し、人間の深い「かなしみ」として、また自分の問題として背負っていかなくてはならないというふうに思います。(了)

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