2016年06月15日
Category 親鸞フォーラム
人間・死と生を見つめる―今を生ききるために―
パネリスト
鳥越 俊太郎氏(ジャーナリスト)
竹内 整一氏(東京大学名誉教授)
蓑輪 秀邦氏(仁愛大学名誉教授)
コーディネーター
木越 康氏(大谷大学教授)
木越 「人間・死と生を見つめる」という大きなテーマであります。「死」ということでも、三人称の死、二人称の死、あるいは一人称の死とさまざまな死があります。
三人称の死というのは、報道等で日常的に接する第三者の死です。一晩寝たら、あるいは一つ用を済ませたら忘れ去ってしまうような死。二人称の死というのは、身近な存在の死です。これは残されたものに非常に深い悲しみを与えますし、時には自分の死以上に大きな問題として抱え込んでしまう場合があります。
最後は一人称の死、この私自身の死ということです。今日は特に「私」と「死」という一人称の死について考えていきたいと思います。
鳥越さんは、がんを通してご自分の死が突然眼の前に現れるという体験をなさり、しかもその闘いの様子を自ら報道し、公開されました。鳥越さんはどのように死と向き合ってこられたのでしょうか。
鳥越 私が初めて人間の死というものについて本当に感じたのは少年の頃でした。ある日、友だちと墓地で遊んでいた時、たまたま墓石がずれていて、白い骨が置いてあるのが目に入ったのです。
その瞬間、私は雷に打たれたようになりました。もう何も考えられずに、突然、走りだしたことを鮮明に覚えています。
ああ、自分も最後は骨になるのか。今は生きているけれども、最後は死ぬんだと、
その時初めて子どもの心で実感をしたのです。
もちろん、死ということについて知らなかったわけではありません。けれども、自分の問題として受け止めたことはありませんでした。人間は生…