お寺の掲示板Vol.29|サンガコラム 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2023年09月01日

Category サンガコラム

お寺の掲示板Vol.29

人は何かの役に立つために
生まれてくるのじゃないのです

祖父江 文宏

 

 

 「人は何のために生まれてくるのか。そもそもなぜそんな問いが起きてくるのか。そんなことを考えても考えなくても、死ぬまで生きることには変わりはないのに」——。 もう二十年以上前になりますが、中学生の女の子から「どうして生きないといけないの?」と聞かれたことがあります。彼女は生きることがつらくてつらくて、死んでしまいたいと思っていました。でもそのことを周りの大人に話すと、「死んではいけない」と言われます。でもなぜ死んではいけないのかがわかりません。そのわけを色々聞いても納得できません。最初は私にも「死にたい」ということを聞かせてくれていたのですが、私がどうにも答えられずにいたら彼女は質問を変えてきました。それが「どうして生きないといけないの?」です。

 私はその問いにも答えられずにいました。そうしたら、ある時彼女は「わかった」と言ってきたのです。「人は何かの役に立つために生まれてきたんだね」というので、「どうしてそう思うの?」と聞いたら「辞書にそう書いてあった」と言いました。「経験が生きる」という意味として受け止めたようです。彼女はそれがあっているのかどうか、私に答え合わせを求めてはきませんでした。そのように生きてみようと思っていることに水を差されたくなかったのかもしれません。

 私は、それはすぐに行き詰まるんじゃないかと心配になりましたが、少し感動もしていました。彼女がそうやって「生きよう」としていたからです。生きることがつらくてつらくて死んでしまいたいと感じている彼女は、その意味を人にたずねて辞書で引いて一生懸命生きようとしていたいと思っていました。でもそのことを周りの大人に話すと、「死んではいけない」と言われます。でもなぜ死んではいけないのかがわかりません。そのわけを色々聞いても納得できません。最初は私にも「死にたい」ということを聞かせてくれていたのですが、私がどうにも答えられずにいたら彼女は質問を変えてきました。それが「どうして生きないといけるように思えました。やっぱりすぐに行き詰まったようですが、それでも二十数年経った今も彼女は生きています。

 今、私が仏教から教えられていることは「人は何のために生まれてくるのか」と問うている「この自分が生まれてきたということが一大事なんだ」ということです。そしてなぜ「生まれてきたことが一大事なのか知ろうとするのならば」といって仏教は説かれていきます。それは私に先立って、彼女に先立って、無数の先人たちが「人は何のために生まれてくるのか」ということを問うてきた歴史があるということです。その歴史にたずねていくことができるということです。「この自分が生まれてきたということが一大事なんだ」ということに支えられながら、「人は何のために生まれてくるのか」と問うて生きていくことができるのです。

 

 

 

 

大橋 宏雄(おおはし こうゆう)

三重県・淨願寺

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