2020年04月09日
Category サンガコラム
何が私を苦しめているのか
自分が握りしめている
その物差しです
(坂木力)
昨年末、私たち夫婦に娘が誕生しました。妻は私の立ち会い出産を希望しており、できる限り都合をつけて、立ち会えるように予定していました。
高齢で初産ということもあり、早めに入院したのですが、なかなか陣痛がおきません。そこで陣痛促進剤を投与するのですが、数日たっても状況は変わらず、そのうち破水しました。このままでは赤ちゃんの命が危ないということで、自然分娩を諦めて帝王切開による出産に切り替わりました。
帝王切開は局所麻酔による手術になりますから、同意書に署名しなければなりません。書類には「手術が順調に進めば、胎児を取り出すまで約10分程度。その後、切開箇所を縫合して、手術自体は約1時間で終わる」と書かれていました。
手術室に運ばれる妻を見送り、〈母子ともに無事であってほしい〉という不安な気持ちをかき消すように、スマホをいじりながら待っていると、同意書に書かれた時間通りに、保育器に入った赤子がやってきました。当初は自然分娩に立ち会うつもりでしたので、あまりの早さに、安心したというよりも拍子抜けしました。
またスマホを片手に、今度は妻が戻るのを待っているのですが、1時間以上たっても戻ってきません。
〈そういえば同意書には、「万が一の場合は輸血が必要になったり、呼吸抑制がおこったりする可能性があります」と書かれていたよな。大丈夫かな〉と心配になってきます。もうスマホどころではありません。「仏さんはお願いごとをする対象ではない」ということは分かっているつもりですが、何かに祈りたい気持ちになってきます。
不安なまま過ごしていると、予定の時間より遅れて、妻が戻ってきました。手術は順調で元気そうな様子です。ホッと胸を撫でおろしました。
ところで、この経験を通して、気づかされたことがあります。なぜ私は、拍子抜けしたり、心配になったりしたのでしょうか。
それはもちろん、出産や手術にかかる時間を、同意書によって事前に知っていたからです。そして、その予定時間と実際の時間を比較していたからです。まさに自分が握っている〝モノサシ〞ではかることによって、一喜一憂していたのです。
仏教では、このモノサシこそが苦しみを生み出す原因であると説きます。私たちは普段、自分の考えや知識を正しいと思い込んでいます。しかし、それらを強く握りしめればしめるほど、かえって振り回されてしまうのではないでしょうか。この事実を、日々の生活ではつい忘れてしまいますが、妻の出産を通して、あらためて教えていただいたことです。
伊東 恵深(いとう・えしん)/三重県・西弘寺