2021年04月09日
Category サンガコラム
廣瀬 杲
もう40年近く前のことです。「おじちゃん、トオトイってどういうこと?」と幼い姪から尋ねられました。お寺の仏さまを説明した私の言葉に返ってきた質問でした。そのときどのように答えたのかはもう記憶に残っていません。ただ、そのときの私の答えが姪には届いていないこと、そして私自身の心にも入ってこない落ち着きのなさを感じたことは覚えています。その思いはその後もずっと消えずに残り続けました。
そんな中、5年ほど前になるでしょうか、「尊ぶ」、「尊敬する」を、英語では「respect」と言うと知りました。辞書は「respect」の語の成り立ちを、[re-(振り返って)]+[spect(見る)]と示しています。さらに、私が見た辞書は類語として「admire」「look up to」などを載せて、「respect」の語の特徴的な意味として、「たとえ同意できないとしても、その質の良さをすばらしいと認め敬意を払うこと、また、大切にされるべき意見・願望・権利などを重んじること」と説明しています。私の目に「たとえ同意できないとしても」の一節が飛び込んできました。リスペクト、すなわち「尊敬する」ということは、一旦下した評価・見なしを、立ち止まり、勇気を持って振り返って見る。そして、そこに身勝手な見落とし、独断的な見切りがあったと、真っ直ぐに自身と向き合い、見直す。自身が下す評価にとらわれて、ヨシ(善)・アシ(悪)を判別してしまいがちなありよう、反応的な賞賛や否定に陥りがちな私が、その姿勢をもう一度引き戻して[re-(振り返って)]+[spect(見る)]。それが尊いということの大
切なすがたなのだと教えてくれました。
20年近く前のこと、実母の介護の体験を語ってくれたある女性の話が心に残っています。認知症が進み、身体も衰弱して、実娘の自分のことはもちろん、自分自身が誰かということも分からなくなった母。その介護の日々は、彼女には疲れと絶望しか感じられないものでした。もう人間でなくなってしまったと感じざるを得ない母と向き合う毎日に耐えきれなくなった彼女は、ある夜、自身と母の手に多量の睡眠薬を乗せて、「お母さん、一緒に死のう」と言いました。そのときです。もはや、〈人である母〉は死んだと思っていた、その母が、「仏さんからいただいたいのち、もったいないことしたらあかん」と言ったのです。彼女は衝撃に打たれました。
母はほどなく生命尽きました。彼女は思いました。もし母のように自分自身のことさえ忘れ去ってしまったとき、自分にはどのような言葉が、どのような思いが残っているのか。私には何も無い、と彼女は思わざるを得ませんでした。この一言を核として、仏の教えに聞き、自らを省みる彼女の日々が始まったのです。
飯山 等(いいやま・ひとし)
-岐阜県・西向寺住職 / 京都・大谷中学高等学校 学校長