2022年04月08日
Category サンガコラム
先日いただいた孔版画家である助田茂蔵氏の遺稿集『背中―工房独語』に次のような一節がある。
《「日本脳炎遂に来る」と云ふポスターが貼られ、「出入厳禁」とかいたビラが貼られる。親子の間柄であれ、夫婦の契りであれ、親友のよしみであれ、こうなっては何一つ間に合はぬ孤立の世界へ追ひこめられる。(略)個人の権利を認めるとか、個人の尊重を守るとか、お前百までわしゃ九十九までとか、色々約束したり誓ったりして見ても、「日本脳炎」と云ふ名前の前には、妻や子ですら孤立の世界へ追ったてる我々である。》
これが書かれたのは1948(昭和23)年のことだ。敗戦後の混乱期に日本脳炎が流行し、1948年には法定伝染病に指定されている。たくさんの人が亡くなった。
1948年は私の生まれた年で、病院の隔離病棟で家族にも看取られずに、たった一人ぼっちで命を終えていった人たちとすれ違いに生まれたのかと思うと、自分のいのちの根っこを考える。
私どもが他の人と共に社会生活を生きている以上、病気は自分ひとりのことではないから、健康に十分な注意を払う必要がある。しかし、それも行き過ぎると、病気に罹ることを罪悪視してしまう風潮がありはしないか。ただでさえ身体が弱っているところへ、「みなが迷惑する」という集団的エゴの利己心の刃をふりかざして、「病人を孤立の世界へ追っぱらふ」(同前)ことをしていないか。
真宗大谷派の僧侶・竹中智秀師は「自業も他業にほかならず、他業も自業にことならず」と言われた。仏教は、われもひとも、健康な人も病気の人も、お互いに甚深の因縁に結ばれて、事実共にいる生活現場の教えである。
狐野 秀存(大谷専修学院長)