こだわりと行き過ぎ | 真宗会館コラム | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館
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こだわりと行き過ぎ

こだわりと行き過ぎ
深慮遠望VOL.9

 

 先日いただいた孔版画家である助田茂蔵氏の遺稿集『背中―工房独語』に次のような一節がある。

《「日本脳炎遂に来る」と云ふポスターが貼られ、「出入厳禁」とかいたビラが貼られる。親子の間柄であれ、夫婦の契りであれ、親友のよしみであれ、こうなっては何一つ間に合はぬ孤立の世界へ追ひこめられる。(略)個人の権利を認めるとか、個人の尊重を守るとか、お前百までわしゃ九十九までとか、色々約束したり誓ったりして見ても、「日本脳炎」と云ふ名前の前には、妻や子ですら孤立の世界へ追ったてる我々である。》

 これが書かれたのは1948(昭和23)年のことだ。敗戦後の混乱期に日本脳炎が流行し、1948年には法定伝染病に指定されている。たくさんの人が亡くなった。

 1948年は私の生まれた年で、病院の隔離病棟で家族にも看取られずに、たった一人ぼっちで命を終えていった人たちとすれ違いに生まれたのかと思うと、自分のいのちの根っこを考える。

 私どもが他の人と共に社会生活を生きている以上、病気は自分ひとりのことではないから、健康に十分な注意を払う必要がある。しかし、それも行き過ぎると、病気に罹ることを罪悪視してしまう風潮がありはしないか。ただでさえ身体が弱っているところへ、「みなが迷惑する」という集団的エゴの利己心の刃をふりかざして、「病人を孤立の世界へ追っぱらふ」(同前)ことをしていないか。

 真宗大谷派の僧侶・竹中智秀師は「自業も他業にほかならず、他業も自業にことならず」と言われた。仏教は、われもひとも、健康な人も病気の人も、お互いに甚深の因縁に結ばれて、事実共にいる生活現場の教えである。

 

 

狐野 秀存(大谷専修学院長)

学校で「疾風怒濤」という言葉を教わった。妙に「そうか」とうなずいた。友だち同士で習いたてのこの言葉を振り回し、いい気になっていた。十代の終わりごろで、意気軒昂だった。
 半世紀以上たって、いきなり疾風怒濤の中に投げ込まれた。一昨年以来、未知の病気がまん延し、世界中が嵐の中を航海している様相になっている。いつ横波に襲われて、生活という船が転覆するか知れない。
 若いころの無鉄砲さも影を潜め、世渡りの術も少しはおぼえ、「こんなものか」と自分と折り合いをつけたと思っていた矢先、そのような世間知がまったく間に合わない事態に直面した。毎日毎日が「きょうはどうするか」の連続だった。
 理不尽だが、現実だから、みなで知恵を出し合って、世界的規模のこの困難を乗り越えていかなければならない。
 昔読んだ柴田翔の『されど われらが日々―』の終章の言葉を思い出す。

時代が違うから違う困難ではあったけれども︑困難があるという点では同じだった。(略)だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだ。

自分でなくてもいい。自分たちの中から明日への希望をもって、あゆみ出す人のいること、その姿がみなの希望になる。
 本願寺第8代の蓮如(1415 〜1499)は、宗祖親鸞の命日を「明日」と書いている。戦国乱世のただ中で、死という人生の総括の日を明日への出発と受け止めた感性はすばらしい。

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