2020年07月30日

Category サンガコラム終活

老人と若者

老いるについて―野の花診療所の窓から  Vol.55

 新型コロナウイルス性肺炎に罹った高齢の患者が人工呼吸器の装備を拒否し、「若い患者に使ってあげてくれ」と言ったと新聞に報じられていた。その時いくつかのことが頭を駆け巡った。

 人工呼吸器が少ないのに、呼吸器が必要な重症の患者さんが次々と運ばれてきた時、医療の現場はどう対応するか。どの人に呼吸器を使用し、どの人には呼吸器を使用しないか。到着順に対応するわけにはいかない。必要な人を選ばねばならない。その行為をトリアージと呼び必要な人は赤、軽症で呼吸器の必要のない人は緑、その中間の人は黄、と区別し、その人の腕にその色の布を巻く。亡くなる寸前の人、既に亡くなっている人には黒の布、である。命を選択する権利など誰にあるのか、そんなことして良いのかという問いを残しながら、命の現場では人間が人間に対して処していかねばならない行為になっている。

 老人が若者に呼吸器を譲り、老人が死し若者が生還したとする。世間は老人の勇気に拍手を送る。しかし現実にはいろんな形が生じうる。老人が死し、呼吸器の甲斐なく若者も死を迎えた場合。世間はこのウイルス感染症の強引さ、自然の摂理に肩を落とす。

 世間が安堵する場面は、老人が呼吸器なしで、薬と自己免疫力で生還、若者は呼吸器のおかげで生還した場合だろうか。また、こんなことも考えられる。若者が老人に呼吸器を譲る場面である。老人は呼吸器のおかげで危機を脱出し生還、若者はこの肺炎の進展で死亡する。世間は若者の決断を称え、泣きながら天を仰ぐ。若者が老人へ呼吸器を譲ったが、老人も死し、若者も死す、ということもありうる。世間は、だったら若者に呼吸器の恩恵を、と悔やむかも知れない。最後は、呼吸器を譲った若者が薬と自己免疫力で回復し、呼吸器の世話になった老人が生還できた場合だ。世間は空の遠くに、地の深みに感謝の気持ちを放つ。ことがどうなっていこうとも、私たちはウイルスを含め、宇宙を共にする生命現象体同士。そういう現象体として、ただ跪くしかない。

 

徳永 進 (医師)
1948年鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、01年、鳥取市内にホスピスケアを行う「野の花診療所」を開設。82年『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞、92年、地域医療への貢献を認められ第1回若月賞を受賞。著書に、『老いるもよし』『死の文化を豊かに』『「いのち」の現場でとまどう』『まぁるい死』など多数。

最新記事
関連記事

記事一覧を見る

カテゴリ一覧
タグ一覧
  • twitter
  • Facebook
  • Line
  • はてなブックマーク
  • Pocket