ティーのおもてなし|タレント・茶人 ルー大柴さん 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館

2023年05月01日

Category インタビュー

ティーのおもてなし

タレント・茶人 ルー大柴さん

「藪からスティック」「寝耳にウォーター」「トゥギャザーしようぜ」と、独特のルー語で活躍したルー大柴さんが、茶道の師範となった。「ティー道」である。「動」の大柴から「静」の大柴へ。ティーを一服飲んで、「今・ここ」の瞬間を味わうことの大切さを伝えている。

 NHKの「みんなのうた」で「MOTTAINAI」を歌った。それまでのルー大柴とはまったくイメージが異なるものだった。マネージャーにすすめられて茶道を習った。五十の手習いで、風向きが変わった。

 茶道を始めるようになったのは、「ルー大柴」に違う何かをプラスしたかったんですね。私を見ていた人たちだけでなく、私自身も濃いキャラクターにあきちゃった。新しい引き出しが欲しかったんです。遠州流という武家の流派なんですが、正座にしても所作にしても非常に難しくて、最初はちょっと戸惑ってね。でも、ストーンの上にもスリーイヤーズ、石の上にも3年です。

 お茶をたてているときというのは、何もしゃべらないんです。「どうぞお楽に」とか、「結構なお点前です」と、ちょっと頭を下げるくらいな感じで、「お退屈さまでした」で締めます。ティーを一服飲んで、「今・ここ」の瞬間を味わうってすてきですね。お飲みになって、おいしかったと言っていただければ、それですごく心が洗われるんですね。

 私はどっちかっていうと、動のところで「やあ」って世間に出ましたが、そうではないサイレントな部分もあるわけですね。サイレントのところでお客さまに喜んでいただくことを発見して、とてもうれしいんです。

 

 祖父も父も大陸で時計店を営んでいた。ロシア革命で祖父はハルビンへ移住。戦争がはじまると、跡継ぎとして期待されていた父は自らも志願して入隊。ソ連国境付近に派遣された。戦争末期にソ連軍の進攻により、店は略奪され、父もシベリアに抑留された。戦後4年経って日本に帰国。印刷所の娘だった母と結婚して婿養子に入り、ルーさんが生まれた。ところが日本の生活に馴染めず、ルーさんが高校を出たあと離婚。やがて病気を患い、療養所に入所して10年後にひっそりと亡くなった。NHKの第1回目の「ファミリーヒストリー」に出て、初めて知ることが多かった。

 あそこまで徹底的に調べるなんて、さすがNHKさんですね。しかもソ連にとられたおじいさんの建てたビルがまだあるというんです。父がシベリアに抑留されたということも知らなかった。ハーモニカが好きで、よく吹いていたことは覚えています。父はロシア語と中国語が堪能で通訳をしていたそうですが、捕虜になって重労働をさせられている人たちを、ハーモニカで「ふるさと」を吹いて励ましていたそうです。母と離婚してからは疎遠になり、残念ながら最後は看取れませんでしたが、私のルー語のルーツは父なのは確かです。

 「ファミリーヒストリー」で、父が療養所で友人に「マイサンが今度テレビジョンに出るんだ」と得意げに話していたというエピソードが紹介されたとき、ルーさんは男泣きした、という。

 

 

 

 

 

<Profile>

ルー大柴(ルー・オオシバ)

1954年、東京・新宿に生まれる。ルー大柴として俳優、英語交じりのトークで活躍。芸能生活のほか、2007年、NHK「みんなのうた」に採用された「MOTTAINAI」をきっかけに、富士山麓の清掃や地域のゴミ拾いをするなど環境活動にも積極的に取り組む。趣味はドジョウやメダカの採集、水墨画。茶道・遠州流師範大柴宗徹として活動。山野美容芸術短期大学客員教授。著書に『心を整えルー ティーが教えてくれた人生で大切なこと』。

心を整えルー』定価:1,430円(税込)(自由国民社)

【出演番組のお知らせ】「よル~じげ トゥギャザーしようぜ!!
毎週土曜 夜23:30~長崎国際テレビ(NIB)で放送中。
ルー大柴が、祖父の故郷である長崎の地を視聴者と触れ合いながら巡り歩く。
民放公式テレビポータルTVerで配信中。

 

写真・児玉成一

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