2019年06月12日
Category サンガコラム終活
老いるについて―野の花診療所の窓から Vo.47
歩くっていい。可能なら歩きたい。歩くと風景が変わっていく。歩くと本屋に着いたり、桜の木の下に着いたり、駅に着く。
外来に、毎日8000歩は歩くという88歳の老人、いや失礼、男性がみえる。体格は中肉中背。血圧が少し高い。「これに歩数がでるんです」と余裕の笑顔でスマホを見せる。別に昔からの万歩計もベルトに付けている。習慣なのだそうだ。うらやましい、と思う。ぼくのスマホの歩数表示は、約800歩、御老人の十分の一。診察室の椅子に座って病棟を回診して、たまに車で往診に出たとしても、歩数は延びない。もしも、である。国が一歩一円で買ってくれることになったとすると、男性の日給は8000円、ぼくは800円だ。どうしたら歩数を延ばせるか、喫緊の課題。
男性の下肢をさわらせてもらう。88歳とは思えぬ弾力のある筋肉。回れ右してもらっておしりを触らせてもらう。これもプリプリだ。外来の看護師も絶賛。男性、「いやいや、今はもう」と余裕の笑顔。
その男性が夕方の外来が始まる前に「これ」と数枚の紙片を手渡して帰っていった。「甘い物より水か麦茶」「おしゃべりで老化防止」とか書いてある。貝原益軒の「養生訓」のご自身バージョンのようだ。「病気は口から過食で入る」「家で休息 戸外で気ばらし」。なるほど、なるほど。「生きる意欲が明日を開く」「花よりも花を咲かせる土になれ」ときたかと思えば「古い化粧品は捨てよう」とくる。なんだかおかしい。「汗かく早足日に一万歩」、これだと思った。「今はもう」は一万歩は無理で8000歩、かと解釈した。「何かにつ…