2020年04月20日
Category 法話
お寺や仏像に興味あるけど、仏教の考え方となるとなぁ。宗教ってなんか近寄りがたいような感じがするけど。仏教徒!?と言われると困るけど、でも墓参りをしているし…こんなことを思ったことはありませんか?
知らなくても生活には困らないけど、その教えが人々を支え、2500年以上確かに伝えてられてきた仏教。身近に感じる仏教のギモンから「そもそも仏教とは何か」を考える超入門講座「人生にイキる仏教ー大人の寺子屋講座」。
この抄録は第1回「そもそも仏教とはどんな宗教?-仏教と宗教」の内容⑤です。
一般論ですが、宗教と言うと神や仏に助けてもらうというイメージがあるように思います。仏教でも恩恵、救済ということは言うのですが、仏教に特徴的なのは、「覚り」ということです。人間に覚りがもたらされるということが仏教の言う結果です。その覚りとは真理への「目覚め」です。
覚りと言うと、ものすごい理論のようなものを明らかにした、というようにイメージされると思いますが、実は、朝に目が覚めるのと同じように「目覚め」という意味です。「はっと目覚める」ということです。何に目覚めるかと言うと、「無我」とか「縁起」とか「空」とか「涅槃」という難しい言葉で表されます。
「空」は、有名な『般若心経』というお経に「色即是空 空即是色」という言葉がでてきます。「ゼロ」であり、「無」であるということが「空」の意味です。インド人がゼロを発見したとされますが、「ゼロ」をインドの言葉で言うとシューンヤと言い、中国でこれが「空」と訳されたのです。私や事物が実在すると私たちは考えますが、真実には「ゼロ」であり、「縁起」つまり様々な因縁によって起こっているのであり、「無我」つまり私という実体はない。このようなことが釈尊の覚りの内容とされます。このような覚りの境地を表すのが「涅槃」です。
「涅槃」というのは、「煩悩が吹き消された状態」という意味です。煩悩は私たちが怒ったり、何かを欲しいと思ったりする心を言います。私たちは煩悩を起こして自ら苦しんでいるのであり、覚ることによってその煩悩が滅せられると、苦も消滅し、静かな境地に到るのです。その煩悩が吹き消された状態を「涅槃」という言葉で表します。難しいですし、わかりにくいですね。
「空」「涅槃」は、やはり覚らなければわからないことですので、理屈、理論として考えても結局わからないことが残る問題でもあります。しかし、これらは私たちの存在のあり方を表しているのです。私なりに言いますと、目覚めるというのは、「自分と世界のあり方への目覚め」ということを表しているのです。仏の覚りとはそのようなことを指します。
仏に成る教え≫ に続く
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鶴見晃(つるみ・あきら)氏/同朋大学准教授
1971年静岡県生まれ。大谷大学大学院博士後期課程修了。真宗大谷派(東本願寺)教学研究所所員を経て、2020年4月より現職。共著、論文に『書いて学ぶ親鸞のことば 正信偈』『書いて学ぶ親鸞のことば 和讃』(東本願寺出版)、『教如上人と東本願寺創立―その歴史的意味について―』『親鸞の名のり「善信」坊号説をめぐって』『親鸞の名のり(続)「善信」への改名と「名の字」-』など多数。
写真/児玉成一