2020年07月30日
Category サンガコラム終活
新型コロナウイルス性肺炎に罹った高齢の患者が人工呼吸器の装備を拒否し、「若い患者に使ってあげてくれ」と言ったと新聞に報じられていた。その時いくつかのことが頭を駆け巡った。
人工呼吸器が少ないのに、呼吸器が必要な重症の患者さんが次々と運ばれてきた時、医療の現場はどう対応するか。どの人に呼吸器を使用し、どの人には呼吸器を使用しないか。到着順に対応するわけにはいかない。必要な人を選ばねばならない。その行為をトリアージと呼び必要な人は赤、軽症で呼吸器の必要のない人は緑、その中間の人は黄、と区別し、その人の腕にその色の布を巻く。亡くなる寸前の人、既に亡くなっている人には黒の布、である。命を選択する権利など誰にあるのか、そんなことして良いのかという問いを残しながら、命の現場では人間が人間に対して処していかねばならない行為になっている。
老人が若者に呼吸器を譲り、老人が死し若者が生還したとする。世間は老人の勇気に拍手を送る。しかし現実にはいろんな形が生じうる。老人が死し、呼吸器の甲斐なく若者も死を迎えた場合。世間はこのウイルス感染症の強引さ、自然の摂理に肩を落とす。
世間が安堵する場面は、老人が呼吸器なしで、薬と自己免疫力で生還、若者は呼吸器のおかげで生還した場合だろうか。また、こんなことも考えられる。若者が老人に呼吸器を譲る場面である。老人は呼吸器のおかげで危機を脱出し生還、若者はこの肺炎の進展で死亡する。世間は若者の決断を称え、泣きながら天を仰ぐ。若者が老人へ呼吸器を譲ったが、老人も死し、若者も死す…