2020年12月18日
Category サンガコラム
「がりがり」は、猫が爪で引っ掻くガリガリ。猫とは、『吾輩ハ猫デアル』の「猫」である。
夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』は、酔っぱらった猫(吾輩)が水甕に落っこちて死んでしまうところで終わる。あまり知られていないかもしれないが、猫は最期、「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」と念仏を称えている。それだけではない。この作品には、ところどころに仏教っぽい言葉が出てくる。猫の台詞にある「百年の間身を粉にしても出られっこない」は、親鸞が詠った「身を粉にしても報ずべし」のパロディーだし、「天地を粉韲して不可思議の太平に入る」なんて、いかにも偉いお坊さんが言いそうな言葉である。何もかもを仏さまにお任せする境地です、われわれは仏さまに願われて太平に入るのです、と言われてみればなるほどそうかとも思うが、たいていの人間はそんなことを容易に納得できるはずもなく、ガリガリともがき続ける。
この一年だって、私たちはずっとガリガリしていた。突然現れた新型コロナウイルスの影響で、いろんな我慢や工夫をしなくてはならなくなった。遠距離恋愛中の彼氏に会えなくなった友人もいるし、未だに楽しいキャンパスライフを送ることができない新入生もいる。不安を感じながらも毎日同じ時間に満員電車で通勤しなければならない会社員もいるし、自粛期間中の他人の行動に気分を左右されて落ち着かない日々を送る人もいる。それでもなんとかオンラインで飲み会をしてみたり、ネットショッピングで気を紛らわせたり、近所の公園を散歩してみたりと、それぞれが試行錯誤しながら、いきなりはじまったこの新しい世界を生きようとしてきた。
コロナ禍はいつか終わるかもしれない。しかしこれからもガリガリは続く。私たちは物事を簡単には手放せないし、すんなり受け入れることもできない。頑張ろうとか、もっと、とか思って奮闘しながら日常を生きる。挫折や悲しみを味わいながらも自力で道を切り拓こうとし、あるいは、人間関係で余計な労力を使わないようひっそりと生きる術を磨く。無理を通そうとするから苦しい。つまらない。それでも生きる。生きるということは、それぞれがそれぞれのやり方でもがき、身をよじりながら引っ掻いた跡を残していくことでもある。
そうやってガリガリし続けていつか、天命というものに安んじられる日もあるかもしれない。太平に入れるのかもしれない。いくら人間だって、そういつまでも無理する事もないだろう。不可思議でありがたいアミダさんがこんな人間でも抱きかかえてくれるのなら、安心して、まあ気を永く、勝手にガリガリさせてもらおうと思う。
大澤 絢子(おおさわ・あやこ)東京都