2023年09月01日
Category サンガコラム終活
連休明けの水曜日は忙しい外来日。診察室に患者さんを呼んで体重計に乗ってもらい、食欲と便通と睡眠について聞いて、「何か変わったことありましたか? 」と聞くと、5分は経つ。心音と呼吸音を聞き、世間話をすると10分近くになる。熱が出て、咳が出て、のどが痛い、と訴える患者さんがやってくると、コロナの抗原テストやインフルエンザテストをするために完全防護服に着替え検査し、結果を見届けると15分は取られる。途中に腸閉塞が疑われる患者さんが飛び込むと総合病院の医者とのやり取りや紹介状記載で30分はズレ込む。そんな日のことだった。
「先生、お久しぶりです。先生に診てもらうのは数年振り、お元気でしたか。先生のお父さん、元気ですか?」と問われた。その人、90歳の女性でひとり暮らし。90歳とは思えない明晰な言葉、背筋が伸びている。ネコ2匹がいて名前はチビとシロ。「え、父ですか?他界しました、25年前。生きてたら113歳です」「あっ、そうですよね、お父さんとは職場が同じで、立派な方で、私と20歳は違ってました、はは、そうですよね」。
その女性に、何か変わったことは、と聞いた時だった。「ええ、最近何か寂しくて、2年間、何ともなかったのに何だか寂しいんです」。2年前、92歳のご主人を亡くされていた。手が器用で大工仕事に畑の仕事、何でもしてくれる夫で役に立って便利な人、くらいに思っていて、亡くなっても悲しくもなんともなかった。それが2年が経ったある日、ふっと寂しくなってしまった。「なぜなんでしょう、先生」。死別後の悲しみ、寂しさ、怒り、などは一人一人違った形で表われると言われている。「えー、なぜでしょうねえ」と答えた。女性の表情には穏やかさがあった。高血圧の薬を処方し、その方は診察室を出て行かれた。
あとで思った。空中にはタンポポの種やもっと微小な草花の種が浮遊している。同じように寂しさの種も浮遊していて、ある時ある人の心の土壌に種が着地する。90歳でも何歳でもその寂しさの種は、どんな人の心にも、ふっと降りてくるのではないか。
徳永 進 (医師)
1948年鳥取県生まれ。京都大学医学部卒業。鳥取赤十字病院内科部長を経て、01年、鳥取市内にホスピスケアを行う「野の花診療所」を開設。82年『死の中の笑み』で講談社ノンフィクション賞、92年、地域医療への貢献を認められ第1回若月賞を受賞。著書に、『老いるもよし』『死の文化を豊かに』『「いのち」の現場でとまどう』『看取るあなたへ』(共著)など多数。